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これまでで一番写真集にしたかった。 『Station』刊行に寄せて①

鷲尾和彦

夕書房では2020年6月末、鷲尾和彦さんの6年ぶりの新作写真集『Station』を刊行しました。この作品ができるまでとそこに込めた思いとは。鷲尾さんへのインタビューをお届けします。

Station」を撮影したのは、2015年9月9日、オーストリア・ウィーン西駅のホームです。ウィーンから1時間ほどのところにある町で開催されたアートフェスティバルでのプロジェクトを終えた僕は、空港に向かっていました。当時、日本への帰国便に乗るにはウィーン西駅で列車かバスに乗り換える必要がありました。

「バルカンルート」が閉鎖される直前で、大勢のシリア難民の人たちが陸路で西ヨーロッパに向かっていました。オーストリアは東欧から西欧への玄関口。ウィーン、ザルツブルグをはじめ、各地に仮設の難民キャンプができていました。ドイツとオーストリアが彼らを積極的に受け入れていることは連日の報道で知っていましたが、そのときオーストリアの地方都市にいた僕のような外国からの旅行者は、最前線の場所に立ち入ることはできません。
地元ヨーロッパの人にとって状況は違ったでしょう。国境を超えた人々が高速道路沿いに列をなして入ってくる、自分の村を突然見知らぬ大量の人たちが通り過ぎるという光景を目にしていたと思います。でも旅行者の目からは少し離れていた。

あのとき僕は、世界の中心にいた。

予感というか、気配はすごくありました。町全体がざわざわしていた。駅には大量のペットボトルの水をカートに積んで運ぶボランティアがいるとか、みんなが何かを待ち構えている、台風の襲来に備えているような雰囲気でした。雨が激しくなってきたと思っていたら、突然台風の目の中に入った——あの日ホームで移動する人たちの波に巻き込まれたときは、そんな感じを覚えました。

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驚いたというよりは、ある種の高揚感があったように思います。「難民」と呼ばれる人たちだ、とは正直あまり思わなかった。気づくのに少し時間がかかったくらいです。それよりも、ああ、こんなにいろんな表情の人たちがいる、今彼らは大きな波となって移動しているのだ、と直感して気持ちが高揚したのです。

オーストリアは多民族国家であり、ウィーンなどの都市部には移民の人も多く住んでいます。でも自分から意識的に一歩踏み込まない限り、どうしても近いライフスタイルの人たちと触れ合うことが多くなる。それは国にかかわらず、東京でも同じではないでしょうか。生活圏というのは、自然と分かれてくるものですよね。

でもあのとき駅のホームでは、そうした境目や見えない規制があっけなく壊れて、あらゆるレイヤーの人々が混じり合っていた。人の波によって、世界が本来あるべき姿へと無理やり開かれた、と感じました。多様な人々が行き交うことで生まれる熱量が「場」を変化させている。自分がその場に身を置いていることへの高揚感が、僕に写真を撮らせたのだと思います。

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難民問題に真剣に取り組んでいる方、ジャーナリスティックな視点で撮影している写真家の方もたくさんいます。そういう方たちに僕の動機は不謹慎に映るかもしれません。ただ、あのときの僕はもっと直感的なレベルで、世界が動いている渦の中に立っている以上、この場の熱量を、人々の表情を、この時間を撮りたい、撮っておかないといけない、と思ったのです。

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「世界が動く真ん中にいる」。 それは、初めての写真集『極東ホテル』を作った時も同じ感覚でした。
撮影した2005年当時は、民泊もなければソーシャルメディアも普及していませんでした。偶然知り合った宿のおかみさんに会いに行き、ロビーに座っていたら、目の前をいろんな国の人が出たり入ったりする。山谷のドヤ街の簡易宿泊所が立ち並ぶ一角にある小さなホステルです。日本人すらほとんど入ってこないようなところなのに、「今俺は世界の中心にいるんだ」と感じた。世界の真ん中にいるんだから、写真撮らなきゃ。そう思って、まだ1枚も撮っていないのに3ヶ月後に写真展をやると決めてしまったのです。

