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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4

波切漁港散策

ナビに、大王埼灯台を指示して、安乗漁港をあとにしたのは<11:00>頃だった。岬を上り下りして、海岸に出た。防潮堤際の、ちょっとしたスペースに車を止め、目の前に広がる弓なりの浜辺を見回した。逆光でまぶしかった。手前の砂浜の、すぐ先の海中には、一文字の消波堤が、幾本も横並びしている。景観的には、あまりよろしくない。この時は、なぜこんなところに波消しテトラが並んでいるのか、よくわからなった。今思えば、自分が立っていた防波堤もかなり高かった。高波が押し寄せ、防潮堤を乗り越え、道路際の民家に被害が及ぶかもしれない。いわば、危険個所だ。生命財産を守るため、景観の問題は度外視して、海中に消波堤を設置したのだろう。

さらに、視線を、弓なり海岸の、はるか彼方に向けると、海の中に、黒い点々がたくさん見えた。半端な数じゃない。あきらかにサーファーたちだ。ヒマな奴が大勢いるなあ~、と思いながら記念写真を一枚だけ撮った。調べてみると、やはりサーフィンの名所で<国府(こう)の白浜>とあった。

<大王埼灯台 11時半着>。灯台に一番近い有料駐車場には、けっこう車が止まっていた、ような気がする。気丈夫な漁師のおかみさんといった感じのおばさんが、次々に入ってくる車から、料金を徴収していた。

スカッとした青空ではなく、なんとなく、ぼんやりした空だった。弱い日差しだったが、撮影には問題ない。この日も、重いカメラバックを背負ったのだろうか、この男のことだから、おそらくは、背負ったに違いない。灯台へと至る、細い遊歩道を登り、まずは<八幡さま公園>だ。岬の灯台は、明かりの状態がイマイチだったので、断崖の柵際でひと通り撮って、粘らずにすぐ移動した。灯台の正面を通り過ぎ、防潮堤沿いの階段を一段一段、ゆっくり下りた。別に疲れていたわけじゃない、眼下の海が、あまりにもきれいだったからだ。

よく見ると、浅瀬に岩礁があって、海の色がコバルトブルーだ。岩礁は、かなり広範囲で、ところどころに岩の頭が露出している。そこに沖からの波が押し寄せ、砕けて、白いしぶきが上がっている。天然の防波堤といった感じで、漁船なども、この浜へは近づけまい。人間の出入りがない分、海の色が、なお一層きれいなのかもしれない。

階段を下りきって、崩れかけた旅館の前を通り過ぎ時、ガラスの引き戸のむこうに、黒っぽい人間の上半身が見えた。ちらっと見ると、髪を後ろに結んだ三十代くらいの女性だった。一見してサーファーだとわかった。じろじろ見ることはしないで、すぐに視線を戻した。いまだに、臆病というかシャイですな。少し笑って、会釈したっていいじゃないか。それができれば、もっといろいろな女性と付き合えたかもしれないぜ。爺の繰り言だ。目の前の浜にサーファーはいない。岩礁だらけで、サーフィンなどはできまい。女性サーファーだと思ったのは、勘違いかも知れない。
 
防潮堤の行き止まりまで来た。振り返って、岬の灯台を撮った。今おりて来た長い階段も、しっかり画面におさまっていた。ただし、逆光になっていて、写真にはならない。それに午後になると、日陰になってしまうのだ。それでも、神社の鳥居などを脇に入れ、すこし構図を探った。だが、無理だった。
 
さて、どうしようかと、目の前の長い石段を見上げた。今日は写真撮影の最終日だ。この上の、見晴らし公園から、今一度、海中の防波堤灯台を撮ってみようか。思い切って、石段を登り始めた。途中で、足が重くなり、息が切れた。とはいえ、これしきの階段でと、すこし意地になって一気に登った。やはり、重いカメラバックは背負っていたのだ。

登り切って、一息入れて、神社の方へ歩き出した。今日は明るい雰囲気の、陽気な静けさが漂っていた。突き当りを右に曲がって、木立の中を進むと、椿がたくさん落ちていた。その赤が、むき出しの地面の上で生々しかった。

見晴らし公園からの眺めは、予想に反し、イマイチだった。というのは、薄い雲が出てきて、青空が少ししかない。これでは、曇り空の先日とあまり変わらない。海に突き出た長い防波堤も、その先端にある灯台も、青空と光り輝く海があってこそ、写真になるわけで、二、三枚撮って、あっさり引き上げた。ま、それでも、先日の曇天の写真よりは、多少陽射しがある分、ましだろう。おしよせる徒労感を払いのけた。

