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AIが、神になったら。

AIに人間の仕事が奪われるとか、AIが人間を支配するとか、そんな話は大昔からございます。が、最近ChatGPTなどの登場を受けて、現実味を増してきましたよね。本業がライターの自分としては、戦々恐々としております。

世の中には仕事が奪われるどころの話では済まなくて「人類の“考える力”が奪われてしまう」「人間という種の在り方が変わってしまう」といった心配を真剣にしている方々も少なくないようです。

そこで今回は、AIがこのままどんどん進化して、政治だったり司法だったり経済だったりまで仕切りだして「神みたいな存在になったら」的な思考実験をしてみたいと思います。あくまで趣味の与太話ですので悪しからず。

■そもそも人間に”考える力”など、そこまで無い。

いきなり「え~、そんなことないっしょ」と突っ込みが来そうな話ですが、僕はそもそも人間には「自分で物事を考える力」ってあんまり備わってなくて、だからその力がAIに奪われたところで、騒ぐ事じゃないと思ってます。

「人間は、考える葦である」という言葉もありますが、正直それも「他の生き物、要するに犬畜生と比べればマシって程度の話」と僕は思ってます。

そもそも人類は大昔、どうやってサバイブしてきたのかを考えてみましょう。狩猟・採集で生きていた時代、人類も群れを作ってチームワークで獲物をゲットしていたはずです。そしてそこには、群れのボスと、そのボスの指示を聞く手下という構図があったはずです。

この「ボスと手下」という構図は、近現代に至るまでそんなに変わっていないと思います。狩猟が農耕に変わり、農耕が様々な経済活動に変わっても、ボスがいて手下がいる。たとえば、会社の社長と従業員ですね。この構図において手下の“考える力”ってのはあんまり重要ではありません。とにかくボスの指示に忠実であることが重要視されます。そして人類の大半は、ボスではなく手下の側です。

現代においてやっと「個々の主体性」というものが重要視される様になってきましたが、それって人類誕生から20万年といわれている歴史の中で見れば、ほんの一瞬です。つまり人間って実は「考えることに不慣れ」なのです。ある一定以上に難しかったり、責任が伴う判断は、ボスに決めてほしいと願う習性があるのです。

人類は、考えることを、誰かに任せたいのです。

■神とAIに共通する役割は“思考のアウトソーシング先”。

考えることを誰かに任せたい。この誰かというのは、何も群れのボスに限った話ではありません。実際、時代の変遷と共に、人類は様々な「思考の委託先」を創ってきました。

たとえば宗教における神。たとえば政治思想における指導者。たとえば自分の意見を代弁してくれるインフルエンサー。いずれも共通して、しばしば「神」と形容される点は面白いですよね。だからというわけではないですが、人は思考を委託できる先を神と仰ぐのです。

今回の思考実験では「AIが政治や司法の意思決定を担うレベル」にまで進化することを前提としていますが、そうなれば人々にとってAIは究極の思考の委託先となることでしょう。つまりAIは神になります。でも、だからといって、人類の在り方はそんなに変わりません。

繰り返しですが人類はずっと「思考の委託先≒神」を据えて生きてきたわけです。その神の席に座るのが、今度はAIになるというだけの話です。

強いて言えば「曲がりなりにも同じ人類が、思考の委託先という役割を担ってきた時代」から「人外が思考の委託先の役割を担う時代」に逆戻りしてしまうという変化は認められますが、それでも未体験ゾーンに突入するわけではありません。宗教における神を本気で信じていた時代を、人類は長らく歩んだ歴史を持っています。

人外を思考の委託先とする時代は、人類にとって既知の世界観です。

■人類の進化は、神の仕事を奪う歩みではなかったか。

というより、AIを神にすることは、人類の悲願とも言えるのではないか私は考えています。というのも、人類の進化は、神の仕事を奪うことを目標にしていたのではないか…そんな風に感じられてならないからです。

たとえば古代において森羅万象・自然災害などは「神の怒り」と形容されてきました。しかしながら、科学の進歩した現代。少なくとも同等の科学知識を有している集団の間では、森羅万象は神の仕業ではありません。つまり人類は、神から森羅万象という仕事を奪ったわけです。

