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タクシーとは何ぞや

 タクシーを始めて十年が過ぎた頃、タクシー車内での出来事を小さな本にまとめて出版したことがあった。まあ、重版される気配もなく、これといった反応もないまま、瞬く間に本屋さんから消え、ぼくの記憶の中ですらも一瞬の出来事となった。でも、しょんぼりするようなことも全然なくて、それで大金持ちになりたいってわけでも有名になろうってことでもなかったから全然なんでもなかった。本当だ。だから「売れなかったの?」なんて言われたって普通に「別にぃ~」という感じだった。無理してなんてない。
 でもその時、それきっかけで自分の仕事についてじっくりと考えることができたのはとてもよかった。ぼくは今でもタクシー運転手だし、まあこれかもそのつもりだ。その時にじっくりと考えたおかげで、今、この職業を謳歌しているんだから。むしろ、その時に本が売れてたりしたらこの充実感は得られてなかったんじゃないかとすら思っている。嘘じゃない。少しも期待なんてしてなかったし、今の自分の姿を肯定するために強がっているわけでもなんでもない。本当に本当だ。……まあ、そんなこんなの葛藤の時期が人生には必要だったということも……或いはあったかもしれん。
 
 その本の出版直後、テレビ局から「ちょっと出ないか?」みたいな話が3件ほどあった。その一つが「マツコの知らない世界」という番組で、まあ今でこそゴールデンタイムに放送される人気番組だけど、当時はまだ深夜枠で、一部のコアなファンが見ている程度だった。まあ、興味本位ではあったが、マツコ・デラックスと話しができるかも、とか思うと、少しテンションが上がった。

 出版社を通じて依頼があり、で、テレビ局の人とメールでやり取りを済まして、意気揚々と赤坂まで出向いて行った。ところが、放送まであと一か月くらいしかないってのに、まだ「タクシーを題材にする」ということ以外は何も決まってなくて、まあ深夜番組なんてそんなものらしいのだけど、ぼくが出演するかどうかも未定だったし、打合せと称して、ぼくが出演するに値するかどうかを測っているような、そんな様子だった。まだ偉い人は顔を出さず、小さな会議室のテーブルにディレクターとADが座り、その背後のホワイトボードには「タクシーとは何ぞや」と尤もらしく書かれていたが、正直、「何だこりゃ」と思った。
 
 でもまあ、ぼくはこの頃、月に八回だけの出勤という特別な勤務体系で仕事をしていたので時間が有り余っていて、そしてテレビ番組がどんなふうにしてできるのかを内側から覗けるなんてそうない機会だろうから、出演するか否かには関係なく、もうそれだけで面白そうだと思った。実際、「インパクトのある運転手(出演者)を知らないか?」なんていう投げかけにも何人か紹介したりもしたし、ディレクターからの質問などにも出来る限りしっかりと答え、知らないことは調べたり、人に聞いたり、現場を確かめに行ったり……約半月間、かなりの時間を傾けた。

 が、ぼくはマツコ・デラックスの隣に座ってテレビ画面に収まることはなく、ぼくが時間をかけて協力した「タクシーとは何ぞや」についても、少しの反映もされないまま放送は終わった。

 まあ番組は出演者のキャラクターと「マツコ任せ」が重要なコンセプトだと思うし、「タクシーとは何ぞや」なんて、ただ行きがかり上触れただけのお題目だったのだろう。そしてもちろん、ぼくなどが「簡単にかかわれるわきゃないだろっ」とは誰もが思うことだし、自分でも理解している。が、でも何か、言いようのない焦燥感が残ったから、ちょっと、テレビ界に対して恨み節の一つでもひねってやりたい。
 
