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どんな運命に出会うか/宇田川侑希 Vol.2

◆Vol.1から続く

積水化学女子陸上競技部に入って、5年目。
柏日体高校を卒業して、すぐ実業団に入った
宇田川侑希選手のキャリアは、
常に怪我と二人三脚でした。

アスリートは、怪我と付き合っていくもの。
決して言い訳にはなりません。
ただ、怪我した時に支えてくれる人や、
どんな言葉に出会うか。
どんな運命に、出会ったのか。

それは、きっと選手としての人生を
大きく左右する力になると思うのです。

実業団に入って、「レベルが違いすぎると痛感した」

宇田川選手が積水化学を
意識し始めたのは、高校の頃。
彼女が通っていた高校の中に、
クロスカントリーのコースがあり、
そこに積水化学の選手たちが
練習で来たりしていました。

その様子を、宇田川選手も「テレビで見ている
選手が練習に来てるな」と憧れの目で見ていたと言います。

チームから声をかけられたのは高校二年生の時。
大学に進学するか、中学校から考えていた
保育士になるか。選択を迫られます。
そして、「今しかできないかもしれない、
走ることを続けたい」
という気持ちを、
選んだのです。

しかし、高校を卒業した選手がいきなり、
日本トップクラスの実業団に入るわけです。
実力も発言も個人アピールも、
いきなりプロとしての姿勢が求められます。
多少の戸惑いがあって当然でしょう。

「高卒で入って本当に大丈夫かなっていうのは、最初ありましたね。高校時代はほぼ主力で、駅伝は必ず走るもの、メンバーから外れることもありませんでした。ですが、いざ実業団に入ると、レベルが違いすぎるなと痛感しました。“トップレベルがいるチームってこんな感じなんだ”って、すごく感じましたね」


偉大な先輩もまた、苦しんでいたこと

そんな時、彼女に進む勇気を与えたのは、
周りのチームメイトたちでした。

「入社した時から、故障が結構多くて、駅伝のシーズンになると怪我してしまい、選考にも入れなくて苦しんだ時があったんです」

メンバーとして走れないなら
選手として意味がないんじゃないか。

そう感じた時もありました。

「でも、やっぱりメンバー選考に入らなくても、チームの一員として故障しているなりにも、できることはあると思う。そういうところで頑張れば、そこをみんなも見ているからって、言ってもらえたんです」

そう宇田川選手に思わせてくれたのは、
偉大なチームの先輩たちでした。
女子5000mで日本選手権4連覇、
リオデジャネイロ五輪に出場した尾西美咲さん

言葉には勇気づけられたと言います。

「尾西さんは、私が入った時にはもう強い選手でしたが、『私もすごく怪我が多くて』と話してくれました。尾西さんも高卒でチームに入って、最初の方は怪我が多かったらしくて…。“尾西さんでも怪我するんだ”って思いましたね。『骨折しちゃった時はもう心が折れた。でも、ジムに行ったりして腐らずやってきたから今がある。だから、今ここで諦めるのはもったいないよ』と尾西さんから言ってもらって…。それで、頑張ろうと思えたのもあります」。

周りに良き理解者がいることで、
また一歩頑張れる。
そんな経験があるからこそ、
今があると、宇田川選手は話します。


※次週に続く

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