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あるおばあさんの一生

「19〇〇年△月◇日生まれ、〇〇の妻、△△です。」

あるきっかけで、とある高齢女性にインタビューをした。自己紹介をお願いしますと言ったら、第一声として出てきた言葉が、じぶんがだれの所属物であるかだった。その人は濁りない目で前を見据え、微動だにせず、力のこもった口調でそう言った。インタビューでも「主人が」「うちの主人は」と、その人はなんども語った。まるでその人ではなく、主人が主人公の物語を聞いているみたいだった。

配偶者を何と呼ぼうがもちろん自由だ。個人的に正直にいえば、「主人」をえらんで使う人は、そのことばの意味を考えてみたことあるのかどうか聞きたくなる。昔の人の場合もうそう呼ぶのは仕方ないかもしれないけれど、一度たりとも「主人」という言葉に疑問は持ってはみなかったのか。だれかを主人と呼ぶのであれば、自分はその従属物であると言っていることになる。あ、そうか、その人の従属物であることが彼女らにとっては満足のいくことで喜びなのかもしれない。・・・ほんとうに?でも、目の前のその高齢女性を眺めていたらそうなんだろうと思った。合点はいったような気がしたけど、なんだかとてもさみしい気持ちになった。

この人は、そんなふうに生きてきた。家父長制の檻の中で、主人をたてて、主人が中心の家族を作り、その主人と家族を生きがいにし、ここまで生きたんだ。きっとその人の親も、その親もそうだったんだ。それが当たり前で、疑うことすら一瞬たりともきっとなかったのだろう。

わたしは家族を生きがいにはできなかったので、その在り方を想像するのはむずかしい。もしこれからじぶんに家族ができたとしても、わたしはそうならないよう努めると思う。傷つきたくないからかもしれない。でも、やっぱり生きがいを他者に求める生き方は苦しい。じっさいに家族以外の人にそうなりかけていた経験もがあるからこそ、そう思っている。

もちろん家族に生きがいを求めながら生きる生き方でその人が幸せならそれでいいと思うが、目の前の高齢女性はあまり幸せそうには見えなかった。わたしが感じすぎてしまうからからもしれないが、心では苦しい、苦しいと言っているようにみえた。でももう、ここまで生きたから今さら曲げられないものもあるんだろうと思う。

その人はまた、学歴や能力、世間体にもすごくこだわっていた。家族のことを教えてくださいというと、「母は学校を一番の成績で卒業した人なんです」とか「息子は〇〇という大学を出ているんです。アメリカのです」とか「親戚はお医者さんが多いので」と言った。聞けば聞くほどむなしい気持ちになった。その人たちがどんな食べ物が好きで、どんな遊びをしていて、どんな性格で、その人たちのことをどんなふうに思っていて、どんな思い出が胸にあるのか、そういうことは一切話さなかった。興味もなさそうだった。どうしてだろう?インタビュアーのわたしに話すようなことじゃないと思っているからだろうか。

この人が置いてけぼりにしたこの人は、今どこにいるんだろう?

とっくに自由の身になっていてほしいと願うけれど、まだ苦しいままでふるえているんじゃないだろうか。子どものころ、じぶんがこんなふうに年を重ねると一度でも想像しただろうか。その人の目の中をよく見れば、子どものままのその人がいる。嫌がられてもじっと見つめたら、その人は泣き出してしまうかもしれない。瞳の奥の奥に閉じ込めたその子どもは震えている。たすけてほしいとほんとうは言っている。その手を掴みこちら側へ引っ張ってあげたいような気持ちに駆られてしまうけれど、そんなことはできない。この人にはこの人がえらんだ七十何年がある。他人のわたしがそこにずけずけ踏み込むわけにはいかない。

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