 ぼくらタクシーはいろいろな職業の人を乗せるが、その車中では本音を見せがちだ。で、態度のデカさではテレビ界(テレビにかかわる人=ぼくの考える勝手な枠組みだから、タレントなどは除いて広告代理店などは含む。アナウンサーは微妙、とか)が群を抜いているんだけど、他の職業の人たちとは異彩を放っている。
まあ、全国民に影響を与えるような大それたものを創っているわけだから、それなりの責任も負っていて、それ相応の感覚を持ち合わせた有能なスタッフが、朝早くから夜遅くまで努力と苦労を重ね、強大な組織力と政治力の下で、それなりのものを創り出す。な、わけだから、それぞれスタッフは並々ならぬ自負を持っていて、でもだからか、制作に協力しようというシロウトに遠慮なんてものはまるで持っていない。実に簡単に知識を要求し、そして簡単にそれを使わなかったりする。で、いちいちその理由を下流のものに説明する時間だって惜しいからしないし、「俺たちはアンタら下流の人間とは違うんだよ」なんて見下してるもんだから、視聴者という立場から外れた人間にはあからさまに図々しく振る舞って、それがあからさまだからって、全然平気。だって「俺たちゃアンタら下流の人間とは違うんだから」ね。で、ぼくのようにひがむ人間がたくさんいるから尚更高飛車になっていって、そんなもんだから尚更こっちもひがんでしまって……もうやめよう、何故か全部ブーメランのように返って来る。とにかく、この時「タクシーとは何ぞや」について、じっくりと考えることができたのだ。
 
      ☆
 
 人はそれぞれ、社会に与して何らかの仕事をしているが、その職業の社会的立場によって、尊大になったり、卑屈になったり、蔑んだり、蔑まれたり、と本人が意識しないところで自然と、判断したり、されたりしている。「人はみな平等」だなんていうけれど、「口にしたらダメ」というだけで、心に差別を浮かばせないなんてできないのが現実だ。ただ、「口にしちゃダメ」という風潮は有効で、それをしたら他人から責められるという恐れがあるために、差別意識は少なからず制御され、理不尽な扱いはかなり減る。

 またしかし、理不尽ではない差別までなくなってしまうのは、これは問題で、ぼくはタクシーが差別されていることに心地よささえ覚えているのに、これは困る。

 タクシーという職業は、誰もがやれるのに誰もが選ばないという仕事で、「他にできることがないから仕方なくする」というような側面を持っている。でも、そんな職業だから、と大目に見てもらえるところだって怏々にしてあって、少々の悪いところは目をつぶってもらえたりする。「他の仕事だったらそんな勤務態度は許されないんだぞっ君ぃ!」とかいうセリフはよく耳にするし、実際に言われたことだってある。普通ある?

社会的地位というか、世間体みたいなものを犠牲に得られた今のタクシーの置かれた立場は、決して不当なものではなく、それ相応だとぼくには思える。誰にでもできる仕事でありながらその割に稼げるし、上司が目の前にいるわけでも、取引先にいつもプレッシャーをかけられているわけでもなく、自分の責任の範囲でのびのびと仕事が出来ているじゃないか。「タクシーの立場の改善」なんてことを口にする人もいたりするが、もしも、そうした改善ができたなら……というその後のことをその人たちは全然考えていない。それなりの責任を負わなければならいのは当然だし、そういうことをいう人って、ただただ自分が悪く言われることが許せないってだけで、虫のいい人ばっかりだ。

 少なくとも、ぼくには恩恵しか浮かばない。
ぼくたちタクシーは利用者から普通では許されない態度での仕事を知らず知らずのうちに許されている。で、その恩恵をもらうためには「咎め」を受けてこそのものなのだ。 ……だからまあ、怒られることはしょうがない。というか、よくある。五十、六十のいいオッサンだってのに、初対面の人に言葉遣いを注意されたり、長年している自分の仕事に対して、それをしたこともない人に「こうした方がいい」だの「それは違う」などと直接指南されるなんてタクシーくらいのもんだろう。普通ある? でもそれだっていいじゃないか。
また許されるために、しっかりと咎められることはいいことなのだ。
 
       ☆
 
 ある土曜日の、夜の銀座の街で。
 街灯りも人並みも、ギラギラと生き馬の目を抜くような平日の夜とは違い、道行く人はどことなくリラックスしている様子。だからタクシーたちも気負いなくこの街にやって来る。ぼくも、近くまでお客さんを運んできたので、ちょっと休憩がてら、7、8台のタクシーの列の後ろに並んでみた。で、平日の5分1くらいの人並みをボーっと眺めていた。
 すると、タクシーを探してるっぽい雰囲気のカップルが目に入る。六十過ぎの初老の男は若ぶったジーンズ姿で、いかにも「社長は若いからそういうのが似合いますね~」とかおだてられた風のへんちくりんなファッションで、女は、三十歳半ばくらい。その年齢差と場所柄から、「休日の銀座で太い客とママの夕食帰り」という雰囲気が察せられた。