ながい石段を、ゆっくり下りた。鳥居をくぐって、防潮堤の上から、岬の灯台を眺めた。当然ながら、日陰になっていて、写真を撮る気にはなれない。ただ、海の方に、多少日が当たっているところがあり、コバルトブルーがきれいだ。夕暮れまでにはまだ時間がある。最後にもう一度、浜に下りてみようか。向き直った。

防潮堤の、浜へと下りる階段付近に、若い女性が二人、互いに記念写真などを撮ったりしているのが見えた。人気のない、日陰の海岸で、しなやかな生き物が、声を発しながら動き回っている。俺が若者なら、近づいて行って、声でもかけたいくらいだ。だが、爺ではあるし、自分の性格からいって、旅先で女の子をナンパする度胸などない。

わざと、女の子たちを無視するようにして、浜に下りた。砂利浜を歩きながら、灯台の立っている岬へ向けて、最後の記念写真を撮った。崩れかかったテトラポットも撮った。打ち寄せる波も撮った。そうこうしているうちに、背後が静かになった。女の子たちがいなくなった日陰の海岸は、波と戯れる、無数の砂利たちのざわめきで満たされた。

旅の最後の日、やや感傷的な気分になったのだろう。自分へのお土産として、いわゆる<那智黒石>を拾い始めた。中指の爪くらいの大きさがいい。つるつるしていて、流線型の、形のいいものを探した。最初は<16個>だけ拾うつもりだった。だが、興に乗って、手のひら一杯ほどの石を拾い上げ、ポケットに入れた。そのうちの一つを取り出し、口の中に入れた。<モロイ>の言うように、この<おしゃぶり石>は、飢えと渇きを、不安と孤独を、癒してくれるのだろうか?石は、すこし苦くて、しょっぱくて、埃っぽい味がした。ただ、口の中で転がすと、滑らかで、気分が落ち着くような気がしないでもなかった。

再度、<八幡さま公園>に戻った時には、陽が傾きはじめていた。灯台と岬にもろ西日が当たっていて、全体的にオレンジっぽい変な色合いになっていた。それに、空の色合いも、上空に薄い雲にかかっているのだろうか、さえない水色だ。もっとも、さほど残念でもなかった。この位置取りからの写真は、すでにゴマンと撮っている。なかには、わりとよく撮れているのもあったような気がしていたからだ。

それよりも、断崖の柵際に群れ咲く、ムラサキダイコンが気になった。これまでは、灯台の前景としてしか画面に入れていない。お花たちを主役にしてみよう。背景は、海と空だけだ。おりしも、画面左側から貨物船が現れた。船体が、きれいなミントグリーンだった。布置的には、西日を横から受ける形となり、色かぶりが減少して、花の紫、葉の緑、海の青、空の水色などが、見た目に近い感じで、撮れていた。それに、岩礁に砕ける波なども入っている。全体的にさわやかな感じで、自分の好きな抒情的な光景だ。もっとも、写真的にはたんなる記念写真だ。すでに、本筋の灯台写真の撮影は終わっていて、観光気分で写真撮影を楽しんでいたのだろう。

さらに陽は傾き、灯台とは反対側の、はるか彼方の岬の上に、目視できない、巨大な光の塊が出現した。落日までは三十分くらいだろう。さてと、ここで引き上げだな。今日は夕陽や夜の撮影はしないで、早めに引き上げることにしていた。明日が、帰宅日ということもあるが、夕陽にしろ、夜の灯台にしろ、昨日、十二分に撮っている。たとえ今日粘って撮ったとしても、昨日以上のものが撮れるとも思えなかった。それに、今日は薄い雲がかかっている。きれいな夕焼けにはならないだろうし、だいいち、すでに頭も体も弛緩していて、やる気が起きない。意識しなかったが、長旅で、体力、気力ともに、限界だったのかもしれない。最後に、今一度、太陽が沈む方角を見たような気がする。水平線近くの海がきらきらと銀色に光っていた。

<八幡さま公園>を立ち去る時、何回この公園を上り下りしたのだろうかと思った、ような気もする。遊歩道を下りきった所には、ちょっとしたスペースがあり、顔をあげると、防潮堤沿いに弓なりの浜が広がっていた。落日間近の銀色の海が、さざめいている。若者四人の黒いシルエットが、その狭いスペースを占拠して、海を眺めながら話をしていた。男だけで旅行に来ているのだろう、<青春>がちょっとだけ羨ましかった。

