草野耕一氏の矛盾

 先日、夫婦同氏制を「違憲」と判断した判事の草野耕一氏の意見が、ハフポストの記事にこう書かれていました。

草野氏は、「選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦を同氏とする伝統が廃れるとは限らない」と指摘。夫婦同氏などの伝統文化について、「その存続を法の力で強制することは、我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い」と一蹴した。

(下のリンクより引用)

  草野氏は日本の夫婦同氏制について、伝統であることを認めつつ、法の力で強制していると述べています。しかし、名前の仕組みが法の力による強制と言うのであれば、そもそも名前の構成要素が「氏名」であることに疑問を抱いても不思議ではありません。夫婦の氏をそろえることが法による強制であるならば、日本国における名前の構成要素が「氏名」であることも強制であると言えるのではないでしょうか?世界には法的に氏(姓)が存在しない国があるなど、名前の仕組みは色々ですしね。

 実際に、過去の裁判でも、

婚姻を始めとする身分関係の変動に伴う氏の変更を含む氏の在り方が,決して世界的に普遍的なものではなく,それぞれの国の多年にわたる歴史,伝統及び文化,国民の意識や価値観等を基礎とする法制度(慣習法を含む。)によって多様であること(甲8の18頁から24頁まで。なお,そもそも氏を持たない国も存在する。)

(下のリンクより引用)

と判断されています。

 別姓が認められないのは法による強制という意味で同氏制度を「違憲」と判断してしまうと、以前私が書いたように、複合氏や創氏も認めなければという話になります。そうなると、同氏か別氏か以外にも様々な名前の仕組みがあるので、名前に関する他の仕組みもどんどん認めないと違憲、という判断になるでしょう。突き詰めれば、氏名を名乗ること自体が強制であるという話になりかねません。さすがにそれは非現実的だと思います。

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