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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から⑥

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉苦手な人との距離感がわからない
仕事柄、いろんなタイプの人と接することが多いのですが、どうしても苦手な人や状況というのが出てきます。
それは、自分が他人から責められることです。精神的に不安定なとき、他責的になってしまうことは誰にだってあります。だからそういう場面に出くわしたときには、過度に反応せずさらっと流せばいいと頭では思うのですが、実際には内面がザワザワと波立って、冷静でいられなくなってしまいます。
プライベートであれば、そういうタイプの人とはなるべくかかわらないようにすることができますが(とはいえゼロにはなりませんよね)、仕事ではそうはいかないので困っています。
職場に慣れるにつれ、最近はそういうところも含めて自分自身を表に出せるようになり、同僚に状況を打ち明けられるようになってきました。他人に話すと、少し客観的になれるし、気持ちに距離を置くことができるように思います。
とはいえ、苦手なものはやっぱり苦手です。結局のところ、他人と自分を分けて考えるのが下手なのでしょうね。自分の感情は大切にしながらも、他人の言動やその理由を、自分とは違うものと割り切って捉えることの難しさを、日々痛感しています。
(H.K./30代女性)

◉処方書その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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「ノラや」

『内田百閒集成9 ノラや』内田百閒著 佐藤聖編集 ちくま文庫

自分と他人は別の人間と割り切る

作家・内田百閒が共に過ごした猫、ノラとクルツとの日々を描いた随筆です。この作品の大半は、ある日プイッと遊びにいったきり帰ってこなくなってしまったノラを、ただただ待ち続ける日記に割かれています。

今回のお悩みを聞いて、私はこのお話の中の印象的なシーンを思い出しました。
いくら探しても見つからないノラを心配した内田百閒は、折り込み広告や新聞広告まで出して「こういう特徴の迷い猫を見かけませんでしたか」と呼びかけます。
すると、広告を見た心ない人から、いたずら電話がかかってくるようになるのです。電話をとった奥さんに対して、「(猫は今頃)殺されて、三味線の皮に張られてゐますよ」とか「百鬼園ぢぢい、くたばつてしまへ」とか、それはひどいセリフのオンパレードで。動物と一緒に暮らしている私は、「なんだコイツは」と怒りがこみあげてきてしまったほどでした。
一方、百閒や奥さんは、そんなひどい電話をかけてくる人に淡々と接していて、憤りを露わにはしていない。ただひたすら、ノラがひどい目に遭っていないだろうか、と心配をしているだけ。これが私には衝撃的でした。

あなたは苦手な人に会ったとき、自分とその人をなかなか分けて考えられないと悩んでいらっしゃいますよね。その気持ちはとてもよくわかります。
でも、そうした「他人も自分とだいたい同じように考えるだろう」とする抽象的な人間観は、もしかしたら現代的な考え方なのではないか、と『ノラや』を読んで思ったんです。

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いたずら電話の相手に対し、「なんでそんなひどいことを言うんだ」と憤るのは、「自分だったら愛猫を心配している人に、いたずら電話をかけたりはしない」と考えているからであり、その前提をみんなが持っているはずだと思っているからですよね。もしそこを「この人と私は違う人間だ」と、もっと即物的に捉えていれば、「まあ、電話をかけてきたのは他人だし」と割り切れるのではないでしょうか。

山田洋二監督の映画「男はつらいよ」シリーズでも、渥美清演じる寅さんは、「人の気持ちがわからないんですか」と言われて、「じゃあ俺が芋食って、おまえの尻からプッと屁が出るかよ」と答えていました。実に即物的に、あなたと私は全く別の個体ですよ、と捉えているんですね。
「男はつらいよ」では虎さんに限らず、「抽象的な発想をするのがインテリ」とするムードがあります。かつての日本庶民の間では、自分と他人をわかりあえない別個の存在とすることのほうが普通だったのかもしれません。
江戸時代までは士農工商などの身分制度があったことを考えても、みんな同じ人間である、という感覚自体が新しいものなのでしょう。

他人も自分とだいたい一緒だろうと期待するから、違うことが気になってしまう。でも百閒先生のように、他人と自分は違う個体であるというところに立ち戻って、共感を切ってみると、苦手な人に接するのも少し楽になるのではないでしょうか。

