見出し画像

タクシーとフィクション [猫がいる理由]


 人間は街を造る。そのわけは、造ったその街に人間を操らせるためだ。人々は、出来上がったその街の個性に合わせて振る舞い、ただただ身を任せ、そうしているだけで街は勝手に個性を強めていくんだけど、その特徴が魅力的であれば人は集まるし、でまた、みんながその街に似合った行動をしたりしていると自然に、街は更に勝手に育っていく。で、そうしてようやく街を造った目的が果たされて、街が人間を操り出す。

 人間が街に人間を操らせて……ていうかまあ、結局のところ街は、そこに住み、そこに通い、そこに集う人々が創り上げた賜物なわけだけども、出来上がったその街は、それぞれ別々の性格を備えた生き物の顔のごとく、表情が豊かで、それぞれの街にそれぞれの魅力が備わっている。醜さも。

 だから人は自分の好みの街に出掛けて行くわけで、だから、モテる街は大いにごった返すし、それなりな街は、まあそれなりに活気づく。若者にモテる街、老人にモテる街、金持ちにとか、不良に、サラリーマンに、まあ、誰にでも合う街なんていうのが今はもてはやされているような気もするが、東京には、幾つもの顔の街が存在する。

 で、タクシーにモテる街はというと、お客さんが多い街なわけで、即ち、稼げるかどうかが基準となる。今から話そうとしているのは「渋谷」という街での出来事だけども、この街がタクシーたちにモテてるのかといえば、何ともいえない。お客さんが多いわりには行きたがらない運転手が多く、特に夜、その傾向が見られて、その理由を運転手たちに聞けば、「若い世間知らずの客が多いからサ」とかそんなことをいう。でも、行きたがらない運転手が多ければ、そこにはお客さんが増える(あまる)のが道理であるから、「あんまり行きたくねぇんだけど売上のためだ~」という運転手も寄って来るし、それなりにたくさんのタクシーが道路を埋める。まあ、モテてるのかどうなのかは少し微妙。
 
 ぼくがその街にハンドルを向ける理由は一つ。一匹の野良猫を見に行くためだった。毎日行くわけではないし、餌をやることもない。撫でたり、話しかけることもしないんだけど、ただそこにいることを確認したくて、そこへ。
 渋谷はホームグラウンドではないから、近くまでお客さんを運んで行ったときや思い出したときにふらりと行くだけで、だから毎回出会えるとは限らなくて、でもその猫は規則正しく行動をするようで(どの猫もか?)だいたい同じ時間に行くと姿が見られる。その時間に誰かがその辺りで餌でもやって、「さて、満足したし腹ごなしに見回りでもするかな」とかそんな雰囲気で、ひょっこりと現れて、何か、いつもどこか余裕が感じ取れる。近寄れば身構えるが、こちらが動かなければ、手をなめたり、地面にごろんごろんとしたり、緊張感なく腹をなめたりしている。かと思えば、ハッとこちらに向きなおして身構えたりしてて、こちらを意識はしてる様子。長々と眺めているときもあるけれども、ひと目で帰ることも。まあ、そこにその猫の姿を確認しさえすればそれで満足だった。
 姿が確認できないときは残念で、でも翌日また行くと、昨日を取り戻せたかのようにちゃんとそこにいて、そんなことを繰り返すうちに、そこに行きさえすれば次にまた会える約束が得られたような気分になった。まあ、気の向いた時に行く「立ち寄り所」みたいな場所で、まあ渋谷は、あまり仕事には関係のないところだった。
 
 そんな場所であの大嘘つきと知り合って、ぼくは、さんざん振り回されたあげく大切なものをだまし取られるところだった。その男はタクシー運転手で、歳は55歳、頭髪は薄く、メガネを掛けていて、大柄で醜く太っているわりには不似合いに格好つけるヤツだった。仕草も、言葉遣いも。そんな人間の行動や言動には違和感があったけれども、まんまと信用してしまった。ヤツを通常の人間と判断したのがそもそもの間違いだった。

 人間同士の会話というのは「嘘偽りがない」という前提でされるのが基本で、会話に嘘が混ざってもそれは正直な話が有りきで成立する。嘘というのはときどきつくもので、それを中心に考えるものでは決してない。なのにアイツはあべこべで、嘘を中心に世界が回っている。まるで嘘のために真実が存在しているみたいだった。常識人にはまるで理解できなく、ほとんど病気だけども、コイツの場合、人間の「種類」というような言葉が頭に浮かぶ。イレギュラーなもので、最近増えつつあるタイプなのかもしれない。

