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意思の 弱い ジブン

はろー、関仁 です。

本日は福島県のいわきに行き、元会社の友人とランチをして来ました。

友人のオススメの純喫茶で料理の量が多い上に旨いらしく、行ってみると、確かに量も味もぐっど!
純喫茶ならではの木の作りやアンティークの置き物が良い雰囲気を醸し出している。
以前に一人で来た時は、お腹が一杯でデザートとコーヒーだけだったので、改めて店の魅力に出会えました。

会社の同期でもある友人と会うのが好きなのは、ほとんど私は口を開かなくていいことです。
だいたい友人が最近の出来事や思いを話すので、私は聞きながら追体験をしつつ、友人が話を止めた時に、疑問に思ったことや私ならそこでもう一歩詰めるかなーと感じたことを話す。
おそらく、お互いの話す時間の割合は、友人が9.5割で私が0.5割といったところ。
それでも楽しそうに話し続けてくれるので、聞いてるこちらは安心して聞いていられます。
内容が愚痴のときもありますが、友人の口から出る愚痴は毒素が少ないので、ぐちゅぐちゅな毒かと思いきや、不思議と私の心に留まることは無いです。
人の悪口とか愚痴とか妬みとか嘲笑いとか、そういう言葉って、言われると体のどこかに溜まって行く気がします。
強力な毒性を持つ言葉を放つ人と居ると、別れる時には自分の体が重くなっている気がします。

きっと、「そんな話、聞きたくない!」と言い放てばいいのでしょうけど、小心者で意思の弱い私は、特に何もせず話を聞いています。
いいように毒をダクダクとかけられて、唯々諾々と雰囲気に従います。
これを人は「優しい」と呼ぶこともありますが、私はそうは思いません。
情に流され、状況に流されているだけ。
悪い癖なのに、未だに治りません。。。

そんな私だから、友人との会話は損得無しで笑って聞いていられるのでしょう。
これがもし私が話す意思の強い人間なら、きっと6年間も仲良く付き合ってない。
そう考えると、弱い意思も捨てたものじゃないなと。
角張ったイシは握っても飾ってもキズつけるだけ。
丸っこいイシは握っても飾ってもそこにあるだけ。
どうせなら、柔らかいイシを持ち合わせたい。
堅くも強くも弱くもヤワでもない。
そんな意思を。


スーツケースを持った友人を家まで送り、そこから3時間以上かけて仙台へ帰宅。
写真はその道中の最初の道の駅で買ったプリンです。
スプーンでさすと少しの弾力がありながらも底まで到達し、濃い色のキャラメルとともにすくい出せます。
これを口に運ぶと、歯に触れた時だけ弾力があるのに2〜3回噛むとプリンがのっぺりと口の中で広がります。そしてプリンの甘さが舌の上で広がり、後追いのキャラメルくんがその甘さを別の甘味所へと誘なうのです。
でも後味は割とスッキリしてる。
色々なところが中庸より特徴あるのに、甘すぎず物足りなさすぎず、丁度よい。

本当の意思の強さとは、様々なところで出しゃばりすぎず、常に全体の仕上がりにこだわることなのかもしれない。

というのも、本日いわきで見つけたプリンからの教訓です。←


2022/4/23
せきひと

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