◉処方箋その2 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

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『人さまざま』

テオプラストス 森進一訳 岩波文庫(品切れ)

客体化の第一歩は観察

これは古代ギリシャ時代にいたどうしようもない人々の特徴を30個書き出した本です。著者のテオプラストスは、かの有名な哲学者、アリストテレスの弟子にあたる人です。アリストテレスが開いた学びの場「リュケイオン」の2代目学頭であったと言われています。

1番が「空とぼけ」。3番が「無駄口」、4番が「粗野」、8番が「噂好き」……。そのほかにも、「恥知らず」「けち」「おしゃべり」「お節介」など、散々な特徴ですが、ああ、こういう人っているよなあという人ばかりで、めちゃおもしろい。

例えば17番の「不平」で挙げられているのは、こんな人です。
「雨が降るからではなく、降るのが遅すぎるからと言ってゼウスの神に食ってかかる」。
「疑い深さ」では、こんな具合です。
「召使を食料品の買い物にやると、その召使がいくらで買ったかを調べてくるように、もう一人の召使を送り出す」。
疑い深いでしょう?(笑)そして、それらに一つひとつ名前をつけているのが最高です。

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師匠のアリストテレスは自然世界を観察しまくった人です。テオプラストスは、その観察作法を他人に向けて使い、悪いところを見つけてはメモをしていたのかもしれません。おそらくテオプラストスは、本書を本にするつもりはなかったはず。それが死後、刊行されてしまったのではないかと言われています。
本書を読んで思うのは、やはり観察というのは自分と他人を客体化する第一歩だな、ということです。さらにそれを名付けることができると、完全に自分とは別のものになる

お悩みへの参考になることはもちろん、どのページも本当におもしろいので、ぜひ読んでいただきたいです(残念ながら品切れなので、図書館で探してみてください!)。
さらに、みうらじゅんさんの著作とあわせて読むと、より気持ちが楽になると思います。みうらさんなら、これらのどうしようもない特徴も、きっと「そこがいいんじゃない!」と肯定してくれるでしょう。「けちだけどいいんじゃない、そこが人間らしくて」と。

◉処方箋その3 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『隣人X』

パリュスあや子著 講談社

異星人になってみたら

フランス在住の小説家による、現代日本が舞台のSF小説です。
自分たちの星「惑星X」が内紛で住めなくなり、宇宙を漂っていた異星人「惑星生物X」が地球にやってきて、自分たちを受け入れてくれないか、と要請してくるところからこのお話は始まります。

惑星生物Xは対象物の見た目から考え方、言語まで、スキャンするように取り込むことが可能で、「地球人をスキャンして社会に溶け込むようにするから」と言うのですが、これに対して社会は大きく揺れ動きます。「受け入れればいいじゃないか」と言う人もいれば、「危険だ」と言う人もいる。
そうした背景の中、物語では3人の地球人女性の人生が交錯していく。SF小説でありながら、現代社会が抱える移民・難民問題にも通じる同時代性を感じる作品です。

異星人の受け入れ問題に揺れる中でも、地球人たちは相変わらず自分たちの間で小さな差異を見つけては、傷つけあったり馬鹿にしたり、差別したりしています
異星人側から見ると、たいして変わらないようなことを考えている者同士が、表現のし方のちょっとした違いでぶつかり合ったり、言葉が足りないせいで傷つけあったりしていることが、よくわかるのです。
社会の外側からの視点を持つことで、社会の内側で起きていることがはっきりと見えてくる。そのことを、この作品は示唆しています。

問題の渦中で責められることにしんどさを感じたら、いったん惑星生物Xになったつもりで、一歩引いて眺めてみてはいかがでしょうか。お互いの差異を見つけることに夢中になっているところから離れてみると、実は向いている方向は同じだったとか、あの人にも似たところがあるんだと見えてくるのではないかと思います。

著者のパリュスあや子さん自身、結婚を機にフランスに移住された方であり、異国でコミュニケーションがうまくとれず悔しい思いをしたことがあったそうです。描写に実感がこもっていて、SFが苦手な方にも読みやすいと思います。

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◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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