「まあ、フィクションということで聞いてもらいましょうか……」とかこんなふうに話し始めるのがヤツの得意の手口で、あたかも、「言っても信じてもらえないだろうから、いっそ作り話として聞いて下さいな」とでもいうように「でも、本当の話なんだよ」を言い含める。で、まるっきり嘘を話し出す。話し終えると「……まっ、フィクションということで一つ」とかいって空を見る。自分すらも騙しているような、そんなふうだった。
 
          ☆
 
 渋谷という街は実にカジュアルなところで、フォーマルな格好をしている人がとても居心地悪そうに見える。でもそのカジュアルさには普段着というような気楽な印象は薄く、あえてカジュアルを装っているような「余所行きの普段着」みたいなものを感じる。若気の至りもあえて許される街で、年寄りだってこの街に来たら五歳は若返らなければならない心構えが必要で、 ……とこの街にはこんなイメージをぼくは持っている。

 十歩進むごとに別の音楽が耳に飛び込み、ピッカピカと広告や看板、モニターの映像なんかが視界を忙しく横切る。まあ、繁華街というところはどこもこんなふうだけども、渋谷の特徴は坂道で、道玄坂や宮益坂、桜ヶ丘を登る坂とか代々木公園に向かう公園通りとか、渋谷駅に向かって川のように道が這っている。立ち並ぶ10階建てくらいのそれほど高くないビルは崖のようで、岩や木々の代わりにあるお店は人工の渓谷のようで、車道から隔離された歩道を窮屈そうにたくさんの人が歩く。「渋谷」という谷の街はそんなふうに、新宿や池袋、上野の街などとは違った趣を醸し出している。
 
 タクシーという仕事は営業エリア内だったらばどこででも好きな場所でできるわけだけど、運転手がお客さんの行き先を選ぶことはできない。当たり前だけど。そして、そんな行き先で手を上げられれば当然のことながらその申し出を断ることも許されなくて、まあ、それがタクシーという仕事だ。だから渋谷が苦手な運転手は、渋谷までのお客さんを乗せると、降ろしたあと一目散に抜け出そうと画策する。

 渋谷は、年末のカウントダウンのときとか、ハロウィンやサッカーのワールドカップなんかがあったりするとすぐパニック状態になる街で、最近では機動隊も出張ってくるし、バリケードも用意されるほどになって、そんなときにたまたまここにいたタクシーがどれだけヒヤヒヤとさせられるか、やったことのない人にはわからないだろう。で、そんなときの印象を普段も持ってしまうのは仕方のないことなんじゃないでしょうかね。
 
 ぼくのホームグラウンドから行く場合、「渋谷駅までな」とか言われれると成り行きで西口の辺りでお客さんを降ろすことが多い。でそんなときは急いでドアを閉めて、なるべくお客さんを拾わないようにそそくさと走り出すわけだけど、まあぼくも、あまり渋谷で仕事をするのは肌に合わない。
 渋谷駅西口から山手線の西側の通りを原宿方向に進めば、まずJRから井之頭線へ続く通路の下で信号に捕まる。ゾロゾロと横切る人並みには素行の悪そうな人が多い……ように感じる。青になってさらに進めばハチ公の前のスクランブル交差点でまた信号を待つ。たいがい2回とも捕まる。目の前に浮かれた人たちがなだれ込んできて視界を占領する。先頭で待っているときは特にドキドキさせられる。まあ、誰も乗ってこないのが通常だけど、先入観だろうが何だろうが、素行の悪いお客さんが乗りそうなときってのはけっこう身構えてしまうものなのですよ。やっと信号が青に。左手に渋谷のランドマークの109を横目に蔦屋の入ったビルの右側を通過し、「手をあげてる人なんか見えませんでしたよ」とかいえるよう右車線を突き進む。西武百貨店を越えて丸井の手前を左に曲がれば、夜になるとぐっと人通りが少なくなる公園通りに。右にゆるやかにカーブしたその上り坂の並木道を信号一つ進むとパルコが……なくなってるけどあったとろこを過ぎた辺りで、やっと一息つくことができる。で正面のNHKの手前右手にある公衆便所から少し離れた辺りがぼくの立ち寄り所だった。
 
 サバ白と呼ばれている模様で、最近よくいるボランティアのシステムに頼らない本物の野良猫で、だから太ってはいなくて、でもまだ若い顔立ちをした健康そうなその猫は、いつも一匹で、おそらくはオスだろうと想像できた。猫は好きだから、食べ物をあげたり触ったりしてみたいけど、見る以外はなるべく関わらないようにした。

 ぼくはライオンにとってのサバンナやオランウータンにとっての密林がそうであるように、猫にとっては人間の造ったこの街が大自然だと思いたかった。で、自分はこの街の余所者なのだから、そこの生態系に影響を与えないようにしなければならない……とかそんなふうに思えて、だからただ、眺めさせてもらうのみにこだわりたかった。

