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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から④

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、キュレーター・青木真兵さんと司書・青木海青子さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉
皆さんは、ロゴ入りTシャツって着られますか?
私はいつの頃からか、ことばのあしらわれたTシャツが着られません。
アラビア語とかヒンドゥー語とか、自分がまったく読めない言語で書かれていれば気にならないのですが、英語など自分のわかる簡単な外国語のメッセージがプリントされていると、気が引けてしまうのです。なんとなく、そのメッセージに自分がそぐわないような気がしてしまうのだと思います。
これって、自意識過剰なのでしょうか?       (30代・女性)

◉処方書その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

栞と紙魚子

『栞と紙魚子』

諸星大二郎著 ソノラマコミック文庫 (新装版が朝日新聞出版Nemuki+コミックスとして発売中)

ズレているからこそ始まる何か

意味のわかるロゴ入りのTシャツが着られないとのこと、お気持ちお察しします。私もTシャツにあしらわれた文章を見ては、「えっ、そこ?」とつい突っ込んでしまうからです。
「そぐわないような気がして」とか「自意識過剰なのでしょうか」と書かれていることからして、ご自身でも「気にしなくていいのに、他の人は気にしていないのに」とわかっていらっしゃるのだと思います。自らを客観的に見つめることはちゃんとできているけれど、それでもやっぱり気になってしまう。そんなあなたに贈りたいのは、「人に迷惑かけてないし、いいじゃない」という許容ベクトルではなく、「Tシャツのロゴが気になるなんて、すばらしい」という祝福ベクトルの書です。

異彩・諸星大二郎が描く漫画作品『栞と紙魚子』をご存知でしょうか。胃の頭町という一風変わった街に住む女子高生・栞と紙魚子の、日常怪奇物語です。
この2人、いや、この物語全体が、「えっ? そこ?」と思わず突っ込みたくなるような言動によって、あらぬ方向に突き進んでいくのです。

鮮烈なる第1話では、胃の頭町内で、バラバラ死体の一部が発見されます。町が事件の噂で持ちきりになる中、栞は級友で古書店・宇論堂の娘である紙魚子に相談を持ちかけます。なんと、バラバラ事件の頭部を発見し、動転して家に持ち帰ってしまったというのです。
「第一発見者って、すぐに忘れられちゃうじゃない」と言い訳する栞。相談を受けた紙魚子は、宇論堂の蔵書から『生首の飼い方』という本を栞にすすめ、栞はその本に書いてあったとおり、水槽で生首を飼育し始めます。最後には飼育に違和感を感じて手放すのですが、その理由も「押入れの中で生首を飼うなんて、おたくっぽくて暗い」というものでした。

栞と_見開き

こんなふうに毎回「えっ? そこ?」と言いたくなるくらいズレている2人なのですが、思えば神話や民話も、何かが過剰だったりズレていたりする人が登場するときに、物語が動き出していました
もちろん、生首を拾ってくるのは止めておいたほうがよいですが、Tシャツのロゴをやたらと気にしてしまうことで始まる物語も、きっとあるのではないでしょうか。Tシャツに書かれたことばのムズムズするようなズレから、あなたをどこかへ運んでくれるような大きな潮流が生まれるかもしれない。これからもぜひ、ロゴのこと、気に留めていてくださいね。

◉処方書その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

カカシ

『かかし』

ロバート・ウェスト—ル作 金原瑞人訳 徳間書店

引っかかりに潜む本当の気持ち

また違った視点で、「Tシャツのロゴが気になる」ことについて、本とともに考えてみます。
提案したいのは、イギリスの児童文学作家ロバート・ウェスト—ルの『かかし』です。これは1981年にウェスト—ルが、二度目のカーネギー賞を受賞することとなった作品でもあります。

母親の再婚相手・ジョーの家で夏休みを過ごすことになった主人公の少年・サイモンは、その生活に馴染めず、孤立を深めていきます。
そんな中、近所で古い水車小屋を見つけたサイモン。水車小屋になぜだか心惹かれますが、その日を境に、小屋に掛けてあったコートを纏った3体のかかしが、家に少しずつ近づいてくるようになったのです。サイモンの抱く孤独や嫉妬、継父への憎しみが、水車小屋で過去に起こった忌まわしい出来事を、再び呼び覚ましてしまったのでした。サイモンはかかしを止めることができるのでしょうか……。

