公園の存在意義
僕自身かなりの過疎地出身なので、そもそも公園というものが無く
公園=山
であったり
公園=野原
であったり、とりあえず拓けている場所で走り回ったりサッカーをして遊んでいました。
そんな自分も歳を取り、上京し1児の親として生活している中で、田舎育ちの僕からしたらちょっと考えられないことが。
「公園内でボール遊び禁止」
「大声を出すこと禁止」
↑このような文言が公園の入り口に書いてありました。
いやいやいや、、、
いやいやいや、、、
じゃあ子供はどうしろと。
家でゲームばっかりしてると
「外で遊びなさい!」
と怒られ、かといって外で遊ぼうにも声も出せなきゃボールでも遊べない。
挙句の果てには危険だからと言って遊具もどんどん撤去されてく。
そうなるとどうなるか
「そりゃみんな公園でゲームしだすわな」
大声も出していない
ボールも使っていない
外で遊んでいる
今の子供たちが一番利巧かもしれない。
子供だって四六時中大声出しているわけでもないし、ネットでも張っておけばボールで窓ガラス割られる心配もない。
ただでさえ少子高齢化で子供が少なくなっていっているのに、大事な子供たちが大人のワガママで生きづらくなっているのはちょっとどうかと思う。
どんな子供も可能性は未知数。それを伸ばすことが大人の役割なはずなのに、可能性が伸び切っている大人が生きやすい世の中にしてその先に何が残るのかと。
年金だの税金だの都合いい時は子供世代に頼る気で居るかもしれないけど、こんな世の中じゃみんな海外に出ちゃうね。
今の子供たちは利巧だから。
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