 猫という動物は人間を頼りにするくせに決して人間になびかない。餌をもらうのに媚は売るけども、貰ってしまえばあとはもうどこ吹く風。「さっきちゃんと媚びてやっただろう」といわんばかりに知らん顔を決め込む。そんな調子なのに、人間は誰かしらが面倒を見させられてしまう。アメリカの有名なSF小説の古典で「夏への扉」という本があって、猫と一緒にコールドスリープして未来で活躍する面白い話だったんだけど、そこでも主人公は普段、猫が外へ出るときにドアをいつも開けさせられていて、戻る時も同様で、そして未来でも冷凍睡眠という冬から「夏への扉」を主人公に開けさせる、というような筋だった。猫は人間に「させる」のが上手で、ずっと人間は、世界中どの街でも、猫とそんなふうに付き合っている。そう思うと、ぼくはここに「来させられている」のが何かうれしく思えて、そして何故か、猫がそこに居てくれていることにすごいありがたさを感じた。
 
 あの晩、そんな立ち寄り所であの嘘の化身に声を掛けてしまったのは確かにぼくの方からだった。あんな展開になるとは、もちろん想像もしなかったからだけど。

 タクシー運転手同士って、何の面識がなくても声を掛け合ったりするもので、「暇だねぇ」とか「さっきへんなヤツ乗せちゃってさ」とか「さっき茨城県まで行ってきたよ」とか。初めて見る顔でも簡単に話しかけたりする。同じ仕事をしている者同士だし、ある意味長年連れ添った家族や恋人などよりも話が通じるところがあって、一言で済んでしまうもんだから、よく気軽に声をかけるのだ。無視されることもあるけども、無視した方もされた方もダメージはない。知らないもの同士だから。だからまあ、立ち寄り所の近くのトイレの隣で用を足していたアイツに、「渋谷は苦手でさ、駅で降ろして慌てて逃げてきたよ」などというセリフが口をついて出てしまったのも自然の流れだった。
 ヤツは愛想笑いの気配を感じさせただけで、ほとんど無視に近い対応だった。しかし、そのまた隣で用を足していたまだ若いタクシー運転手が、「わかります。わかります」と笑いながら応答したのが、これから話すこの物語の運命のスイッチだった。
 
          ☆
 
 三人で並んで手を洗って、一列に外へ出るとヤツは、ズボンを半分下ろしてワイシャツを入れ直す仕草をして、そして夜空を見上げて、「でも渋谷は……だから渋谷なんですよ」と呟いた。妙に芝居がかった感じだったけど、まあそれほど気にならなかった。
 若い運転手が、「この人、伝説の男!」なんてうれしそうにいうと、ヤツは「関係ねぇだろう。しゃべんなアホ!」と兄貴風を吹かす。二人は顔見知りのようだった。

 若い男はアキラと呼ばれていて、それほど長い付き合いではない様子だったが、でも彼はヤツに心酔しているようだった。「いいか。フィクションとして聞くんだぞ」という言葉の意志をくんでしまい、フィクションとしては捉えることができず、ただのホラ吹き野郎を「若いころ渋谷で大暴れしていた伝説の男」と信じてしまっている。 
 以来この場所で3人はよく顔を合わせるようになったんだけど、成り行き上ヤツは、ぼくにもアキラと共通の人物を演じていた(いろいろな人にいろいろな自分を作っていた)。でまあぼくも、その人物像を信用させられてしまい、ヤツのデタラメのフィクションに付き合うハメになってしまった。
 
 この男の口から流れたプロフィールをザッと言うと、兵庫県生まれの55歳、小中高一貫の有名私立高校から京都大学に進み、一旦大手銀行に務めたもののレールに沿わなければならない人生が嫌で早々に退職。やさぐれてヤクザになりかけていたところを今の奥さんに救われて更生し、で、二人で企画会社を設立して大成功をおさめる。奥さんは芸術的才能に恵まれていて、自分は営業と経営に長けていたからできた所業だったという。親兄弟とは縁を切り、それがいつだったかは忘れた。そして、そんな絶頂のときに奥さんが白血病に。貧乏出身の奥さんが清貧の生活が自分には合っていると言い出し、全ての財産を寄付して、つつましやかに生きていくためにタクシーをはじめた。で最近ついに病気が発症してしまい、いよいよ死が現実的に。でも、奥さんの願いで仕事はしながら、できるだけ二人の時間を作って、つつましくも愛のある生活をしている……とかだった。
 現実は、奥さんなんて影も形もない四畳半のアパート暮らしで、京都大学どころか大学すら行ってなかったし、不良でも優等生でもない目立たない生徒で、兵庫出身であることは間違いないが、それは他の嘘に信ぴょう性を与えるためにそうしていただけだった。