海に背を向け、なだらかな坂をぶらぶら歩いて、有料駐車場に向かった。両側には民宿や土産物屋がならんでいる。まずは機材を車におろし、軽登山靴をサンダルに履き替えた。まだ明るかったので、再び、カメラを一台首にかけ、駐車場の周辺を探索した。土産物屋の店先には、青い金網の上に、アジがひらかれて、きれいに並んでいた。一瞬、土産に買っていこうかと思った。ま、アジの干物は好物だ。だが、即座にその考えを打ち消した。まずもって、明日帰るわけだし、一晩、アジの干物を車の中に置くわけにもいかんだろう。生臭いにおいが、車内に充満したら、目も当てられない。

次に目についたのは、<海女専用>と書かれた表示板だ。そこは係船岸壁の奥まった一角で、コンクリの敲きが、海に向かって斜めに打ってある。サザエをたくさん獲った海女さんたちの船が陸付けされるのだろうか、あるいは、海女さん専用の駐車場ということなのだろうか、判断に迷った。ま、どっちでもいいけど、周辺には、植木鉢なども置かれていて、使用しているとも思えなかった。<海女>>いう文字に対面するのは久しぶりなので、一瞬、昭和の時代へ戻ったような気がした。

向き直って、その場を立ち去ろうとしたとき、コンクリの敲きと道路との隙間に、ピンクの小さなお花をたくさんつけた、一塊の植物が目に入った。二十センチほどの高さで、どこかで見たような気がした。そばにしゃがみこんで、よくよく見たものの、名前は思い出せなかった。だが、けなげな美しさに打たれて、謙虚な気持ちになった。二、三枚、位置取りを変えながら、写真を撮った。いま調べてみると、どうやら<ヒメキンギョソウ>らしい。海女には姫金魚草がよく似合う、なんてね。

車からは、さらに離れて、道の曲がり角まで来た。小さな漁港だが、防波堤が入り組んでいて、その先端にそれぞれ、白い小さな灯台が見えた。二つとも、先ほど、岬の上の見晴らし公園から見たものだ。ただ、位置取りが全く違うので、同じ灯台とは思えなかった。あと、防波堤には、三々五々、釣り人の姿が見えた。岬の上から見た時は、人間の姿など、ほとんど気にならなかった。平場に下りて来たとたん、同類が気になるらしい。

曲がり角に立ち止まって、さらに念入りに辺りを見回した。小さな漁港の風景だ。対岸には、お寺らしきものがあり、自分がさっき歩いた岸壁沿いの道を、人間が幾人か連れ添って境内の中へ入っていく。神社に登る急な石段も見える。背後は、三角おにぎりを二つ並べたような地形になっていて、左手は神社のある岬、右手は大王埼灯台のある岬だ。意外なことに、その三角おにぎりの谷間辺りに大王埼灯台が少し見えた。しかし、残念かな、ここからでは、位置取りが悪すぎる。<灯台の見える風景>とまでは言えない。

今一度、辺りを見回した。岸壁沿いの道を、このままずっと歩いていくと、道路際に空地のようなものがみえる。<灯台の見える風景>は、布置的には、あそこしかないだろう。ただ、サンダル履きで歩いていくには、ちと遠い。すぐに車に戻った。有料駐車場をあとにして、空地に車を乗り入れた。思った通り、いい感じで、岬に立つ大王埼灯台が見えた。カメラのファインダーを覗き、構図を探りながら、灯台が、漁港とそこに暮らす人間の家々を見守っている、と思った。そこはかとない郷愁を感じた。

ただ、ここは自分の場所ではない、とも思った。自分の場所は、ここから車で高速を500キロ走った、関東平野の西側だ。海もなければ灯台もない、マッチ箱のような家がひしめく住宅街のアパートの一室だ。そのことを時々忘れてしまう。忘れてしまって、息苦しくなる。広い所に飛び出したくなる。だが、飛び出したものの、じきに自分の場所が恋しくなって、戻りたくなるのだ。

八泊九日の、紀伊半島の旅が終わろうとしていた。今の関心は、明日、高速道路を500キロ走破して、無事に自室へと戻ることだ。体は紀伊半島東岸にあったが、心はすでに関東平野へと向かっていた。

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