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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から・15

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉地域に居場所をつくりたい
職場の気の合う同僚と学生時代の交友関係という、やや偏った人間関係の中で生活していることに、物足りなさを感じています。
友人の多くは子育てが忙しそうですが、夫とふたり家族の私は、今住んでいる地域に親戚もおらず、趣味以外の居場所がありません。
コロナ禍に突入したことで、読書・散歩・語学学習など、一人での時間の過ごし方ばかりが上達してしまい、さらに焦りを感じはじめました。
孤独というわけではないのですが、さまざまな職業・属性の人と教養を高め合える「コモン」が生活の中にあったらな、と思うのです。地域の読書会への参加なども考えましたが、動機が不純な気がして、二の足をふんでいます。
こんな私に、アドバイスをいただけると幸いです。  (Y・40代女性)

◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『戦後文学エッセイ選 第7巻 富士正晴集』

富士正晴著 影書房

富士正晴

自分のいる場所を「コモン」にしよう

ご相談の中でYさんが、「夫とふたり家族の私は、今住んでいる地域に親戚もおらず、趣味以外の居場所がありません」と書かれているのを読んで、私がまず思い出したのは、この本でした。

本書の著者、富士正晴は戦前から戦後に活躍した、徳島出身の文人です。
戦後、文芸同人誌「VIKING」を創刊し、島尾敏雄ら多くの作家を見出したことでも知られています。
実は富士も細君とふたり家族です。晩年まで大阪府茨木市の竹林に住居を構えていたため、竹林の隠者と呼ばれていました。
「私は最近になればなるほど日本の戦後と反りが合わぬ感じがする」とたびたび語っていることからして、彼もYさんと同様、社会の中に居場所を見出せていなかったようです。

その一方で、富士のもとには多くの人が訪ねてきていました。社会の端っこにある竹林の家にはたびたび来客がありましたし、自身の活動を通しても、詩人や研究者などと幅広く交流をしていたようです。
Yさんが趣味以外の場所を社会の中に見つけられないのなら、富士のように自分のいる場所自体をそうした「居場所」にしてしまうというのも、一つの方法なのではないでしょうか。

ただ、富士自身には、自分から「場」を作ったという意識はさほどなかったかもしれません。
「多くの日、私は上機嫌ではないが、不機嫌でもない。来客があると、多くは青眼で迎え、竹林の七賢の親玉の阮籍のように俗物は白眼で睨むということをしない。従って俗物も舞いこみ、わたしが彼あるいは彼女の来訪を大よろこびで迎えたと思いこんでいる」と書いていて、自分の気に入る人だけを呼び込んでいたわけではなかったようなのです。
彼のもと——家などの物理的な場所だけでなく、活動も含む——には、とにかくいろんな人が集っていた。そして富士は、そうして寄ってくる人を誰であれ拒むことなく、「よく来たね」とあたたかく迎え入れていたのだと思います。
執筆以外にも書画を熱心にしていた富士の個展をきっかけに、鶴見俊輔と小田実が出会い、ベ平連運動が始まったりもしている。彼のつくった集まりでは、さまざまな化学反応が起きていました。
「コモン」というのは、こういうところに生まれるのかもしれません。

記念館

茨木市には富士の書斎を再現した「富士正晴記念館」があるので、機会があればぜひ訪れてみてください。こぢんまりしていて簡素ですが、居心地がよさそうで、人を拒まない雰囲気のある書斎です。
そういう場所を自分で構えてみるのもいいでしょうし、自宅ではない別の場所に定期的に「座」を持つというのもいいでしょう。
自分のまわりに「コモン」が自然と生まれてくる——本書には、場づくりのヒントが詰まっていると思います。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『ゆるゆるスローなべてるの家 ゆっくりノートブック4』

向谷地生良、辻 信一著 大月書店

ゆるゆるスロー

動機はいろいろあっていい

ご相談の中で、もう一つ気になったのが「動機が不純な気がして、二の足をふんでいます」という箇所です。そこで、ぜひこの本をご紹介したいと思います。

1984年、精神障害などを抱えた当事者の地域活動拠点として、北海道浦河町に設立された「べてるの家」。そのスローな取り組みに着目した文化人類学者の辻信一さんが、設立者である向谷地生良さんにインタビューした本です。

向谷地さんは本書の中で、ご自身の幼少期の体験も語っているのですが、中でも印象的なのが、中学校時代の野球部での出来事です。
小学生までは野球を楽しんでいた向谷地さんですが、中学の野球部は生理的に合わなかったというのです。大人になって振り返ると、それはみんなが同じ格好で同じ方向を向いて動くことへの拒否感だったのではないか、と向谷地さんは言います。