 普段の言葉にもツッコミどころは満載だったんだけど、さも普通に話すその口ぶりには、「大嘘こいてんじゃねぇよ」などとケンカ覚悟で言わない限り、その通りに思うより仕方がなくて、そして同情を誘うような話が多くて、だから力になるような言葉を掛けたり、ときには少額のお金を貸したりしたんだけども、そうすると、その自分のしてきた親切を否定したくないものだから、違和感のある話でも無理に信用してしまうようになってしまう。

 でも騙されてしまった何よりの理由は、その嘘が超その場しのぎで、目的が何もないことにあった。もし、お金を狙っているような嘘だったら疑いもかけようがあったのだけども、ヤツの嘘ときたら、お金を借りるときがあっても、名声をうたうときでも、そんなのはついでに過ぎなくて、唯一の嘘をつく理由はといえば、その口から流れた嘘を嘘とは感じさせないようにするためというようなもので、……そんな見抜く意味もないような言葉をどう疑えばいいのか。
 
 まあ半年も経つと、さすがに不信感がつくろいきれなくなってきて、でそんなときに、現実に帰らざるを得ない重要な嘘がヤツの口から流れた。ヤツにとってはただの思いつきに過ぎなかったのだろうけども、ぼくにとってはこれ以上ない重要なことだった。

 特に暑い七月の夜だった。世界的なイベントに谷の街は大賑わいで、歩道からは人がはみ出し、浮かれまくっていた。坂の上の立ち寄り所は、その喧騒とは対照的に真逆で、その静寂には涼しささえ感じられて、猫は、いつものようにひょっこりと現れ、地面と戯れていた。ヤツと二人でベンチに腰掛けていて、でヤツは、ぼそりと言った。「あのノラを殺そうと思うんですよ」と。

 もちろん、その言葉通りに捉えたわけではないけど、ヤツの口から流れる次の言葉には、「おそらくこのことで現実に帰らなければならなくなるんじゃないか」というような予感がしたから、視線は猫に向けたまま耳をあずけた。ほんの僅かな沈黙のあとヤツはプッと吹き出し、白々しく笑いながらこう続けた。
「ハハハ。真剣に取らないで下さいよぉ~。冗談に決まってるじゃないですか。ボランティアですよ。知ってますか? 猫を幸せにするプロジェクトです。数日後、あのノラは姿を消しますが、ノラは死んで、でもあの猫は幸せに生きていくんです。ハハハ。うちの家内はその世界では知る人ぞ知る有名な人でしてね。まあ、フィクションとして聞いてもらうよりないんですが、実は、彼女の『願い』が今の猫関係のボランティアの始めの最初だったんですよ。まあ、それを聞いた彼女の遠縁の夫婦が実際にアクションを起こしたのが表向きのことでして、家内の名前は伏せられてるんですけどね。だからまっ、フィクションとしてとしか話せないのは、お含みおき下さい。それでね、私はいままで、そっちの方には関わりを持たないようにしてたんですけど、彼女が死ぬ前にね……一つくらいは、手伝ってやろうかと……」

 ヤツは言葉を詰まらせる素振りをして、ぼくは黙っていた。猫をアイツのでまかせの被害者にしてはならない。とは思うものの、具体的な言葉が何も浮かばなかった。
 どう対処すればいいのかもわからないまま、「さあ仕事仕事っ」とぼくの方から切り出し、そそくさと立ち寄り所をあとにした。ただ、これからこの男の嘘とは正面から向き合わなければならない、との覚悟をしたにはした。
 
           ☆
 
 ぼくは三日連続で立ち寄り所へ向かっていた。ヤツのいう「猫を幸せにするプロジェクト」とやらをやめさせたくて、電話ではうまく話せる気がしなかったから、直接話そうと思ってのことだった。でもヤツは二日間姿を見せなかった。

 タクシーの勤務体系の主流は隔日勤務といわれているもので、二日分続けて働いて翌日を休み、で休日は週に一度ほど2日連続で休む。長い勤務を終えた次の日を「明け」といい、週に一度くらいの休日を「公休」と呼ぶ。その重なる二日間のことを「明け公」。まあ業界用語なんだけど、ヤツはその「明け公」だった。ぼくは毎日夜だけ働く勤務体系で、ヤツが明け公だということは知っていたのだけど、でも、もしかしたら猫に何かをしに来るんじゃないか、と不安で、様子を伺いに行っていたのだった。何度も何度も見に行っていたから仕事にならなかった。電話をすれば済む話なんだけど、何をどう切り出せばいいのかわからなかったから。