 女は服装も髪も普段着っぽくシンプルで、でも、おだてられてへんちくりんなカッコウの社長とは打って変わって着こなしも上品だった。お店での派手な衣装とのギャップを利用して「オレは普段着のアイツも知ってるからさ……」とかいわせてあげる周到さには、男は、半分わかっていても騙されていい気分に浸れてしまうものだ。

 金持ちの男は、わかりもしないのに値段の高い料理を女に食べさせたがり、女は、好きでもないのに値段の高い料理をねだる。料理屋は、その高い値段にそうように味や材料を整えて、そうして銀座の価格が決められていく……なんてことを考えていたら、女が窓越しに手を振って「乗りたい」と合図してきた。タクシーの運転手はそのおこぼれにあずかる。

 ぼくの前にはまだ3台のタクシーがいたのだけど、この頃ぼくは個人タクシーで、東京では「個人タクシーは車がいい」という一般的な認識があって、だから先頭でもないのに選ばれることがよくある。でも、「個人タクシーは意地悪だ」という認識もまた一般的で、後ろのタクシーに乗られてしまうことだってあるんだし、まあぼくは「いい車」でも「意地悪」でもないんだけど、遠慮することなく車を前に出してドアを開けた。タクシーをしたことのない人にはわからないかもしれないが、選ばれるからにはそれなりの金額のいい仕事である可能性が高いし、前にいるタクシーから文句を言われる筋合いもなく順番抜かしができるし、まあ、ちょっとした優越感に浸れる、ということなのでございます。
 
 いいお客さんに逃げられませんよぉーにっ! と調子のいい愛想笑いを浮かべて挨拶をするぼくに女は、「汐留の三井アーバンホテルに行ってぇ、そのあと上野の方に行くからぁ~」と告げてきた。ぼくは、していた笑顔を取り消さなければならなかった。
 行き先が近かったからではなくて、汐留の三井アーバンホテルがどこにあるのか知らなかったからだ。いろいろ早合点してしまい、もう反射的にメーターも入れてしまったし、順番抜かしの優越感もいただいてしまったし、まあそれ以前に当然なことだけども「知らないから降りて下さい」なんて言えるわけないし、それを促す態度もまずい。できたばかりのホテルだからぼくの古いナビには反映されてなさそうだし……おそらくあそこじゃないか、とは思ったけども、そんな曖昧なことでは進行しないのがポリシーだ。でも、「知ってて当然」という女のその口ぶりに「知らない」とは言いづらかった。
「イタリア街の方でしたっけ?」と暗に案内を求めるが、男は「知らない」と首をかしげる。女は、自分だって知らないくせに「何ぃ? 知らないのぉ?」なんて詰め寄るもんだから、こっちは尚更萎縮して焦っちゃって、でもそれを悟られないように取り繕おうとするもんだから、よけいに何がなんだかわからなくなっちゃって、で結局、「おそらくあそこじゃないかと思うんだけど……とりあえず行ってみてもいいですかね」みたいなことになってしまった。
 
 タクシーをしていて唯一の「誇り」というか、まあ「プライド」みたいなものがあって、「どこどこへ行ってくれ」「ハイわかりました。○○から△△通りで行けばいいですね」なんていう簡素なやり取りで、最短のルートというか、お客さんの納得のいくコースを黙って進行し、別にほめられもせず、普通に当たり前に、お客さんの行きたいところへ心配させることなく送り届けられる、ということなのだけど、「誇り」なんてものは口にせずに黙って遂行してはじめてその真価を発揮するというようなもので、だからこの時も言い訳じみたことは口にはできなくて……なもんだから歯車はどんどん狂ってしまって、滅多にあることではないけども、一年に二、三回はこんなふうになってしまう。で、こうなってしまうと、プライドなんてものが悪い方に作用してしまって邪魔な長物と化してしまうのだ。
 
