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「不名誉な「鳥またぎ米」の悪評から米どころ・酒どころへ!涙ぐましい新潟の成功物語」関友美の日本酒連載コラム(リカーズ5月号)

 高校時代からの親友がバーテンダーをしています。都内の商業施設でおこなわれるカクテルイベントに、彼女が招かれると聞いて行ってきました。8席限定、昼間から日本一の称号を得た女性バーテンダーが目の前でカクテルを作ってくれる贅沢な空間。

高校時代の同級生で、バーテンダーの小栗絵里加と。

楽しい雰囲気の中で美味しいお酒を楽しみながら、参加者同士は打ち解け、隣にいた若い女性と会話が自然に盛り上がりました。現在は都心のIT企業で働くという彼女が、わたしの職業を知りさりげなく言いました。
「新潟の長岡出身です。酒どころみたいなんですけどね」

新潟県長岡市の寺泊港

新潟県内には88の酒蔵が存在します。彼女が生まれ育った長岡市は久保田、吉乃川、越乃景虎などの酒蔵がある酒どころ・新潟県のなかでも最多、16酒蔵が集まっている地域です。
日本酒の話をする前に、わたしが彼女に語った「新潟県が執念で目指した、日本一うまいコメづくりの物語」を聞いてください。

新潟県といえば越後平野の豊かな田園風景を思い浮かべる人も多いでしょう。現在ではブランド米の産地ですが、最初から順調だったわけではありません。

越後平野

 新潟県は南北に長く、上越市や妙高市を含む「上越」、長岡市を含む「中越」、新潟市のある「下越」と3区分されています。新潟平野は信濃川、阿賀野川などの大河川とその支川が海岸砂丘帯との間に堆積する土砂によってできた平野で、河川の氾濫・堆積の過程で大小のおびただしい潟湖がありました※1。
名の通り新しい“潟=干潟。外海と分離してできた湖や沼”だったのです。

胸まで浸かり田舟をつかって農作業をする様子(写真撮影:本間喜八氏・所蔵:亀田郷土地改良区)

昭和初期までの「新潟米」は鳥も見向きもせずにまたいで行くほどまずい米=「鳥またぎ米」と言われていました。特に下越では水はけが悪く、洪水時には湛水してなかなか農地から水が引かず、農作業は田下駄や田舟を使うなど大変苦労していたそう※2。

酒蔵への取材でも「昔は胸まで埋まりながら田植えしていたようだ」と聞くことが度々あります。経験者なら分かると思いますが、ふくらはぎまで田に埋まるだけでも足が取られて大変です。それが全身を浸すとなれば、さらに重労働になります。効率が悪く、評判も悪い。耐え難いものです。

人力での水車踏みで排水を何時間も続けるなど過酷な作業が続けられていた。(写真撮影:本間喜八氏・所蔵:亀田郷土地改良区)

 新潟県の人々は諦めず、一級河川の改修工事、大規模な排水工事、干拓を繰り返し、集落と水田を拡大。稲の倒伏を防ぎ、収量の多い良質の米を誕生させるため品種改良も進められ、1956年にようやく新潟県で「コシヒカリ」を誕生させました。現在では県内農地の80%で稲作がおこなわれています。

こうした苦労の末に食用米が確立され、その後「五百万石」「越淡麗」といった良質の酒米が誕生し、新潟県内はもとより全国の酒蔵で使われるようになりました。

長岡駅ぽんしゅ館で酒を楽しむ著者

 日本酒の良さは、酒ひとつから米、水、料理、風土、酒蔵の歴史、地域の歩みや人々の気質までいろいろな文化に触れられることです。入口は広く、奥は深い。今回のコラムは長岡出身の彼女に贈ります。改めて地元新潟県産米を使った新潟酒を飲んでみて欲しいなぁ。
あっ!酒蔵の話はまた次の機会に(笑)


※1・・・農業農村整備情報総合センター「大地への刻印」より
※2・・・新潟県ホームページより

今月の酒蔵

吉乃川株式会社(新潟県)
天文17(1548)年創業。上杉謙信が活躍した戦国時代から酒造りを行う、新潟県最古の酒蔵。信濃川の伏流水と新潟県産米を使用し醸す。2016年には農産部を立ち上げ、五百万石、越淡麗、コシヒカリなどを自社で栽培。昭和30年代から大型化に取り組み、安定した品質の求めやすい「いつものうまい酒」を提供することをモットーとしている。銘柄は「極上吉乃川」「吉乃川」。2019年には30年ぶりの新商品「吉乃川 みなも」をリリースした。


庄司酒店発刊「リカーズ」連載日本酒コラム
関友美の「そうだ。日本酒を飲もう。」5月号転載
(庄司酒店様に許可を得て掲載しています)

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