 三日目となったこの日、後ろにはお客さんが乗っていて、意図せず向かうこととなった。「道玄坂によろしくぅ~」という気の若いオッサンサラリーマン三人組は陽気で、ぼくの気のない対応には不満気味だったけど、でも街はいつものように陽気だった。
 旧山手通りからR246を曲がり、坂上の交差点から道玄坂に入る。R246という大河から道玄坂という支流にそれると、道という川は谷間をかいくぐり、街というジャングルに向かってゆっくりと流れていく。「俺流塩らーめん」の看板を右目に下り始めると歩道を歩く人はだんだんと増えていき、交番を過ぎ、左手にあるラブホテル街からの小道の交差点を越えると、ジャングルはいよいよ色濃くなる。タクシーは小型ボートのようで、船頭は、三人のハンターをキャバクラという狩場に送り届けると、いつものようにそそくさとドアを閉め、次のお客さんを乗せないように願いながら走り出す。ところが運転手の気持ちとは裏腹に道路は万年の渋滞で一向に前に進まない。

 道玄坂は渋谷の中では年齢層の少し高い地域で、そして、通りから少し入ればラブホテルだの風俗店やらと少しいかがわしい匂いが漂う。坂の中程にある百軒店入口の辺りがまさにそんな雰囲気なんだけど、その小道から颯爽と出て来たツバの平らな帽子をかぶったサルのような若者が手をあげ、たくさんいる空車の中から何故かぼくのタクシーに乗り込もうとする。別に選んでくれたわけではないんだろうけど乗せないわけにもいかないし、ドアを開けると、「マルキュウのところを左でぇ」と挨拶も行き先も言わない。うんざりしてため息を大きくついたけど、耳のイヤホンからはけたたましく音楽が漏れているし、聞こえるわけもなかった。

 風俗案内所……道玄坂小道……を左にのろのろとやり過ごし、マルキュウに近づくにつれ歩道の人は若者率が高くなっていって、坂を下りきった辺りがここぞ渋谷の中の渋谷。で言われたとおりにそこを左に曲がるが、サルのような青年は何も言わない。「どこまで行きますか?」とこちらから尋ねるも、無言。「どこまで行きますか?」と振り返ると、やっとイヤホンを外して「?」な顔を向ける。バカみたいにもう一度「どこまで行きますか?」と聞くと、「東急本店のところ左ぃ~」といって再びイヤホン装着。東急本店のとこを左に曲がったら、また同じやり取りするのかと想像し、再び大きなため息。
 東急本店に向かうこの文化村通りは歩行者の飛び出しがとても多いところで空いていてもスピードは出せない。右に併走するセンター街と道玄坂地域を分断するこの通りをイキがった若者やそうでもない若者も無用心に渡り放題で、またため息が何度も出てしまう。まあ、後ろのサルは音楽中だとわかっていたから安心してつけるってものなんだけど。

 ところが若者、「さっきから何ため息してんだよ」と強めの注意をしてきた。「してませんよ」とトボけるも「してたじゃねぇかよ」と凄む。こういうトラブルって、起こる前は怖いものだけど、起こっている最中は何とも思わないものだから、逆に自分の方が怒らないように気をつけるのが肝。まあこちらの方が分も悪いし。「最後までの行き先をちゃんと言えよ!」という本音を押し隠し、「そんなつもりなかったんだけどなぁ……ついちゃったのかなぁ」と白々しくいうと、「嫌なんだったら降りるわ。お金は払わねぇぞ!」と。いつもだったら、お金はしっかりと貰うよう努力するところだけど、黙ってドアを開けた。この場所をいち早く抜け出したいからなのではなくて、立ち寄り所の猫のことが気がかりだったからだった。
 
 東急本店のところをサルが左に歩いて行くのを確認して、ぼくは右の方へ。すると突然、プルップルっと着信音が鳴り、条件反射で名前も確認せず取ってしまった。そして、東急本店の裏を住宅街の方へ逃げ出すつもりだったのに反対のセンター街の方へ曲がってしまった。とっさだったので何故だかわからないけど、でも自分の行動に舌打ちをした。

 「ヤバいです。殺されるかもしれませんよオレ達!」

 アキラからの電話だった。かなり焦った様子で、その緊張感が背中に冷やりと伝わってきた。何があったのか聞くと、「アイツとんでもない大嘘つきですよ」という。ぼくがヤツの嘘と向き合う覚悟を決めるのと同じく、アキラの不信感もピークに達していたようで、ヤツの嘘を暴くべく行動に出ていたようだった。

「アイツが悪いんですよ……」「いつまでも金を返さないで、変な言い訳ばっかいうし……」「……だからオレが悪いわけじゃないんすよ」「アイツのメール見ちゃったんですよね。そしたらアイツ!」「いろんな人にいろんな嘘いってて……」「とにかく気をつけて下さい。盗んだのが俺だってバレたとしたら……オレ達を」「とにかく、とんでもない大嘘つきなんですよ……」。アキラはぼくに相づちも打たせないくらい矢継ぎ早に、そして支離滅裂に自分の心のうちに灯った興奮を伝えてきた。

