顔。

 人の顔の落書きを描いていて思う事。それは顔っていうのは心の深い部分が特に形になっている身体のパーツなんだ、という事です。
 例えば赤ん坊にはまだ心の深い部分なんてものは存在しないのでその顔は穏やかでキレイにだけ見えるのです。違う言い方をすると赤ん坊の顔はただ作りが顔というだけで、必死に生きているというそれだけしか見てとれません。赤ん坊から伝わってくるのは慣れない心肺機能を何とか動かして生命を維持している必死な様だけ。もちろんそれはすごい事なのですが僕の落書きにとってはあまり興味深い題材ではありません。だから赤ん坊の顔はあまり描いた事がありません。ところが良いにつけ悪いにつけ顔は時間と共に変わっていく。その変化こそ生きている証拠とも言えますし人間の顔に僕が惹きつけられる所以なのです。成長と共に人間の顔は深くもなり或いは実にあっさりとしたまま仕上がってしまう場合もありますwどちらにしても顔は時間の経過と共に出来上がっていくもの。僕は占いはあまり信じないけど人相学というのは結構信頼できるんじゃないか?って思っています。ことわざの通り顔は言葉以上に様々な事を割と正直に教えてくれる気がするのです。

 具体的な人の名前を出して書いていいかわからないけど
まぁいい解釈だから許してくれると思うので書きます。

 元サッカープレイヤーの本田圭佑さん。彼の顔。かなり個性的だと思う。目鼻口そして長さ、どれをとってもそれなりにユニークです。そのユニークさが彼の内面からくる圧倒的な自信によってか非常に良い顔の形となって現れていると思います。実に強くて美しい顔立ち。

 例えば本田さんとうり二つの顔の人がいるとします。僕は描いているから当然目の形とか鼻の形とかじっと観察するわけです。するとその人は確かに本田さんとよく似た形の目鼻立ちをしているのがわかる。ところが不思議とその両者が似てるとは誰も言わない。当然です。だって伝わってくる印象がその人を決めているのであってそうなると話す事や動きの方に人の意識は向くわけだから。
 街中で包丁を振り回して暴れてる奴がいたとしてあなただったら何を考えますか?当然危ないからこの場から少しでも離れようとするでしょう。つまりその人の行動をまず最優先に意識する。だからその時暴れている人の顔の形を見ている余裕のある人はあまりいないと思うし、いたとしてもかなり特別な立場の人でしょう。顔を覚えて後で証言しようと考えている当局の関係者とかマスコミの人とか中には絵にしてみたいから覚えておこうと考える僕のようなバカくらいのものです。つまり社会の中で顔という情報はあまり重要ではない、とも言えるわけです。顔は機械が覚えてくれればいい時代ですし。



 以前ネットで見た凶悪な連続殺人鬼の顔を描きました。リアルなアウトローを描くとどんな絵にになるのかな?というアイディアを思いついてしまって止められなったのです。とあるサイトに日本悪党ベストテンみたいなのがあってw何となくその1人を選んである喫茶店のテーブルで描き始めました。そんなとこでそんなもん書くなって話しですけどw
 ところが描き進めようとしても何故か途中で鉛筆が止まる。とにかく見れば見るほど男の顔から伝わってくるものは複雑に入り組んだ感じられるので読み取るというか感じ取ろうとしても大変なのです。一筋縄ではいかない。喫茶店だったから描く手が止まる度にアイスコーヒーをすする。おかげで三杯もアイスコーヒーを飲んでしまいました。結果的には苦労した分確かに面白い作品になったし、下に What's Up と入れる事だけは何故かすんなり決まって、小さなクロッキー帳だったけどその1ページのおかげでその一冊のノートが充実したモノになった気持ちにさえなりました。

 そこまではよかったのですが集中して描いていたから気づかなかったんだけど、隣のおじさんがジッと描いている絵を見ていたのです。なんだ?!と思うくらいおじさんはガン見してくる。え、と視線に気づくとそのおじさんが、お兄さん絵書き?と聞いてきた。趣味です、と答えると、お兄さんその人の顔何で書くの?と聞いてきました。いや、何でって事もないんですけど、携帯で何となく見つけて…

 するとおじさんが突然、その絵くれない?コーヒー代出すから、と言ってきたのです。何度も言うけど実話です。

 知り合いに見せたいというおじさん。すぐ気づいたのですがそのおじさんの顔もかなりすごい。歌舞伎町の喫茶店でなきゃなかなか出会えないタイプの強烈な人相とでも言いましょうか。

