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駅、移動、写真。 大竹昭子×鷲尾和彦 『Station』をめぐる対話④ 誰もが「ステーション」にいる時代に

新型コロナウイルス感染拡大の最中に出版された写真集『Station』をめぐり、2人の対話は「ステーション」という場所の持つ意味について広がっていきます。
前回のお話(③)は、こちら

ステーション=どこにも属さない宙吊りの空間

大竹昭子(以下、大竹) 駅や空港って、旅をするとき必ず通る場所ですよね。とくに海外に行くと、たいていはとても待たされます。日本のように時刻表通りに列車や飛行機が来ることなんて稀でしょう。列車が違うホームに到着したり、ターミナルが突然変わってみんながワーッと移動するなんてこともしょっちゅうで、翻弄されることが多いです。
そしておもしろいのは、そこにいる全員が待つ人であるということ。どんな大企業の社長であろうと、激安チケットで乗る人であろうと、待つという点ではみんな平等で、ステーションではあらゆる人が横並びになってしまう。自分の居た場所から切り離され、次の目的地にたどり着くまでの間の、どこにも属さない中継地に宙吊りになっているあの感じは、実は人間の本質を表しているのではないかと思うんです。
というのは、誰もが昨日とおなじ明日が来ると思って生きているけれど、本当はそうではない。明日が知れないというのは生命の本質。だから人間はもともと「難民」であるとも言えるし、実際、コロナ禍で私たちはそれを知ってしまったわけです。数か月前にはこんな日が来るなんて思わなかったと誰もが口にするけれど、いまのこの現実は特別でもなんでもなく、人間の歴史が続いていけば不可避な事態なわけです。私は頭のどこかで常に人間の不確実さや社会の不安定さというのを感じていて、ステーションという場所に来ると、決まってそのことを意識してしまうんですね。ですから感染を抑えられないいま、世界中の人々が等しく不安を抱えて「ステーション」にいると言えるのではないでしょうか。

鷲尾和彦(以下、鷲尾) 世界がこんなふうになるとはもちろん想像さえしていませんでした。でもステーションに惹かれるのは、ぼくも同じです。言ってみれば、ぼくはこれまでずっと駅を撮ってきたのだと思います。ホテルの一室にしろ海岸線にしろ、異国の駅のホームにしろ、全部ステーションだった。

大竹 どこにも属さない宙吊りの空間ですよね。

鷲尾 そうなんです。そういうところに惹かれるんですよね。ボーダーラインというか。ボーダー(境界)には、やっぱりいろんな人が来ちゃうんですよ。例えばホテルの一室も、どこでもない場所だからこそ、人が本性丸出しでリラックスする。だからおもしろいわけです。1週間も滞在すれば、部屋はその人の化身のようになってしまう。そこには愛おしく見える瞬間がたくさん詰まっていて。

大竹 いろんなものを剥ぎ取った状態になるんですね。

鷲尾 どうしてもそういうところに惹かれている自分がいて、この写真集はその最たるものかもしれません。

DSC09446のコピー

写真家・鷲尾和彦を位置付ける作品に

大竹 3時間で撮影して、求められれば展覧会をやって終わるぐらいのつもりだったものにこれだけこだわり、どうしても写真集にしたかったというのは、鷲尾さん自身にとってそうすることが必要だったからでしょうね。

鷲尾 そうだと思います。だからこそ、作ってもいいという状態にまで自分を持っていこうとしたのだと思います。

大竹 『Station』は一見特殊な内容ですが、鷲尾さんの写真家としての仕事を俯瞰したとき、ご自身の本質が炙り出された重要なものになると思います。そういうものって必ずあるんですよ。写真家でも物書きでも、なぜこんなにもこだわっているのか最初は自分でもわからないけれど、そのこだわりの元を掘り下げていくと、その人の関心や視点や世界観のようなものが凝縮されている。その意味でこの本を出せたことはよかったし、出してくれる出版社がいたのがすばらしいです。

鷲尾 いや、それが一番の理由ですね(笑)。

大竹 版元としても勇気のいることだったと思うけど、とても貴重な問い掛けがなされています。

鷲尾 難民への文脈がない中で少しでも意図を編んでいきたかったし、こういうみんなが「難民」である状況下で本を出すことにどんな意味があるのかも考えたかった。それで夕書房のウェブサイトには大竹さんをはじめとする推薦者の方々や、ご協力いただいた書店さんに感想を寄せていただいたりして。いわゆる作家の作品集としての写真集とは違う届け方が、この本ならできるのではないかと思ったんです。写真、そして写真集が人をつなぐことができるか——そういうことも考えています。

(つづく/次回、最終回の更新は9月7日)

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
1950年東京生まれ。ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など幅広い分野で執筆活動を行う。インタビュアーとしても活躍中。主な著書に『須賀敦子の旅路』(文春文庫)、『間取りと妄想』(亜紀書房)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『この写真がすごい 2』(朝日出版社)、『東京凸凹散歩  荷風にならって』(亜紀書房)。2019年に書籍レーベル「カタリココ文庫」を創刊。最新刊は『室内室外 しつないしつがい』『スナップショットは日記か? 森山大道の写真と日本の日記文学の伝統』。トークと朗読のイベント〈カタリココ〉を開催。カタリココ文庫:https://katarikoko.stores.jp/ HP:http://katarikoko.blog40.fc2.com/

鷲尾和彦(わしお・かずひこ)
兵庫県生まれ。1997年より独学で写真を始める。写真集に、海外からのバックパッカーを捉えた『極東ホテル』(赤々舎、2009)、『遠い水平線 On The Horizon』(私家版、2012)、日本各地の海岸線の風景を写した『To The Sea』(赤々舎、2014)、共著に作家・池澤夏樹氏と東日本大震災発生直後から行った被災地のフィールドワークをまとめた書籍『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)などがある。
washiokazuhiko.com

協力:本屋B&B


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