見出し画像

【エッセイ】 SIZUYAの「カルネ」を買って帰ろう ~ 京都・奈良に行く話 ② ~

学生時代の授業で引っかかったもの

 小中高と授業のなかで印象深く、引っかかったものがいくつかある。
 英語の細川先生が「フランク・シナトラ(米 歌手)はいい」と話した。どんな楽曲かと思った。今のように検索すればすぐにスマートフォンでそれが聞けるわけでないので、わざわざシナトラのLPレコードを買ったことがある。
 日本史の菅原先生が石器のことで、「二上山のサヌカイト」と話した。そのひとことで、“サヌカイト”とはどんな石か気になって、今もずっとこのフレーズが頭にある。
 中学1年だったと思うが、国語の教科書に「最後の一句」(森鴎外)というのがあった。江戸時代の大坂。捕縛され死罪となる父を救おうと、娘が奉行と対峙する話だが、その緊迫したやり取りが印象的で、教科書の文章を何度も読み返すことは普通なかろうが、冒頭を暗唱できるほど読んだ。大人になって、どんな話だったか気になったので、文庫本を買ったが、中学の授業でこれを読んだのかと驚いた。それほど難しかった。

 「浄瑠璃寺の春」という随筆が高校の現代文の教科書にあった。堀辰雄の文章なのだが、高校生の私は堀辰雄など知らなかった。ただ、なにか文章が心地よく、馬酔木、蒲公英、薺、菖蒲といった春の花々が優しく描かれていて、浄瑠璃寺とはどんなところだろうと思った。境内の池越しに撮った阿弥陀堂の写真と、阿弥陀堂の中の九体仏の写真がそこにあったような気がする。今どきの教科書なら写真もカラーだろうが、当時は白黒で画質も荒い。そのためによけい浄瑠璃寺へ興味がわいたのだと思う。
 浄瑠璃寺は京都府木津川市にある。隣が奈良市なので、奈良の寺のイメージが強い。

 前回、賀来賢人とともに新幹線で京都に来たのだった。ここで乗り換えて奈良へ行く。

万燈籠

 奈良へは何度も行っている。
 中学生のころ、NHKで放送されたドラマ『万葉の娘たち』(作:市川新一)で、春日大社の「万燈籠」が描かれていた。ストーリーとともに、この情景がきれいで、これを一度見たいと思った。大学生になって、私は8月15日に奈良に行き、その後、何度もこの日通うようになった。春日大社境内の3000基の燈籠に火が灯され、幽玄な夜となる。
 この夜、東大寺の燈籠にも火がともる。大仏殿の正面上部に普段開かない窓(観相窓)があり、その窓が開き、ともし火に照らされた大仏様が顔を出す。大仏殿を囲む回廊の正面から、大仏殿の中にいらっしゃるお顔が見える。水銀灯やLEDの水色の明かりでなく、橙色のともし火に照らされたお顔は、 ゆったりと何かを私たちに諭しているように思える。

観相窓(中央に大仏様のお顔が見えます)

甘樫丘から時間を感じる

 奈良も京都も、寺だ、文化財だ、と一括りのイメージを持つ方が多いようだが、そうでない。

 奈良は4世紀の古墳時代から、飛鳥時代をまたいで、奈良時代の終わりまでだと8世紀までになり、500年の幅がある。神話や伝説もあり、大和朝廷以前の豪族が勢力争いをしていたころの遺跡もあり、仏教伝来で国づくりをしていたころのお寺もある。
 京都には、華やかなりし平安貴族がいて、鎌倉、室町と進めば禅宗や、武士の足跡が強くなる。
ざっくりいうと、非常にざっくりいうと、「奈良は仏像、京都は庭」に色分けできるような気がする。
 といいながら、飛鳥の話からしたい。飛鳥は平城京(奈良市)に都が移される前に政の中心であった場所である。奈良から電車で30分南へ行ったところにある。都があったとはいえ、1500年ほど昔なので、今は田んぼや畑が広がり、小高い山があると思えば古墳だったりする。ゆるーく、ゆるーく、時間が流れているような気分になる。そんな緩やかな時間のなかに、今でも聖徳太子、蘇我氏、物部氏、中大兄皇子…彼らがいるような気がする場所である。「甘樫丘」という小高い丘があって、上まで登れば適当に息が切れるほどの高さで、大和盆地を見下ろし、香具山、畝傍山、耳成山の大和三山が一望できる。そこに蘇我氏の邸宅があった。天皇家をしのぐまでの蘇我氏の権勢を実感できる場所である。麓にある飛鳥寺には、釈迦如来さまが推古天皇がここを創建した当時からそのまま座っていらっしゃる。
 そんな遠い昔が、今と連続している気配を感じることは、私は楽しい。

