見出し画像

わたしの心臓(断面図)はハートの形をしているらしい

かるい肺炎にかかったことがある。そのときにCTを撮ったのだが、なんと三十年間、その日まで知らなかったことが判明した。それが「胸骨剣状突起陥凹」。心臓の外側に胸骨があって心臓を守っているのだけれど、わたしはその骨が心臓に触れている(やや圧迫している)そうなのだ。

「通常は心臓を上から見ると、断面図ですね、ラグビーボールのような形です。あなたの心臓は、圧迫によりハート型に見える感じなんです」し、心臓なだけに。なんてこと。

そ、それって大丈夫なのでしょうか、とおののくわたし。まあ、なんともいえませんね、と先生。今までこの状態で生きてきたのが関根さんなので、問題ないといえばないのかもしれないですし。ただあまり心臓に負担がかかるようなことは、しないほうがいいかもわかりませんけどね。あと万が一ですが、年を取って骨粗しょう症になって骨が折れたりしたら...危ないといえば危ないですけどね。心臓にね、刺さったり。

なかなかグロテスクなことを真顔で言いますね、先生。

それにしても。これまでのちびちびとした病気の経験から今思うことは、いのちっていうのは、とてもあいまいなものなのではないかということだ。こうしたら生きられるとか、こうなると死ぬとか、機械みたいな話じゃなくて、人の体はほんとうにひとつずつ違うから、ぜったいこうだっていうものはないっていうこと。

死について、これ(だけ)が原因です、というものもほんとうはないんじゃないだろうか。最後の最後に引き金になるようなきっかけはあるにせよ、なにせこの体には、生まれてからのすべての時間が入っている。

死は、生きていくということと同じリズムで少しづつしずかに積み重ねていくものなのではないか。若かろうが健康と自覚していようが、一秒ごと私たちの生が創られていくと同時に死も創られているのではないだろうか。わたしたちはすこしづつ死にながら生きている。死はきっと突然やってくるものではないのだ。

診察室をでたわたしは、地上へとつづく階段をすがすがしい気持ちであがった。生きているんだ、このままで、生きていくんだ。骨がこの心臓突き破るまで、毎日すこしづつ死にながら、生き生きと。

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,564件

お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。