大人の絵本
『大人の絵本』
を買った。
読む前にこれから年月をかけて爪跡を刻み、食べてしまいたくなるほど甘やかに香っていくことだろう古書へのはじまりを祝して。
歓迎の証に本を開きプロローグに顔を埋め、新しい紙の香りとまだキズひとつついていない硬くざらりとした紙の感触を愉しむ。
下記はそんな酔いどれオンナが満月の夜に勢い余って書いた戯言である。
昔から本棚にあったの、と鼻に掛けて言いたくなる古書のような大人の絶妙な仕業の香る洒落た装丁とタイトル。翻訳家ふあんであるなら尚、メロウバリューなこのシャープな二冊の絵本。
画像に目を凝らしていただくか、人さし指と中指でスマホを操っていただくとよりお判りいただけるかもしれないが、二冊とも柴田元幸(氏)系なのだ。
新訳されたかのように美しい詩と、絵本枠からはみ出ることなくまるで壁に飾られた美しい絵画のような頁を捲っていくと、後書きにこう記されていた。
あくまでこの文章は英語の詩の日本語訳であり一種補助線であって、本のキモは絵なのだ。と。
あとがきを読まなければ『お洒落な本』で終わっただろうが、きっとこの本の醍醐味はココで、後書きまで読んでこそこの本の面白さは完成する。なんて本だ!と私は高揚した。
果たして「ご謙遜を」を飛び越えワタシは畏怖の壁に衝突。名翻訳家柴田元幸というお人のその言葉の色っぽさ、根の張った懐の深さをその後書きからひしひしと感じ、雲の上の、更に上の月のような存在であったことを地上より再確認したのでした。
ワタシはこの感動と悦を窓の隙間から隣人へそっと耳打ちしたくなるほどに主張したい。
ハァ、甘いため息をついては
極めて静かにキーパンチが止まらない今宵。
慈雨で霞むストロベリームーンを眺めながら
フランジェリコを垂らした溶けかけのアフォガートを一匙ずつ口に運びながらじっくりと大人の絵本を堪能するのでした。
食べられないけど、言葉っておいしい。
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