迦楼羅の嘴

 窓越しの大仏様を知ったのは、入江泰吉の写真からだった。
入江泰吉(1905~92)は、風景、仏像、暮らし…と奈良を撮影し続けた写真家である。
 その中に、奈良への想いや対話がある。そこに写されている空気や光は、限りなく澄んでいて、見るものの気持ちを吸い込んでしまう。
 奈良に私が魅かれた理由のひとつに入江の写真もある。

入江泰吉『大和路巡礼』

 奈良市の中心部、奈良県庁の向かいに興福寺がある。
 興福寺の阿修羅(あしゅら)は有名すぎる。私は興福寺の迦楼羅(かるら)が好きだ。京都の三十三間堂にも迦楼羅がいるが、興福寺の方が威厳のほかに愛嬌もあって好きだ。迦楼羅は神話上の巨鳥で龍を常食とする。嘴のある顔。この嘴で、害を与える一切の悪を食いつくし、人々に利益をもたらすとされる。
 眼光鋭く、すっくとした立ち姿が凛々しい。
 同時にちょっと上向きの嘴がかわいい。
 肩にスカーフを巻いているところもおしゃれで、なにもかもステキである。

興福寺の迦楼羅像


 新薬師寺の十二神将もカッコいい。
 十二神将は、薬師如来の世界とそれを信仰する人々を守る。鎧を着て武装している。表情にも怒りや他を威嚇する激しさがあり、なんともカッコいい。薬師如来を中央に十二支の方向に配置されているため12人の大将である。
 仏像の見方もさまざまで、もちろん信仰心で仰ぎ見るのもひとつ。塑像だ、乾漆造だというような技法、歴史・由来…もある。そして、ファッションやカッコよさや、ものによってはセクシーさも魅力の重要ポイントだと思う。私は、そこに目がいく。
 そして、仏像ファンは、仏像が「ある」とはいわず、「いる」「いらっしゃる」といい、「見に行く」ではなく、「会いにいく」という。「迦楼羅に会いにいく」のだ。

アインシュタインのピアノ

 東大寺や春日大社を囲む一帯を奈良公園というのだが、その中に「奈良ホテル」というクラシックホテルがある。明治42年に作られたその建物は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた建築家辰野金吾によるもので, 瓦葺き建築、内装は桃山風、クラシックな洋風美も備え、和洋折衷の威厳ある佇まいで、多くの人を迎えてきた。
 そこに、アインシュタインが1922年に宿泊したときに弾いたピアノが、当時のまま置かれている。ホテルは、当時の音色を維持するため、これまで音色が変わるような修理を行っていなかったが、製造から100年以上たち部品に劣化が目立ったため、来春修理をすることにしたそうだ。それを前に、当時のままの音を聞きながらフレンチをいただく会が12月17日に行われることが発表され、ここしばらく話題となっている。
 隣接する高畑地区には古くから文化人や資産家が多く住んでいた。志賀直哉も10年間居を構えた。そこに、小林秀雄、武者小路実篤、尾崎一雄、小林多喜二など多数の文化人が訪れ、文化交流の舞台として「高畑サロン」と呼ばれる場となった。昭和のモダンな意匠と数寄屋建築の美しさを取り入れた趣ある建物は今も残り、隣は「たかばたけ茶論」というカフェになっていて、そこでコーヒーやケーキを楽しめる。
 奈良はそんな場所である。

