中部地方の石造物㉞:宝台院宝篋五輪(西郷局の墓)

画像1
画像2

名称:宝台院宝篋五輪

伝承など:西郷局の墓

所在地:静岡県静岡市葵区常磐町 宝台院


静岡市の宝台院は、徳川家ゆかりの寺院であり、徳川慶喜が一時期謹慎していた場所としても知られる。

元来は龍泉寺と言う寺名で、戦国時代前期に開かれ、徳川家康の側室で二代将軍秀忠の生母である西郷局が葬られ、寛永五年に現在の場所に移転されて寺院も大改修が行われ、その際に寺名も西郷局の法号を取って宝台院と改められた。

境内には西郷局の墓とされる石塔があり、これは移転の際の寛永年間に造立されたものと言う。

宝篋印塔と五輪塔を組み合わせた宝篋五輪と呼ばれる、遠江から伊豆にかけての地域で見られる独特の形式の石塔であるが、この宝台院の宝篋五輪は静岡県内で見られるものとしては最末期の事例である。

昭和初期の火災と戦災と、二度も被害に遭ったために破損が著しいが、宝篋五輪の末期の事例として貴重である。

なお、この形式はほぼ静岡県内のみに見られるものであるが、後に徳川家もこれを継承したために例外的に東京の伝通院には江戸時代に造立された宝篋五輪が複数基存在する。

伝通院の宝篋五輪はいづれも徳川家ゆかりの女性の墓石であるため、この宝台院の宝篋五輪もそうした流れの中で造立された石塔なのかも知れない。

宝台院には他に、古田織部が造立し、駿府城内に仕えていたジュリアおたあが信仰に用いたと言う切支丹灯籠もある(二枚目)。


#静岡 #宝台院 #西郷局 #宝篋五輪 #江戸時代 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?