 女が「個人タクシーって道にくわしいんじゃないのぉ!」なんて凄むもんだから、つい「いやぁ、道はくわしいんですけどね。建物にはそうでもないんですよ」なんて口ごたえとも取れるようなことを言ってしまうし、自分に非があることがわかっていても、その言われ方によっては内心腹も立ってしまうってものだ。……でもまあ、ハンドルを切りながら「馬鹿に何を言ったって糠に釘」というようなのんびりした態度の演技で、「ったく、タクシーってのはどうしょうもねぇな」てな具合にゆるしてもらえないか、という工夫だったのだけど、「とにかくナビでも人に尋ねてでも何んでもいいからちゃんと行ってよねっ!」と強く言われながらも、そのまま進行することを許された。

 ただでさえ男にとって女はおっかない存在だっていうのに、こんなに「怒ってもいい」という条件が整ってしまうと、もう容赦はないだろうから、上辺には平静を装っていたけども、もう内心はもう「やっべぇー」と焦りまくりだった。銀座から汐留なんて信号5個くらいで着いてしまうんだけど、曖昧な記憶をたどるには短時間過ぎて、スマホでも電話でも調べる方法はいろいろあったんだけど、そうする僅かな時間でさえも、すんなり行けた場合に比べれば劣ってしまうし……だから脳をフル回転させるも、空回りするばかりで、でしかも、2回捕まった信号では、普段の癖というかなんというか、お客さんの会話に耳が奪われてしまい、「確かに太い客だな……大切にしなきゃな」とか「せっかく選んだタクシーがコレじゃあな」なんて思い浮かべて、本来考えなくちゃいけないことから現実逃避してしまう始末。
 
 さあもう汐留に着いちゃった。「ちょっとそこで聞いてきます」と言って車を飛び出した。一番手っ取り早いと思ったからだけど、そこはバーで、みんな話に夢中で、しかもみんな外国人で、素早くあちこちに目を走らすも、相手にしてくれそうな人は誰もいない。すぐに外にでるも、同じようなバーが2軒あるばかり……、少し離れたところにコンビニが見えたのでそこで聞こうとし、歩いてけばいいのに一旦車に戻っちゃって、「わかったの?」「あっ……いえ」「何やってたのよっ!」って怒られて、コンビニの前で再度車を止めて出て行ったのだけど、そのコンビニがまた外国人しかいなくて、まあ尋ねたら知ってたんだけど、そのインド人っぽい人はまだ言葉があれで、でもなんとか聞き出せて、けど少し時間を喰っちゃった。で店を出ると、車の脇には鬼ババアのごとく女の人がもうカンカンに怒って立っていて、ぼくは「馬鹿に何言っても糠に釘作戦」でのんびりと歩いて近寄ったのだけど、内心はもう、飼い主に叩かれるのを待つ飼い犬の心境だった。

 腰に両手の甲を当てて首を傾げて頭からは角が生えているその姿は、テレビドラマの演技でしか目にしたことのないようなわかりやすさで、「ちょっとぉっ! 今度はちゃんとわかったんでしょーねっ?」と少し間を空け、少し低い声で凄んだ。でもぼくは「今度はちゃんと知ってましたよ」と他人事みたいに呑気に応えてみたら、「……じゃあ早くしなさい」と許された。こんなのが通用するところが、タクシーがタクシーたる所以なのである。普通、通用する?
 
 ホテルの玄関前につけると二人とも一旦降りて別れの挨拶をしていて、「待っててね」とはいわれなかったからこっそり逃げちゃおうかなとか頭に過ぎったんだけど、「マテ」を言い渡された飼い犬のごとく、じっと動けなかった。「じゃあね~」という声を合図にドアを開くと、「上野の方なんだけど、入谷の駅の辺ね」とわりと不機嫌ではない様子。おそるおそるコースを確認すると「昭和通りでいいわよ」と別に普通。もう一刻も早くこの仕事を終わらせたかったから、「さっきはあの……あちこち変に行ってしまったので、高速代ぼくが出しますから首都高に乗って行きますか?」と言ってみた。女の人はすぐに「えぇ~いいのぉ。ありがとー」とまるでさっきのことはキレイさっぱり忘れてるって感じ!