キリスト教の聖書を引用すれば、かつて人類は知恵の実を食べてしまい、その罰として楽園を追い出されました。しかしながら人類は文明を築き、社会を築き、街を作りました。同じ地球上にありながら自然の摂理から隔絶された“街”は、人類の作り上げた楽園とも言えます。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」でも碇ゲンドウが似たようなことを言ってましたよね。

また、もともと人類はみな共通の言語を使っていましたが、天にも届く塔(バベルの塔)を建てようとした罰で、民族や国ごとに異なる言語を与えられてしまったともあります。またも人類は、自らの言語を文法という発明によって汎用化し、他言語ユーザーにも利用可能な道具にしました。要は勉強さえすれば他言語ユーザーとの会話が可能という状況を作りました。現代ではさらにその段階を超え、高精度な自動翻訳ツールが開発されています。

キリスト教だけをベースに人類全体の総意を推し量ろうとするのは少々、強引でしょうか?しかしながら、長きにわたり人類の文明を牽引してきた西洋社会においてキリスト教、およびキリスト教がそのルーツとするユダヤ教は非常にメジャーな思想です。少なくとも「人類の文明・技術分野における進化のベクトル」を推し量る上では、根拠の一つになると思います。

■人工の神と、知性の放棄により、人類は楽園に還る。

で、ここからはさらにSFめいた余談なのですが…「人類は知恵の実を食べたことで、神の怒りを買い楽園から追放されてしまった」という世界観に立脚すると「AIが神になって、人類の考える力が弱体化する」ということすら、人類の悲願なのではないと思えてくるのです。それによって、何が叶うのかと言えば、楽園への回帰です。

聖書などに登場していた楽園を構図にしてみると

〇管理者(神)
〇楽園(エデンの園)
〇住民(知恵の実を食べる前のパーだった人類)
〇状態(難しいことは神に任せてパーをエンジョイしている)

これが高度なAIが神になったと仮定して置き換えると

〇管理者(AI)
〇楽園(人類が作った街)
〇住民(AIによって考える力が後退した人類)
〇状態(難しいことはAIに任せてパーをエンジョイしている)

な~んか成立しちゃうんですよね。これに加えてロボット技術などが進化して、一次産業からも完全に人類が解放されてしまうと、エデンの園を超えてしまいます。アダムとイブもエデンの園を耕していたそうですからね。

一方で「人類はあまりにぬるい環境だと拒絶してしまう」という指摘もあります。映画「マトリックス」では、機械が人類を仮想現実の世界に閉じ込め、現実世界においてはエネルギー源として栽培しているというディストピアが描かれていました。その際、機械側は「はじめ、人類に楽園の様な仮想現実を提供したが、人類側が受け付けなかった」的なことを言っております。が、思うにその失敗の原因は「人類に知性を放棄させなかった」ことにあると思われます。つまり楽園回帰の要件は、神の創造と知性の放棄です。

人工の神を創り、知性を放棄することで、難しいことはな~んにも考えなくていい、楽園に還る。こう書いてみると完全な与太話ですが、一方で理に適っている部分もあります。この楽園って、非常に共産主義的な社会なんですよね。資本主義というのはあらゆる意味での成長を前提とした、というより成長をしないと瓦解してしまう…言わば泳ぐマグロの様な仕組みであり、それゆえに最近では「そろそろ限界では?」と言われてたりもします。

一方で共産主義というのは、ある種の停滞を許容できる仕組みです。問題は人類が人類の手で共産主義を実践しようとすると、管理者がほぼ100%の確率で我田引水の独裁者になってしまうという点です。が、この心配もAIならいくらか少なくて済みそうです。AIを管理者に据えた共産主義的な社会というのは、人類に恒久的な安定をもたらすことができる可能性があります。

※上記の辺りの話は以下の書籍でも触れられています。面白い本なので、ぜひ!

その世界は、ユートピアなのか、はたまたディストピアなのか。
単なる知的好奇心としては、その世界を見てみたい気もします。

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