 東急本店を過ぎたところを右に曲がったぼくは、空車の表示を回送に切り替えて(本当はしてはいけないけど)細い一方通行を真っ直ぐ進み井之頭通りへ。人は多いし、こんなところを通る後続車に普通の人は少ないからモタモタ走るわけにもいかないし、駐車もできない。
 で左に曲がり、東急ハンズの前に車を止められるスペースがなんとかあったので、そこにタクシーを止めた。浮かれた人々が周りにはいっぱいいて、でも何か、ぼくの頭の中ではまるでテレビの画面でも見ているかのようにそれが他人事で、まるでBGMを目でぼんやりと追っているような感じだった。ただ、ハザードの チッカ チッカ という音だけが、現実と電話の向こう側とを繋ぎ止めてくれていた。
 まず、落ち着くように促し、そして、「何を盗んだんだ」と聞くと、「スマホ……」という。もうそれでだいたい話は飲み込めた。パスワードは、ヤツの操作するのをいつも見ていて知っていたようで、簡単に開けて、全てのメールやSNSが見られたらしい。

「 ……とんでもないんですよアイツ。有名人とかともやり取りしてて、サインとか物とか、お金も騙し取ったりしてるんです。自分のことも、15歳の女の子とか、25歳の俳優の卵とか。病気だったり、耳が聴こえないとか、もうとにかくスゲェーんですよ。メールっつーかネットの上のことなんで姿が見えないもんだからやりたい放題で! もう俺の金なんてどうでもいいって感じなんすけど……でもどうしましょう俺。アイツ、こんなことがバレたら人生終わりだから……必死になって俺のこと消しに来るかもっ!」

 焦っている人を前にすると不思議と自分は冷静になれるもので、「何やってんだよ! お前、それ犯罪だぞ」という言葉をあえて声には出さないまま会話をすることができて、やがてアキラも自分のしたことを責めないぼくの姿に、だんだん落ち着きを取り戻し、淡々と話し始めた。幾つかのメールのやり取りをそのまま読んで聞かせ、探偵のように推理を働かせていた。

 ヤツは、紛れもなく病気だった。いや、病気というより、自分を悲劇の主人公に仕立て上げて、慰めてもらうことを栄養にして生きる、人間とは違う別の生物なのかもしれない。 ……いや、やっぱり病気だ。自分の喋ったことが事実と違うのを知っているはずなのに嘘だとは絶対に思わない。たとえそれを指摘されても少しも困ることなく次の嘘が口から出てきて、そしてそれも信じきってしまう。そんなことを続けていたら普通頭がヘンになってしまうはずなのに、普通に生きていけるんだから、病気だとしか思えない。同情されたい、慰めてもらいたい、という願望がいくら強いからって、ここまで肥大してしまうなんて通常とても考えられないし。いや、だから病気じゃないんじゃないのか……こんなの治りっこないし、極度に異なった性格とでもいうか、個性なんだ、きっと。とにかく、常人には理解ができない。

 車の外は人だらけで、時折「乗れる?」というジェスチャーをする人もいたりして落ち着いていられない。だから、「どこかで会えないか?」と提案するとアキラは、「立ち寄り所ではヤツに会ってしまう可能性が強いから、「山手線の向こう側の美竹公園の裏辺りなら……」と答え、そういうことになった。
 そして電話を切りかけていたその時、 プーププッ ププッ と別な割り込み着信の音が耳に入る。見ると、登録されていない番号からだった。そのまま無視すると、 コン コン とすぐ脇の窓ガラスをノックする音がする。「今は回送中なんで乗せられませんよ」と言いながら首を向けると、そこには、ケイタイを耳にあてたヤツが半笑いで立っていた。落ち着こうにも、慌てようにも、動揺することすらもできないままパワーウインドーを下ろし、「五分くらいで着きますから、……ハイ、あとちょっと待っていて下さいね」と電話の向こうのアキラに促し、一方的に切った。大きく息を吐き出し、ゆっくりと外へ出た。「なんて日だっ!」とは後に振り返ったときに初めて思うことだった。

 ぼくは必要以上に笑顔を作って、「どうしたんですか? こんなところでぇ~」と大仰に様子を伺う。ヤツは、「偶然通りかかったんですけどね」といい、携帯を耳から外し人差し指でケイタイを切った。「あれっ、電話番号違いましたけど、ぼくにしてました?」とドギマギしていると、「ちょっと、スマホをどこかで無くしちゃったみたいで。関さんの番号はこのガラケーにも登録してありましたので」という。そして、こう続けた。