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ウィーン西駅で感じたのも、それにとても近い感覚でした。彼らが難民だから撮るというより、今目の前で動いている「世界の真ん中」の風景に目を凝らしたい。そんな直感的な動機からカメラを取り出したのです。

過去に出版した『極東ホテル』や『To the Sea』は、いずれも長い時間をかけ、撮影したシリーズでした。『極東ホテル』は写真展開催という短期的目標ができたことで撮影がスタートしましたが、何度も写真展を行う中で、「まるで自分が旅をしているときの表情のようだ」と自己投影する人が増えていき、5年後に本になりました。
また『To the Sea』は、初めてカメラを手にした直後から、自分の中の「海」を形にしようと撮り始め、20年間かけて完成させたライフワークともいえるシリーズです。いずれも、いつかは作品集にという目標を持って撮影を続けていた。

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でも『Station』は、本当に出会い頭での撮影であり、作品として撮ろうという気持ちもなければ、撮ったところで発表できるとも思わない。とにかくこの瞬間を撮っておかなきゃ、ただそれだけだったのです。作品と呼べるかわからないけれど、あの光景を見たこと自体はどこかに残したい。撮影した写真を見返すたびに、そういう思いが募っていきました。その意味では逆説的なようですが、これまでで最も写真集にしたかったシリーズと言えます。だからこそ悩み、葛藤が続いたのですが。

海外で2度の展示、でもそれで終わっていいのか。

初めて写真を見せたのは、撮影のきっかけとなったオーストリアのアートフェスティバルのディレクターの方でした。「あなたの街から帰る途中で撮った写真です。どう思いますか?」と、この写真が現地の人にどう見えるのかを知りたくて写真を送りました。すると、「これは自分たちの国でこそ見せるべきだ」と言ってくれて、彼らが翌年に企画していた難民キャンプ跡地でのアートフェスフェスティバルで展示することが決まったのです。

かつてオーストリアでは貨物を鉄道で輸送しており、線路脇に巨大な配送センターが置かれていました。その後トラック輸送が主流になると配送センターは高速道路脇に移転、使われなくなった建物が列車でオーストリアを通過する難民たちの仮設収容所となりました。彼らはそこを舞台にフェスティバルを企画していました。

2015〜16年に人口20万人のこの町を6万人の難民が通過したことにちなみ、建物内に6万本の花を植え、その間に僕の撮影した写真が展示されました。2016年9月、撮影からちょうど1年後のことです。この写真を見せるのにこれ以上の場所はない、と感激しました。

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でもそれでもどこかモヤモヤは残っていた。現地で展示すれば、実際にあの光景を目にしていた人たちに6万人の存在の記憶を呼び起こすことはできる。でもそれだけでいいのか、と。

するとさらに1年後、その展示を見たインド系イギリス人のパフォーミングアーティストから、移民・難民がテーマの新作パフォーマンス公演を行うので、劇場のロビーでこの写真を展示させてくれないか、という依頼を受けました。バーミンガムで行われたこけら落とし公演に招待されて会場を訪れたとき、すごく伝わっていると感じました。というのも彼ら自身が移民の子孫であり、そうしたテーマに関心のある観客が来ていたからです。この展示はパフォーマンスとともに、その後ヨーロッパ中を巡回しています。

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海外で受け入れられるにつれ、やはりどうしても日本でこの写真を発表したいと思うようになりました。そしてそれが一番難しかった。どのタイミングでどんな文脈があれば日本で発表できるものになるのか、ずっと悶々としていました

日本在住移民たちの姿、あるいは海外の日系移民の姿を捉えた写真家の仕事はたくさんあります。そこには今日本で暮らず私たちとの関連性がある。でも世界のどこか知らない場所で、日本人ではない人たちが移動し続けることを強いられているという状況を、何のゆかりもない僕が撮った写真の位置づけは、非常に難しい。僕はジャーナリストではないし、これらは社会問題を訴えるために撮った写真でもない。たまたまその場に居合わせて撮っただけだ、と言われればその通りなのですから。

