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おおらかさを測る

今朝、薄暗がりの中で自分の部屋を眺めたら、机や、ローテーブルに計3本のマイボトルが放置されているのが目にとまった。"自分自身の「おおらかさ」について、noteに書いてみたい"。起き抜けの頭でふとそう思った。

今日はたまたまマイボトルだったけれど、だいたい2日間で使用したマグカップ、湯呑みやグラスが合わせて4個放置されている時もある。
こうして片付けられずに放置されたカップたちをまとめて、キッチンに持っていく時、私は内心少しほっとしている。
だらしないなぁ、と自分で自分を責めることはしない。むしろ逆に、こんなにカップたちを部屋に集めちゃうなんて、おおらかで、気が緩んでいて、リラックス出来ている証拠じゃないかと、自分のメンタルに安心感を覚える。

普段、自分が気になることに関して他人には理解し難いほどのこだわりをみせたり、神経質を発揮することもある私。使ったカップをなるべく早く片付けることは私にとっては、わりと普通のこと。その私が複数のカップを片付けないでいるのは、ちょっと通常じゃあない。だけど、これは良いサインであり、自分自身のおおらかさを測るバロメーターにもなっていると最近になって気がついた。

普段神経質なところがある分、ときどきでもぼーっとしていたり、気を張り続けなくて良い状態がある方が、自分のメンタルのバランスをとるためにも好ましいんだろうと思う。むしろ、自宅にいるときは、ぼんやりしたり、ちょっと気が緩んでいる時にするような行動が多い方が今の私には丁度良いくらい。

それで思い出したのが、ときどきやってしまう不可解な自分の行動について。ここで少し紹介させてもらいたい。
電車で出かけ先から帰ってきて、最寄駅に到着し改札を出ようとした私が手に持っていたのはSuicaではなくて自宅の鍵だった。改札機に鍵をかざそうとしていた。
また別の日、帰宅しようとして、いつものように自宅の鍵を開けようと鞄から流れるようにスッと出したのは、Suicaだった。
この2つの行動はどういう訳かときどき無意識にやってしまう。
この不可解な行動をする度に、今までは「何やってるんだ、大丈夫か?」と苦笑まじりに自分を責めていた。
けれど、多分、自分が安心できる場所まで帰って来られて気が緩んで、勝手に体が動いてしまうんだろうな。安心から来る行動なんだと考えれば可愛いもんで、「お疲れさん」と自分を労いたいと最近は思えるようになった。そんな風に捉え直せるほど、自分のおおらかさは成長している。こんな気づきがあった。

普段の行動を俯瞰したら、自分の「おおらかさ」の度合いをなんとなくでも測ることが出来たみたい。まあこれは、おおらかさに限ったことではないけど。自分を俯瞰することで見えてくることや気づきは往々にしてあるもんだ。
今の自分には「おおらかさ」が必要な日々が続いている。だから敢えてこの一点に意識的に注目しているところがあるのも事実。


「測る」という言葉をこの記事で書いていたら、この本を思い出した。

自分の心と対峙する49のことば

お金ははかれます。命ははかれません。
はかれないものをはかるには、
目盛がない魂の秤が必要です。

谷川 俊太郎

この本の帯に谷川俊太郎さんがこのように添えている。胸を打つ、素敵な帯だ。
なかなか興味深い視点で描かれた絵本で、ちょっと元気が出ないときにページをパラパラとめくっては、自分自身と対話する時間を持つ、そんな本。

自分にとって必要な「おおらかさ」を普段の行動からでも、目盛りのない魂の秤を使ってでも意識したり、把握しておくことで、自分の調子が分かる。自分の状態が分かるだけで、気分が少し楽になる。それだけで落ち着かない日々を過ごす助けになる。

こんなことを、文章にして、ふと誰かと共有したくなった。


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