「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」をみました

【私の感想】
画面を見ない私はなぜ面白かったのか
音から空間の設定を想像した
劇中音楽が面白い
洗練された言葉

【公演概要】
『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊
作・演出:岡田利規
音楽監督・演奏:内橋和久
出演:森山未來、片桐はいり、栗原類、石橋静河、太田信吾/七尾旅人(謡手)
公演日程:2020年06月27日(土)~2020年06月28日(日)
会場:KAAT Youtubeチャンネル
公演詳細:https://www.kaat.jp/d/mirenonline

2020/06/28/16:00開演観劇

 これぞ、社会になくてはならない演劇。題材と言い、手法と言い演劇だから意味のある世界がそこに展開していたと思う。こうした意味深い作品が公立の劇場―つまり、税金で運営される劇場から生まれたことを誇りに思う。(私は神奈川県民ではないのだけれど…)
 と、ものすごく感動したわけだが、私には画面が全く見えていない。『未練の幽霊と怪物』の内容についてはhpなどで前持って知っていたが、今回オンライン上演となった「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」に関しては全く情報がなかったので、どのような空間で芝居がされるのか100%想像するしかなかった。結果、アフタートークを聞くまで、机を舞台に見立て、役者が机の上に投影されるという方法で進んでいたことを知らなかった。役者は非常に小さい、代りに舞台となる机全体あるいは机の手前に置かれた椅子も同時に画面の中に映り続ける、という構図はこの「上演の幽霊」に置いて非常に大切な空間設定だったのだろうと感じた。それが、私からはすっぽり抜けている。
 私は、演出家始めこの劇の作り手が意図しなかった受け取り方をしたと思う。それでも面白かった。的外れかも知れないけれど、画面を見なかった私にとって何がどう面白かったのか、あえて残しておきたい。

 まず、最初に驚いたのは笛の音、だったのだろうか。
 それまで街―3車線ぐらいの通りに、まばらに人が行き交う、信号があって青になるとぴよぴよ鳴る―私は元町・中華街のKAATの前の通りなのかな、と想像しつつ「あの信号に音はついてたか?」と思っていたのだが―そういった街の風景を感じていた。途中ハイヒールの女性が快活に歩いて行ったのが印象的だった。
 街中と思っていたら突然、叫び声のような音が響く。日常をつんざく警告にも、またこの世界が何かに耐えかねて挙げた悲鳴にも聞こえた。今までの空気が一変する。しばらくその音を聞いていて「どうやら笛らしい」と思うまで、得体の知れない音に緊張した。一気に芝居に引き込まれていった。
 人もまばらなKAATの玄関前に、突如現れた人が笛を吹き始める。すると笛に招かれたようにまた人がやってきて「私、観光客ですけど…」としゃべりだす。そんな設定をイメージをしていた。

 いったん芝居が始まると、劇場となる空間の設定よりも、その作品の舞台となる場所の想像に変わっていく。2018年の千駄ヶ谷そして白木海岸に思いを馳せていた。
 今回役者も皆リモートで撮影されたとのことで、声が音的な意味で皆部屋の中にいる反響の仕方だった。役者がいるのは室内だなと感じる。その声からしかし屋外を想像していて、普段劇場で観劇する際にも役者が今いるのではない空間を想像しながら観ることを思い出した。ドラマではなく、演劇らしいと感じる。
 役者の声には部屋という空間を感じるのに対して、劇中で使用される音楽はそうではない。劇中の環境音のように自然にそこに生まれていて、気がつくと大事なメッセージを歌っていたりする。音楽もセリフの一部なのだと感じるシーンも多く、例えば片桐はいりさんのセリフにはその言葉のうねりに合わせてギターが演奏されていたり、『挫波(ザハ)』の観光客が新国立競技場の周りを歩くシーンは歩くリズムを感じるような音楽とそれと同じリズムで発せられる言葉とがぴったりあっていて面白かった。環境の一部でもあり、セリフとも融合している、芝居と一体化してこの音楽に世界観が体現されている感じがした。
 また七尾旅人さんの歌がセリフの途中にふっと入ってくるのだが、登場人物の心を歌っているのと同時に、事実的な私たちの世界のことも歌っている。俯瞰する支店をセリフで入れ込むよりもスマートに、ストレートに形にしたと感じたし、これがリアルな劇場なら客席で語られた言葉のような、より現実味のあるインパクトがあった。音楽劇ならではの良さは、オンラインでも感じられたということか。

 演出もすばらしかったけれど、結局私にとっては、生だろうがオンラインだろうが戯曲の面白さが最も重要だというのを再確認した。『未練の幽霊と怪物』という戯曲そのものが持つ深さはどんな状況だろうと不動だ。
 まず、日本の伝統芸能である能の様式を使って現代日本の抱える問題を描いたのが意味深い。面白いのは、それが亡霊を軸としている点だ。当然フィクションの物語が立ち上がる。しかし、オリンピック誘致の際には全面に押し出された新国立競技場のデザインがいざ開催が決まったら白紙撤回された『無念』をみせられて、あるいは多くの人がみたとされる『もんじゅ』の夢が破れた『空しさ』について語られた言葉をきいて、「単なる嘘の物語」で済ませられる人はいないだろう。フィクションの世界から、誰しも関係のある問題を思い起こさせる、これが演劇の本質である。
 またこの戯曲は言葉も非常に丁寧に作られている。私が印象に残ったのは高速増殖炉「もんじゅ」の建屋に『穴』があいたことを、もんじゅにみた『夢』にも『穴』があいたと表現するところ。『夢』だから『穴』があく、そのむなしさが伝わってくるような言葉の選び方だと感じた。役者の力もあるのだろうけれど、すべての言葉に説得力があり、無駄なセリフだと感じることがない。
 そしてユーモアがある。一つは能という構造上―だと思う面白さで、登場人物が名乗ってから話し始める。しかも独り言が長い。その不自然さが変なのではなく、芝居としての面白さに感じられる。二つ目に、岡田利規さんの作品ならではのユーモアがある。『散歩』と『ウォーキング』の違いについて語ったり、「高速増殖炉って言いにくいですよね」と話しかける。一見芝居、というか人生の本質には全く関係なさそうな軽い言葉、でも妙に納得してしまうような、自分の中にもその言葉が存在していたと思わされる。そんな言葉がセリフに常に含まれていて私は第好きだ。

 今思いだしても骨太の強烈な作品だった。まずは、この「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」の形で観劇できたのは貴重な体験だったと思う。アフタートークで話されていた「オンラインの演劇はいろいろな場所に持ち出せる」「外の世界が常にとなりにある」というのも興味深く、新しい演劇の可能性を考えさせられた。
 しかしこの上演は戯曲のすべてが立ち上げられたのではない。劇場で全幕を観劇するのが楽しみである。

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