見出し画像

書く内容は2つ。

ここに書いていく内容は大きく分けて2つ考えています。
1つは今この瞬間の事。つまり今現在の僕が考えている事です。
もう1つは、あの時こうでした、という過去の出来事やその時の気持ちを思い出せる限り書きます。まぁ僕の記憶はあやふやでどこまで正確にかけるか?といえばはなはだ疑問でもあるのですが。場合によっては、今となって思うと
こういう事だったんじゃないか?という書き方をするかもしれません。なるべく正確に思い出せる様に頭をしぼってみます。

 しかし、例えば思い出というものはどんな人のそれも結構自分に都合よく作り替えられているものです。ビックリして1メートル飛び上がったよ!なんて言っても実際は30センチも飛んでなかった、なんて事もあります。
でもその記憶の誤差というモノは結局人間が生きてきた過程で幾つもぶちあたった問題を乗り越えてきた証と言えるのではないか?と僕は思うのです。ん?難しい?確かに…

今の自分は過去の全ての出来事からできています。よく、消してしまいたい過去、という言い方をします。ですが実はどんな過去も仮に消す事ができたら実は今の自分も消えてしまうのです。何故か?パラドクス?いえいえ、そういうのは僕の頭では説明しきれなません。ですが僕の言い方で説明すると、どんなに苦い経験もそれがなければ学べなかった事であり、その苦い経験を繰り返しことある事に思い出して、苦い、と感じる事で同じテツを踏まない様に注意深くなれた今の自分がいる、とでも言えばいいかもしれません。つまりは全ての過去が今の自分を作っているのです。思い出せない記憶も含めて全ての過去どれひとつがかけても今の自分ではいられません。
過去に味わった驚き、悲しみ、感激、落胆、悔しさ、怒り、そういった様々な記憶の中にある感覚は、それぞれ自分の気持ちを作ってきておりそして今の自分がいる。逆に言うと今の自分に自信が持てれば過去はいかようにも語れるわけです。もちろん偽りを語っていいという事ではありません。作ってはダメ。でも多少の誤差があったとしてもそれは大した問題ではない、という事ではないでしょうか?30センチが1メートルになってもそこは笑って許してほしいのです。そう言いたくなる気持ちわかるよ、と思って読んでほしい。恥ずかしい事も書くでしょう。でもそれを今改めて語れるという事はその時恥じた感情を乗り越えたからこそ語れること。もう恥ずかしくないから話せる事。それだけ大きくなれたから書ける過去になった、という事なのです。

 「今この瞬間」「あの時のこと」という2つについて書いていきます。今まで書いてこなかった切り口で書ければ、と思っていますがなんせ僕の文章力ですからあまり期待させ過ぎるのはやめときます。誰も期待してないかな?wまぁより赤裸々に書いてみる、ととってもらってもいいです。多分かなりプライベートな内容になると思うのでそんなものでも読んでみたい、と思う方だけ読んで頂ければいいな、と考えています。よろしくお願いします。
 
 ちなみに思い出すだけでも大変そうだから毎日上げるのは無理かもしれません。でもできる限り書きます。自分の人生の総決算というつもりで頑張ってみます。

この記事が参加している募集

#今こんな気分

76,739件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?