 女という動物は、サービスとかプレゼントとかが大好きだから、実に本能的に反応してくれる。でもありがたかったのは、女独特の、「その場その時だけを判断する」というその習性で、「さっきのことはさっきのこと」とすっかりと忘れてしまうから、特にこの女の人は女度が強くて、まあ、そもそもタクシーに期待などしていないということも大きいだろうけども、あんなにカンカンに怒ってたっていうのに、いとも簡単に「許して」くれたことだった。まあさっきまでは特上のお客さんの前だったから仕方なく怒ってたってところもあったんだろうけども……とにかく、助かった。
 
でもタクシーとママって、ちょっと仕事の考え方とか似ているとこがあって、打ち解けて話すとけっこう話が合う。だから、「こんなダメなタクシーに乗っちゃってたいへんでしたねぇ」なんて冗談交じりに自分の失態をネタに話かけてみようかと思ったが、ちょっと様子をみていた。他の仕事だったらかしこまらなくちゃならないシチュエーションなのだろうけど、そこはタクシー、遠慮されない分、遠慮しない態度もまた許される……はずだけど、でも、油断大敵なので一応静かにしていた。

 すると女の人は、ケイタイで留守電やメールを確認しながらクスっと笑ったりしていた。ぼくは何も言わず黙って車を上野方面に向け呼吸を整えた。落ち着いてしまえばもうこっちのもの。「入谷で降りたらどうしますか?」「金美館通りを右に行ったらすぐだから」と簡素なやり取りをして、あとは普段どおり客席に干渉せずに車を走らす。居ながらにして居ない雰囲気が作れているのも安心してもらっているって証拠だし、でそれは小さな誇りなのだけども、でも感謝しなければならないのは、失敗しても送り届けてしまいさえすれば「さよなら」できるこのタクシーという仕事にで、でもって、そんなことに寄りかかって甘えてしまうものだから、だからまた、怒られるようなことをしちゃうんだろうな。
 
 ママ業とでもいえばいいのか、日本独特の職業だと思うけども、夜の銀座という場所は更にまた特殊な街だ。日本のエグゼクティブたちは、値段が高いと知りながら、別に何ができるってわけじゃないことを知りながら、わざわざこの街にお金を落としにやって来る。一晩に何百万円も使うような人は六本木にも歌舞伎町にも大阪や名古屋にだっていると思うけど、銀座というところはその数が違う。「銀座」という名前がその理由で、銀座でお金を使うことが即ちそれなのである。超VIPというような人がタクシーに乗ることはあまりないけど、担当している女の子たちが「あんなすごい人は日本にいない」なんて話をよくしている。で、そんな会話を幾人からも、幾度となく耳にするんだから、銀座という街は底が知れない。でもそういう特殊な街を作ったのは紛れもなく銀座の女たちで、そこから一本立ちしたママは、命がけでそのビジネスを育て上げた。愛情という商品を扱う関係上、ビジネスという言葉は使いづらいけども、彼女たちの仕事はクールジャパンの筆頭に置いても大げさではないと思う。
ぼくらタクシーは、同じ街の住人としてそれにあやかっているわけだけども、ママたちって、だいたい近くに住んでいるもんだから、乗車拒否したり、態度がわるかったりで、恩を仇で返すようなことばかりしている。なのに許してくれるんだから、しっかりと怒られて、彼女たちに覆いかぶさったストレスを取り除くべく、その恩を返さなくちゃ。
 
       ☆
 
 タクシーという仕事には「流れ着いた」という表現がピッタリなんだけど、どの仕事もうまくできなくて、転職に次ぐ転職を余儀なくされていたぼくにとって、ようやく辞めずに済むことが叶った終着駅のような場所だった。もしこの仕事にたどり着けてなかったら、生きるための道を求めて、いまだに巷を彷徨い続けていたに違いない。

 仕事は、しなくては生きていけないけど、でも今は、生きることがそれほど難しくない時代だから、覚悟なんて決めなくたって十分に生きられてしまう。でもぼくは、これが最後という場所でタクシーに出会ったから覚悟をせざるを得なくて……でもだから、タクシーの運転手である自分に心から満足できているし差別されたって動じることなどない。
 
「貧しき者は、財をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。己が分を知りて、及ばざる時は速やかに止むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。
 貧しくして分を知らざれば盗み、力衰えて分を知らざれば病を受く。
                           徒然草 第百三十一段  」