かかし_見開き

あなたのロゴ入りTシャツに対する気持ちは、少年・サイモンが、継父のジョーに抱いている思いと似ている気がします。サイモンはジョーの一挙手一投足を亡き父と比べては苛立ちを募らせ、ジョーの味方をする母や妹ともすれ違っていきます。
しかしサイモンが許せないのは、本当にジョーなのでしょうか。おそらく違います。新しい家族へのとまどいや、亡くなった実父への申し訳なさ、母を取られたような感覚、継父にすんなり馴染んだ妹の眩しさ、プライド等々に、がんじがらめになってうまくやれない自分自身に苛立っているのです。ジョーを前にすると、うまくやれない自分が顔を出す。そしてそれをわかっていてもどうにもできない、という悪循環の中で、もがいているのだと思います。

ロゴ入りTシャツを前にすると、それにそぐわない(とあなたが思っている)自分を認識しなければならない。ロゴの意味なんて深く考えず、さらりと着ている人の眩しさも際立つ。そんなふうに、Tシャツを通じて自分自身の扱いかねる部分と向き合わなくてはならなくなるのが、しんどいのではないでしょうか。
『かかし』の主人公・サイモンも、家族との確執を深めるたび近づいてくるかかしから、最初は目をそらします。かかしはサイモンの扱いかねる感情に反応して、存在感を増す化身のような存在です。それでも「ただのかかしだから。馬鹿馬鹿しい」と自らに言い聞かせて、かかしの侵入を容易いものにしてしまうサイモン。サイモンは、かかしに取り込まれてしまったのでしょうか……?
 ロゴにそぐわないと思ってしまうのは、自分のどんな部分でしょうか。なぜそう思うようになったのでしょう。ロゴ入りTシャツが着られたほうがいいというわけではありませんが、いっそそれを手がかりにして、自らの気持ちの引っかかりがどこにあるのか、深く堀ってみるのはいかがでしょうか。扱いかねる部分に、飲み込まれる前に。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

詩学

『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』

松本仁助、岡道男訳 岩波文庫

モヤモヤは学びの始まり

あなたのお悩み、すごくおもしろいなと思いました。ぼくが特に注目したのは、「言葉の意味を知っているかどうかによって感じ方が違う」という点です。
アラビア語とかヒンドゥー語では気にならないのに、自分のわかる外国語のメッセージがTシャツに書いてあると気が引けてしまうのは、つまりそこに書かれている言葉の意味と、それを着ている自分の実態が合致しないと感じているということ。言葉の意味がわからない場合には、イメージと実態のギャップに苦しむことはない。それはその文字が、あなたにとって単なる「模様」だからです。
さて、この現象は一体何なのか。僕は「これは、ミメーシスだ」と思いました。ミメーシスとは、物真似をするとか手本を習う、学ぶといった意味の古代ギリシャの概念で、「模倣」と訳されています。あなたのお悩みは、まさにミメーシスにつながるものだと思うのです。

例えばTシャツに「Perfect Smile」と書かれていたとしましょう。パーフェクトなスマイル。そのイメージを自分は真似できていない、追いつけない。そう思うから苦しくなる。
実態が追いつかないことに苦しむ、これはまさにミメーシスとしての学びの本質です。「Perfect Smile」と自分の実態に差異があることをまず認識する——Perfecte Smileを目指すかどうかにかかわらず、理念と実態の乖離を認識すること自体、学びへの入り口だと言えるのです。Perfect Smileってどんなスマイルなんだろう、と考えるきっかけになるわけですから。

逆の例で、外国人が腕などに掘っている漢字のタトゥーに、「なるほどこういう意味でその漢字を選んだのだろう、でも日本人なら絶対そうは使わないな」と思うことってありませんか? 部外者にとっては「ギャップがおもしろいな」と思うだけのことですし、本人はそのギャップに気づいていない。でも実は、そこにも大きな学びの可能性が潜んでいるのです。
あなたの場合、Tシャツに書かれた文字の本当の意味を知っていて、現実のギャップに気がついている。それはつまり、「perfect」とは何を意味するのか、と考え始める思考の入り口に立っていることに他ならない。もう学びが始まりかけていますよ、と後ろから声をかけたい気持ちです。もっと言えば、アラビア語なら気にならない、なんて言わずに、なんて書いてあるんだろうと一歩踏み出して調べてほしい。そこからまた学びが生まれていくのですから。

そもそも文字というのは、そういう存在なのではないでしょうか。知らない人にとっては単なる模様に過ぎませんが、知っている人には「意味」が勝ってしまう。
こうなると、さらに文字についても知りたくなってくる……そんな方には『図説古代文字入門』(大城道則他著、河出書房新社)もおすすめです。Tシャツ1枚から、みるみる学びの世界が広がっていく。そう考えると、なんだか楽しくなってきませんか?

集合

〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、15日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。


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