そして京都へ

 奈良から近鉄に乗り、40分で京都に着く。
 先ほど、「京都は庭」と話した。きれいな庭が多い。
 13世紀(鎌倉時代)に禅宗が日本に伝わる。禅の思想が抽象化され庭園や建築となった。さらに、室町期には武士の文化とつながっていく。枯山水はその究極で、理想郷に向かう舟を石で表したり(舟石)、伝説の山の蓬莱山や須弥山を石で配置したりしている。
 また、庭園外の景色を庭園に含みこむ「借景」という技術まで現れ、遠くの比叡山を我が庭園のように見せた雄大なものもある。

ウルトラセブンとキングジョー

 今、行ってみたい場所がある。
 市街から北へ行った宝ヶ池にある京都国際会館。1966年に開設された日本で最初の国際会議場である。機能性・合理性を造形理念とした20世紀中ごろの建築を「モダニズム建築」と呼ぶが、ここは日本のモダニズム建築の代表とされる。
 ウルトラセブンがキングジョーと戦った場所としても知られている。建物が壊されずに済んだのは幸いだった。
 “建築好き”としては一度見ておきたい場所だが、そのほかにも近年話題となっているのが、ここの1階ラウンジにある「NIWA café」。レトロモダンなモダニズム建築とカフェ文化の融合をテーマに、家具やカーペット、手すりにいたるまで極められた素晴らしいデザインとダイナミックな空間のなかで、ゆったりと食事や喫茶ができるらしい。
 京都の切り口もたくさんあって、歴史、寺社、桜や紅葉などは基本コース。それを卒業したら庭園や町家。美術や工芸。祭りや伝統芸能もある。そして京料理やカフェや食材。大人になれば、先斗町で遊ぶのもいい。近年は近代建築を取り上げた本が多い。
 そしてこれらは四季折々に違ったものを出してくるので、攻略するには手ごわい。
 8月16日の五山送り火を見るために浴衣と下駄を持って、数年通ったことがある。ホテルで着替えて祭りの喧騒に繰り出すのだが、ソワソワ感漂う町に浴衣で浸るのは楽しかった。そんな楽しみ方もある。

ケーキ ベスト100

 30年ほど前、雑誌『Ray』の付録に「全国 ケーキベスト100」というのがあって、バイブルにしていた。
 その1位が京都の「LA VOITURE」のタルトタタン(りんごのタルト)だった。絶対に食べたいと思い、お店に行った。お店のおばあちゃんユリさん(故人)が、旅先のフランスで食べたタルトタタンの味を元に、試行錯誤して完成させたもので、いつしか「おばあちゃんのタルトタタン」と呼ばれるようになった。私が行ったとき、このユリさんはまだ現役で、手作りのため個数が作れないからと、タルトタタンはワンテーブルひとつの提供だった。店内の片隅に、りんごの段ボール箱が積まれていた。「江刺りんご」と書いてあった。
 このお店に行くとき、近くで道を尋ねた。「この先にぶどうセンターがあるから、その向かい側です」と教えてくれた。葡萄園があるのかと思って歩き続けたが、いっこうにそれはなかった。結局、「武道センター」(武道館)だった。
 奈良では、斑鳩に行く路線バスで、「次はたいしょくかん」とアナウンスするので、「大食漢」かと思い、連れの顔を見てニヤニヤしたが、「大職冠」だった。
 両者ともに、発想が食いしん坊のようで恥ずかしい。

大職冠のバス停

さまざまな切り口

 京都、奈良。
 ステレオタイプに陥らず、ひとりひとりの発見があっていい。素敵なものを見つけると、とってもとっても楽しいと思う。
 私の娘は、舞妓・芸妓に興味があり、小学生のころから詳しかった。

 2回に分けて話した京都・奈良もおしまいにする。
 お土産だって、「八ッ橋」「千枚漬け」「阿闍梨餅」… だけでない。私はSIZUYAの「カルネ」を買って新幹線に乗ろう。

(2023年12月 7日)

SIZUYAのカルネ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?