「べてるの家」では、メンバーを無理矢理同じ方向に向かせることはしていません。向谷地さんはそれを、「自分たちの中から否定的な言葉を作らない、発しない」と表現しています。
たとえば「この街は危険に満ちていて、『べてる』にいたって安心できない」という被害妄想を抱いて周囲にバリアを張り、それを言葉にして吐き出していたメンバーがいました。でも周りの人はそれを「それは事実じゃない」とか「そんなことない、危なくないよ」と否定することなく、ただ彼と一緒にいた。
すると次第に、彼の様子が変わってきました。口調も柔らかくなり、「実は自分で張ったバリアのせいで、自分自身が生きにくくなっているんです」と自ら打ち明け、コミュニケーションが取れるようになったというのです。「べてるの家」のメンバーたちが異なるお互いを否定することなく、各自のペースで生活することで、彼の吐き出したものが少しずつ分解されていったのだと思います。

自分が読書会に参加したいと思う動機が「不純」だと感じるYさんの心の奥底には、もしかしたら「みんなが同じ方向を向いていなければいけない」という考えがあるのかもしれません。
でも、あなたの求める「コモン」とは、みんなが同じ方向を向く集まりというよりは、むしろ「べてるの家」のように、多種多様な人たちがいればこそ立ち上がるもの。
だとしたら、それぞれがそれぞれの動機で参加しているほうがおもしろいに決まっています。思いもつかない理由で集まってきた人同士のほうが、化学反応は生まれやすいのですから。

まずは本書を読んで、心の凝りをほぐし、ゆったりとした気持ちで読書会などに参加してみてはいかがでしょうか。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

『リヴァイアサン1』

ホッブズ著 角田安正訳 光文社古典新訳文庫

リヴァイアサン

前近代の思想に触れ、「こうあらねば」を解きほぐそう

ご相談を読んで、ぼくもやはりYさんの「こうあらねばならない」と自らに縛りをかけてしまっているところが気になりました。
「読書会とはこうあるべきだ」という理想像と自分の動機が違っているから、参加に二の足を踏んでしまうし、その結果、閉塞感がますます募ってしまう。
まずは一つのことに一つの目的だけがあるような、「かちっとした」関係を解きほぐしてみようということで、本書をおすすめしたいと思います。

著者のトマス・ホッブズは、16〜17世紀のイギリスを生きた哲学者・思想家です。
『リヴァイアサン』が書かれたのは、ピューリタン革命の時代。このときイギリスでは内戦が起き、国が王様派と議会派に二分した結果、国王が処刑されてしまうというショッキングな事件が起きました。
人間というのは放っておくと、王様さえ処刑するような最悪の状態に陥る。国家権力がなければ「万人の万人に対する闘争状態」になってしまうのが人間であって、だからこそ「社会」が必要なのだと、ホッブズは書いたわけです。
これは近代国家論の原点という意味でも重要な本なのですが、実は第1巻のメインは社会の話ではなく人間の話。そこがすごくおもしろいんです。

ホッブスはこの1巻で、現代のぼくらにとっては当たり前と思うような人間の本性について、一つひとつ考察しています。
たとえば第2章は「イマジネーションについて」。イマジネーションといえば、想像や想像力。ゼロから1を生み出すような、新しいものをつくり出す力のことですよね。でもホッブズはイマジネーションを、薄れゆく感覚、記憶のことだと言うんです。大量の記憶とは経験であり、それがイマジネーションなのだ、と。ぼくらの感覚とはまったく違いますよね。

もう一つおもしろかったのが、宗教についてです。
近代において宗教は科学と別だとされていますが、ホッブズは「信仰心を持つのは人間だけであって、霊験やご利益といったものは人間にしか存在しない」と言いつつ、その信仰心とは「原因を知りたいと思う欲求から芽生える」と定義している。つまりホッブズは、科学的な思考と信仰は決して矛盾しない、原因を知りたいという点では科学も信仰も一緒なんだと言うわけです。
これもまた、近代以降の我々の考え方とは異なっていて、読んでいると自分たちが当たり前に思っていたことが次々と覆されていく感覚に襲われます。

そして、「万人の万人による闘争状態」を解消するために社会が必要だというホッブズの論の前提となっている「人間」の定義自体が、我々とは違っているわけで、ホッブズの言う「社会」とぼくらが言う「社会」が一緒なのかどうかさえ怪しくなってくる。
本書は、Yさんの当たり前を解きほぐすのに、とてもよい教科書になるのではないかと思います。

『リヴァイアサン1』が絶妙だと思うもう一つの理由は、ホッブズの生きた16〜17世紀という時代にあります。
ホッブズの後にはルソーが登場するのですが、ルソーの本は近代的すぎて、ぼくらにとって驚きはありません。一方、ホッブズより前になると神様の話ばかりで、ぼくらにはようわからん、となる(笑)。それに比べ、ホッブズの時代は、信仰と科学が同居していた。前近代でありつつ、近代的な意味で「社会が必要」とも言っているから、ギリギリぼくらにもわかる。
これは、近代にどっぷり浸かって苦しくなっているぼくらの心と頭をほぐしてくれる、ちょうどいいバランスにある時代の書物なのではないでしょうか。

集合

〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。

青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』『山學ノオト2』(エイチアンドエスカンパニー)がある。11/19・新刊『手づくりのアジール—「土着の知」が生まれるところ』(晶文社)が発売予定。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信1」(在庫僅少)が、『山學ノオト』『山學ノオト2』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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