「写真の力」が試されている。

その後、横浜市の黄金町・高架下スタジオSite-Aギャラリーで展示する機会を得ました。この写真の扱い方にずっと格闘していた僕は、額装したプリントを展示するのではなく、8台のプロジェクターを使って写真を壁に投影させることにしました。写真が次々と移り変わり、人の渦が鑑賞者の周りをぐるぐると動き続ける。どこに立っても鑑賞者の影が投影される写真に映り込むような空間を作りました。

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展示を見たある人が、こんなことを言ってくれました。「『極東ホテル』は、あなたにとって準備運動だったのかもしれませんね。来る人来る人に向き合いながら撮影した日々が、このウイーンの駅での3時間を生んだのではないでしょうか。人波の中に、忘れられない人の姿がいくつもありました」と。
その言葉を聞いて、やっぱりあのとき撮影した写真は、消えていく映像投影ではなく、写真集という形にして残しておきたいと、強く思ったのです。

実はあのとき駅のホームで、僕自身がアジアから来た難民の一人に間違われるということが起きました。
僕はいつも被写体と目線が合うよう、しゃがんで低い位置からカメラを構える癖があるのですが、そんなふうに浅黒いアジア人が難民たちと一緒になって撮ったり遊んだりしていたからでしょう、白人の若いボランティア男性に「大丈夫ですか。水がどこにあるかわかりますか」と声をかけられたのです。
「いやいや僕、違うんです」とはとても言えなかったし、思いつきもしませんでした。そして、今パスポートがなければ、僕は身分さえ証明できない。自分のアイデンティティが実に薄っぺらくて危ういものの上にしか成り立っていないと感じ、緊張しました。そのとても個人的な経験がずっと心の奥に残っている。

この写真が、難民をたまたま撮っただけででしかない写真なのか、それとも忘れられない人や自分自身の姿が写っていると感じさせる写真なのか。何か、そのことが試されているように感じました。
これは僕の作品力や技術力といった属人的なことというよりは、もっと「写真」そのものの存在、「写真」そのものの力のことです。

一番遠いものが一番近くに引き寄せられる。そんな見えない存在への想像力を与えてくれるのが、僕にとっての「写真」の力です。
世界を美しく写す画像があふれる今、トレンドに合う写真集ではないでしょう。でも、ヨーロッパを移動する異国の人々と日本で暮らす僕らが想像力でつながるとしたら、それは写真の力を最も表すことになるし、生きる場所や時間を超えて、響き続けるものになるかもしれない。だから、このシリーズはどうしても写真集にしたかったのです。

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あの3時間で撮影した写真は、600枚程度。あまり多くはありません。
黄金町の展示では約200枚を投影しました。会場で絶え間なく映されるそれらの写真に囲まれているうちに、どうしても忘れられない人たちの姿が立ち現れてきました。数にして30枚くらいです。
その人たちの姿が自分の中でくっきりと浮かぶようになった頃に、編集者の高松さんにお会いすることができたのです。写真集を制作する段階では、デザイナーの須山さんが時間の流れを感じさせるものにするために少しだけ点数を増やしてくださいましたが。

『極東ホテル』は5年、『To the Sea』は20年という長い撮影期間を経ました。今回は撮影はわずか3時間ですが、その後の5年間、僕はこれらの写真をずっと見ています(笑)。やっぱり時間はかかるんですよね。
須山さんや高松さんとの出会いがなければ形にはならなかったけれど、人に写真を見てもらう時間を長く持てたことは、この作品にとってとても重要だったと思っています。

(2020年5月11日/Skypeインタビュー/聞き手とまとめ:夕書房・高松、写真:鷲尾和彦)

写真集『Station』はこちらから

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220mm × 220mm |上製本| 88ページ|栞つき(寄稿:梨木香歩)
日英バイリンガル|デザイン:須山悠里 ISBN: 978-4-909179-05-0 | Published in July 2020
発行:夕書房


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