 今、いっぱしの格好で自転車を漕ぐ体力自慢の人を見れば、かなりの割合は老人で、しなくてもいい体力自慢のために交通は歪みを起こす。でも人は、「若々しくてスゴいですねぇ」なんて具合にそれを咎めたりしない。面白くもなんともない人が自分の高い立場を利用して、面白くもなんともない冗談をウケさし、あたかも笑いに長けた人間のように振る舞う……

 とかく人は、自分の持っていない立場を欲しがって、そして自分がそこまでの「分」に達していないのに、いかにも持ち合わせているかのように振る舞いたがる。「生きる」ということに切羽詰っていないから、自分を余分に飾りたく思っちゃうんだろうけど、まあ、過不足のない自分とは、わかりづらいものだ。
 
 生きることに覚悟が持ててなかったときって、どうも自分の悪い部分を認めたくなかった。でも今は何か、自分の全てを認めざるを得ないというところに追い詰められて、覚悟が持てるようになった。どうやらこれが、「己が分」とかいうものだ。
 タクシーって悪いところばっかりで、そんなものを全て認めてしまったら、まるで自分が劣った人間だと認めてしまっているようなところがある。しかし面白いもので、覚悟さえ決まってしまえば、そんなこともこんなことも容易に受け入れられてしまう。で、「悪い部分」のおかげで「よい部分」が作られていることにも気づくし、更には、「よい」も「悪い」も含めたタクシーという姿に心から満足感が得られている。
まあ、この時代に「分」なんてものを持ち出すと「差別的だ」なんて言われかねない。しかし、この世の中に生きている人は決して横並びしているわけではないし、そもそも、何をもって「よし」とするか「悪しき」とするかなんて人それぞれなはずだ。差別の悪いところは、自分の都合のよいようにそれを扱うことなんじゃないだろうか。悪いのは差別なのではなく、それを格差と捉える人間の心なのではないかと思う。格差を口にする人は自分の価値基準に当てはめて、いいだの悪いだの決めつけて言うが、「分」とはその人にピッタリのことをいうわけで、人には上も下もないんだから、それに良し悪しをつけること自体が変だ。
……それに、分なんてものは「あなたはコレです」なんて正解があるわけではないし、決まっていないところがまたありがたい。
 
 さて、深夜番組のディレクターに投げかけられた、「タクシーとは何ぞや?」ということだけども、考えても考えても、どうしてもたどり着くことができなくて、で、もうかったるくなっちゃって、「コレとは決められないもの」なんて具合にこじつけてみたんだけど、そしたら、これにはどうにも納得がいってしまった。何よりも、決めることをせずに済んだので、すごくホッとしたら、これがまた「分」と一致した。

 タクシーの仕事って、少しも難しいものではなくて、資格を取って、決められた研修を終えてしまえば、あとはもう長年勤め上げたベテラン運転手と同じ条件で街に出て、肩を並べて同じ様に稼ぐことができてしまう。突然職を失ってしまった人なんかが緊急手段として考えるにはうってつけなんだけど、だから誰にでもできなくちゃならないし、だから、実にいろいろな人たちが集まっていて、それぞれが思い思いのスタイルでタクシーをしている。その日にお客さんに渡すお釣り銭すらままならないような人もいれば、大地主なんて人もいたりするし、不真面目な人も大真面目な人もいて、お金に不自由している人が売上がいいとも、大真面目な人がクレームが少ないとも限らない。運転の上手い人も下手な人もいるし、接客だって得意だったり苦手だったり。とにかく、定まっていない。道路に出て手を上げればタクシーはすぐに止まるけども、「乗ってみなけりゃどんな運転手かわからないんだからもう!」なんてことはお客さんだって思うことだし、だからこっちだってわからないのも当然なわけで……でも決められないって、本当にありがたいことだ。

 というわけで、テレビ界の人たちへの偏見(ひがみ)も払拭できました。
そういえば、、
マツコと会話することはできなかったけど、ぼくと他二人のタクシー運転手の会話を試し撮りしていて、それを番組終わりのエンディングの時に3分くらい流してくれたのは、ねぎらいの気持ちからだったのかもしれない。この番組でそんなパターンは一度もなかったし。
と、考えると、まあ、いいとこあるじゃんテレビ界! (←上から目線)

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