「四時間三十分程前にアキラと一緒に飯食べたんですけど、その時まではあったんですよね……一時間くらいして気づいてお店に戻ったんですけど無いっていわれるし、アキラの野郎は電話しても出やがらないしっ! あのコソ泥ヤローめ。ふざけやがって」

 ぼくは、一瞬で何を喋ればいいのか、何を喋ってはいけないのかの判断をつけなければならない状況を負ったことにかなり困った。でも何か言わないといけないし、「えっ アキラが盗んだの?」ととっさに聞き返してしまった。
 ヤツは、「それはありませんけど。ああっ、コソ泥と言ったのはアイツの過去のことでして……まあご存知ないなら忘れて下さい。アキラにはただあの時に私がスマホを持って店を出たのかどうかを確認したかっただけでして」。ぼくはこれ以上、何を喋っても危険だと思えて、黙ってしまった。すると、「……あれっ お客さんからの電話だったんじゃないですか? さっきの」とこれ以上な助け舟をくれた。おかげで「ああそうそう、急がなきゃ!」と自然にすんなりとその場を抜け出すことに成功した。

 ウインカーを右に上げ、東急ハンズ前の信号から急な坂を登り、公園通りを突っ切り、今度は坂を下る。タワーレコードのある信号の手前ではいつも何故かよくお客さんに捕まるのだけど、今日もまた数人の若い男女が手を上げている。回送表示だったし、ひと目もくれずに真っ直ぐに無視して山手線をくぐり抜ける。繁華街を回送で通るのは道路運送法上あまり感心できる行為ではないんだけど、いろいろなことが一度に起こり過ぎていたから何の罪悪感も浮かばなかった。ただ、ぼくが「アキラが盗んだの?」と聞いたのに対してアイツが「それはありませんけど」といったのが妙に心に引っかかった。ヤツがまるっきりアキラを疑ってないことに不思議さを思い、アイツのシナリオには、アキラは従順な弟分として仕立てられていて、そのフィクションに自分もまんまと騙されてしまっていることに気づき、そう考えるとヤツの存在そのものがフィクションだとわかり愕然とした。その作り話の出来の悪さには気の毒とさえ思えた。
 ……そんなことをぼんやりと考えながら、ただただ、前方にだけ注意を払ってアキラとの待ち合わせの場所に向けハンドルを回した。アイツがずっと後ろについていることを少しも知らずに。
 
          ☆
 
 あの日、あの男とアキラの怒鳴り合いが美竹公園に響き渡り、やがて聞こえてきたパトカーのサイレンの音に目を泳がせたアキラは、あの男にスマホを差し出し、「俺のことは何も喋んじゃねぇぞ。わかってるだろうな。全部知ってるんだかんな……」と脅すように睨むと、サッと踵を返し、小走りで闇の中に消えていった。
 あの男は、ぼくをチラッと見て、「何をわけのわからないことを……」と呟き、間もなく現れた数人の制服警官に「ただの通りすがりの男との口喧嘩」だったことを首尾よく説明し、警察官は、「余計な仕事増やさないでくれよ」というような態度で面倒くさそうに十分程度の事情聴取をした。で、小慣れた様子で無線機のマイクに「ただの痴話喧嘩だった」的なことを報告すると、それぞれがパトカーへ自転車へと戻って行った。自転車で来た警官の一人が「この辺の住民は犯罪に敏感で、すぐ通報が来ますから……」と穏やかに注意をしてくれて、警察官にも心情があることを印象づけてから去って行った。

 何事もなかったかのように美竹公園は、その空間を取り戻し、そして、残されたぼくとヤツには、これ以上の次なる災難は与えられなかった。
 二人だけになると最初ヤツは、取り乱したように自分の正当性を訴え、そしてアキラの言ったことの辻褄の合わなさを主張し、怒りを顕にした自分の姿に正義を見させようとした。でもぼくが、「アキラから何も聞いてませんので、何を言っているのサッパリわかりませんよ。ぼくはただ、誰にも言わずにここに来てくれっていわれただけなんですから」と言うとヤツは口をつぐんだ。

 数秒の沈黙のあと、何故ここがわかったのか尋ねてみた。
 ぼくと別れたあとヤツは、別に意識することなく同じ方向に走り出し、ぼくが乗車拒否した数人の若い男女のうちの一人を乗せたが、更にぼくと同じ方向だった。美竹公園の近くをぼくが曲がった直後に別な方向から来たアキラのタクシーが同じように曲がっていったのを目撃したらしく、不審に思い、得意の演技でお客さんには「体調が悪くなったのでお金はいいので降りて下さい」とお願いして、そして、現場にやってきたのだという。
 道理であの時、三人が揃って状況を飲み込めないはずだった。危険を感じたアキラはすかさず口撃したのも道理で、ヤツがそれに対抗したのも、それ以外は考えられない行動だった。圧倒されたぼくがただ唖然とその様子を黙って眺めていたのも。

