つぶやく習慣。

 SNSが登場して2〜3年してまずtwitterを始めました。でも最初は3日に一度のぞくだけ、みたいな感じでした。
他のサイトでブログをやっていてそちらに熱心で思いついた事をすぐつぶやく、というスタイルがピンときていなかったのです。それが。
 
 自分の考えや感じた気持ちなどを短文にまとめてネットに上げる。自分のつぶやきが記録されているものが簡単に読み返せる。それが重要でした。だから、いいね、とか、フォロ、なんかどうでもいいと思って書いてました。

 ある瞬間に熱くなってアップしたつぶやきを翌日読み返してみて、なんて愚かな…と落ち込んだりする事もよくありましたし今もあります。逆に、我ながら冷静に判断できてる、という風にもたまに思うのです。

 僕の習慣は幾つかあります。落書きをする事(これは絵と文字でできているもので今ではそれが一応作品となって人様に買って頂けるようになりました)と、SNSにつぶやく事です。他にも近所の区営のプールに行って水中ウォーキングなどもありましたが現在お休み中。

 SNSにつぶやくのは、今もそれを始めた当初となんら変わらずあくまで日々の記録、つまりは日記なのです。だから今現在もいいねの数もフォロアの数もほとんど気になりません。もちろんその2つは多いにこした事はないので増えると嬉しいです。音楽を生業にしている僕にはライブの告知になるという非常に役立つツールともなっていますがそれは副産物であって、つぶやいてそれを毎日読み返す、というのが肝心なSNSの僕の利用意義なんです。

 日々の自分を見つめるのに日記ほどいいアイテムはないと僕は考えています。しかしペンを持ちノートなどに書くとなると美しく読みやすく、とはなかなかいかないもの。だいいち僕にペンを持たせるとすぐに、昨夜夢で見た怪物の絵、とかを描き出して日記というには混み入った内容になってしまう。しかしつぶやき、特に現在のXですが、あれは文字数が140までと決められているからとにかく簡潔なわけです。それが例えば昨日の自分、とか1週間前の気持ち、とかを確認するのにとても役立つのです。

 色々矛盾した内容がつぶやかれていますがそれでも自分で読んでみると、あ、このつぶやきは無理してるな、とか、随分生々しく書いてるな、とか、その時の自分の心の状態がよくわかる。すると、今この瞬間、自分はどう考えてどう動けばいいのか、がすごくわかりやすく理解できる様になったんです。まるで、まず筋書きを書いてその後それを演じてみる、というのに似てるかもしれません。そしてまた演じた内容をつぶやく。そのつぶやきが今度は新しい筋書きになる、それをまた演じる、の繰り返しです。

 つぶやきは僕にとってとてもよい習慣になりました。自制しろ、とか、前進あるのみ、とか、あらゆる目標へまっすぐ進めているか?がよくわかります。つまりちゃんとつぶやいてそれをちゃんと読み返せれば自分の歩く道はさほど大きくブレる事はないのではないか、と考えるのです。
この習慣が自分の全ての言動を決めている、もう少し大袈裟に言えば、自分の人生の地図になっている、とも思えるのです。

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