 直後におじさんの元に、おまたせー、と言って、ディスイズホステス、って感じの中年女性が現れテーブルの上の絵を見て、なにこれー、よしなさいよー、と酒焼け丸出しのガラガラ声で言いました。僕はまだあげるとも何とも言ってないのにおじさんがすごい気迫だったから僕は黙ってそのページを破いて差し出しました。おじさんは引き換えに僕のレシートを持って、ありがとね、とだけ言ってレジに向かって去りました。"なんかのーみーたーいー"とガラガラ声。わかったよむこうで飲めるから、とか女に言いながらおじさんは僕のアイスコーヒー代も精算して振り返ることもなくそのまま2人は店を出ていきました。

 疲れました。それは迫力の人に話しかけられたせいもあるかもしれないけどとにかく絵に描いたその悪人の顔が僕をとても疲弊させたのです。しかし僕にとってその日は非常に素晴らしい記念すべき一日になったと言えます。だって初めて自分の絵が売れた日になったのですから。

 落書きする対象の人。描く意欲をそそる人の生き方は様々ですが、いい人悪い人なんて事は関係がないんです。良し悪しの問題では全くない。美しいから正解とか、少し歪んでるから描く気持ちちにならない、とかそういう事では全くない。そんな話しじゃない。少し話しそれますが人の事をいい人とか嫌な奴とか簡単に言う人は大抵バカです。少なくとも人を見る目がないかなり鈍感な人と言える気がします。人をよく見てごらんなさい。簡単にいい人とか嫌なやつなんて事は決して言えませんから。


 線がまっすぐ引けるとかデッサンがよくとれてるとかいう基本も確かに大切だと思う。でもそういう基礎練習をどれだけ繰り返しても人に興味を持たれる絵は描けない
、というのが僕の考え。基礎ができてるというだけの人の絵は、うまいね、の4文字ですまされてしまう。歌も同じ
。音程やリズムは正確に越したことはない。だけどそのどちらもダメなんだけど、それでもいい歌、こいつはすげぇ、と思わせる歌、は確かに存在します。


 うまいね、キレイね、と言われて3分で忘れられるモノと、何だか変な感じだけどもっと聴いていたい、もっと観ていたい、そう言われるのとアナタはどちらがいいと思いますか。僕はたとえ笑われ続けていたとしてもいつまでも観られている、とか、もっと歌ってよぉ、としつこくされる方が嬉しいと思うし、言い換えれば賞賛や尊敬などはどうでもよい事だと思うのです。偉大な思想を啓蒙しようなんてのは僕とは関係ない話しだし仮に公序良俗に反すると言われても歌いたいように歌い描きたいように描きたいです。そこまでのパワーがあれば逆に大したもの、くらいに考えています。

 描きたい、という気持ちをかき立てる、そう思わせる被写体がうまく選択できる、そこから描くという行為がスタートする。そうであるべきだと僕は思っています。これを描いたらきっとみんな驚くはずだぞ、とか、賞賛されるに決まってる、なんて考えて描いてる絵はろくな物にはなりません。そんな気持ちで頑張っても意味はなく、そんな事するより紙にマジックで、私は絵がうまいんです、と書いた方が手っ取り早いし、どちらも結果は同じ様なバカバカしさを見る人に与える、という徒労に終わる事になると思うのです。

 物凄い観察眼と繊細な筆運びの技術を単に自らがカメラになるために注ぐ人がいるとしたら理由がよくわからない、と落書き野郎のクセに生意気な物言いかもしれませんがそう思うのです。スーパーレアリズムをやってる人は恐らくそれを描く事が快楽になっているのだと思います。確かに実際に存在するかのように描けたらそれは一種の万能感を得る体験だろうしそれを得られるならそれは気持ちよい事なのだと思います。だからスーパーリアリズムは理解できます。

 でも僕が描きたいな、と思うのは逆に実際にはそこにないもの、見えないもの、或いは自分にしか見えないものなんです。人の表情から感じとれる何とも言葉では言いえない何かが見てみたくてたまらなくなる。それで仕方ないから描こう、という気持ちになる、というのが正直な気持ちです。そんな気持ちを最もかき立てるのが人間の顔であり、人の顔を見てそう感じてしまうのが僕の困った病状と言えるかもしれませんww

 強い気持ち、とはどんな形なのか? 悪い過去の所業とはどんなフォルムを作るのか? 人の顔はよく見れば見るほどに多くの事を物語っています。
 
 しかしもちろん読み違える事もあり、それでも何かが見えてくる。?。そのまま観察して描き進めて出来上がった物の形はどんな物になるかというと、そこにあるのは紛れもなく自分自身の顔なのです。あ、こんなに書いておいて非常に無責任な締めくくりになりますが、ここに書いた事は全く僕の錯覚の話しかもしれません。でも、だったとしたら僕はこれからもこの錯覚をどこまでも追い求めて行きたいと考えています。ここまで読んで、あー災難だ、時間返せー、という方がなるべく少ない事を祈るばかりの僕なのでした。
 ちゃんと顔を見ましょう。まだ気づいていない誰かの真実がそこに必ずあるはずですから。


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