 あの男は下を向き、ブツブツと独り言をしながら背を向け、何も言わずに歩き出した。ぼくは呼び止め、「ノラのボランティアはどうなったんですか?」と少し大きめの声で尋ねた。ヤツは立ち止まり、振り向いて、そして何も言わず、また背を向け、自分のタクシーに乗り込んだ。それ以来、あの男はぼくの前に姿を見せていない。

 アキラとはそのあと一度だけご飯を食べた。アキラは窃盗の罪で執行猶予中で、あの時に言った「俺のことは何も喋んじゃねぇぞ。全部知ってんだかんな」という言葉は、そっくりそのまま自分にも返ってきていた、と告白した。あの男ももちろん、アキラを訴えることはできないはずだしアキラもまた……、因果なものだ。それ以来アキラとも喋っていない。たまに道ですれ違っても目すら合わさなくなってしまった。

 あの男と同じ会社の運転手から、ヤツが辞めたことを聞き、ヤツに貸していたお金を徴収するという理由でその会社の事務職の人を紹介してもらった。ヤツがその会社では大人しい目立たない運転手だったことを確認し、学生の頃からそうだったらしいことも、その人は教えてくれた。この人はたいへん親切な人で、一緒にヤツの住んでいたアパートまで同行してくれたんだけども、その四畳半はすでにもぬけの殻だった。「タクシーはもうやらない」と言っていたらしいが、ぼくは、いずれまもなくヤツが、タクシーに戻ってくることをよくわかっている。ああいう人間にとってタクシーはこの上ない天国なのだから。

 あの日、ぼくは誰もいなくなった美竹公園を現実から逃げ出すかのように飛び出し、気がつくと、立ち寄り所のベンチに腰掛けていた。猫に会いたかったのかどうかはわからない。でも猫は、なかなか姿を現さなかった。夜が白々と明けてきて、それでもまだ姿を見せず、仕事をする気も起こらなかった。何かを考えることをしたくない気分で、ただベンチに座り、その前の地面をひたすら見つめていた。
 陽が昇り、頭上の樹で、ずっとチュンチュンと囀っていた雀が、落ち葉のように一羽、二羽と舞い降りて、三羽、四羽……八羽、九羽。
 ぼんやりと向けるその視界に広がったその鳥が一斉に気忙しく地面をつつき始め、すると突如! 植え込みから、ササッと何かが襲い掛かり、雀はバッと飛び立った。

 空振りに終わった猫は、恥ずかしそうに手をナメて照れ隠し。「別に全然本気じゃないサ。ただの遊びなんだからヨ」と負け惜しみを言っているみたいに感じた。地面に背中を擦りつけながら、ごろん ごろん と音を立てて身体をよじり、サバ白と呼ばれる模様のその猫は、いつもどおり、ちゃんとそこにいてくれた。

 いつもどおりの世界にちゃんと戻れると、やっと、今が現実だということを実感し、あんな低級なフィクションに踊らされてしまった自分を恥ずかしく思った。フィクションであろうがなかろうが、人間の心を動かすのに、そんなことはたいして重要ではないと思うけど、ただ、アイツの駄作に翻弄させられたことが情けなかった。
 アイツのフィクションが駄作なのは、その物語に自分しか存在していないからだった。相手の返事すら自分で決めていて、それがどんなに高度な計算がされていたとしても、そんな自作自演の物語には本物の深みは宿るわけがない。今はネット社会と呼ばれていて、そういうことが見抜き難い世の中だけど、「他人」の存在する現実の中でそんなものは通用しやしない。決まっていないこと、わからないことに心を動かされて初めて、そこに物語は生まれるんだから。

 人間の計算に頼らないものこそが人間には必要なことで、「他人」があって初めて「自分」を見つけられるということを人間は思い出さなきゃならないんじゃないか……なんてことが浮かんで、ハッとして、猫を見た。「どうりで愛おしいわけだ」とつくづく思った。
 
 街もやっぱり、人間の計算以外の決まっていないことによって出来上がる。だからこそ、渋谷という街が渋谷でいられるんじゃないか、とか思う。この街はいつも新しく、歴史という言葉が似合わない。今、駅前の開発が進み、来年には街並みすら変わってしまうかもしれない。集まる人にも変化はあるだろう。どうなるかはわからないけど、常に新しいから、若い人が集まり、若くない人もしょうがなく若返る。ぼくもかつて、この街に住んでいて、いつもこの街で行動していた時期があって、まあそのときは新しいのが好きだったんだけど、でも今はもう、そういうの疲れちゃって……
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?