雑記:片倉小十郎の城下町

宮城県の白石は、中世には白石氏の居城があった場所であるが、江戸時代は仙台藩領で片倉氏が治めていた(ちなみに、元々の領主であった白石氏は同じく伊達領内の登米に封ぜられている)。

白石城は、伊達領内にあっては本城の仙台城以外で唯一「城」と称することを許された例外的な城郭で(江戸幕府の一国一城令によって、伊達領内他の城郭は皆「要害」と呼ばれていた)、幕末の戊辰戦争の際にはこの城で奥羽越列藩同盟が成立している。

城はJR白石駅から西へ十分ほど歩いた所にあり、1995年には大櫓(天守閣相当の建物をこう呼ぶ)が史料に忠実に木造で再建され、白石のシンボル的な存在になっている。

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ちなみに、白石市の市章は初代の片倉小十郎景綱の釣り鐘の旗印をモチーフにしている。

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白石城内には「歴史探訪ミュージアム」と言う観光施設があり、一階が土産物屋、二階がちょっとした資料館、そして三階がハイビジョンシアターになっている。

資料館には片倉氏ゆかりの文物や復元模型などを展示しているが、その中には片倉景綱木像のレプリカ(下の写真一枚目)もある。

この木像の現物は、石巻市耕徳寺にあり、景綱の肖像資料としては数少ないものである。

景綱は伊達政宗の側近として歴史ファンの間では著名であるが、同時代に描かれた肖像画がなく、唯一の肖像画も明治期に想像で描かれたものである。

現在その肖像画は、仙台市の仙台市博物館に所蔵されている(下の写真二枚目、2019年の夏期常設展にて展示されたもの)。

三階のハイビジョンシアターでは、NHKの協力を得て白石市が制作した歴史ドラマを三本上映しており、内容はそれぞれ片倉重長を主人公にした「大阪夏の陣秘話・鬼小十郎帰るには及ばず」、戊辰戦争に巻き込まれた白石を描いた「奥羽越列藩同名秘話・賊にはあらず」、寛永年間に白石で起こった仇討ち事件を描いた「奥州白石噺 宮城野・信夫 娘仇討ち」である。

私は過去に二作を見たことがあるが(私が訪れた当時は「娘仇討ち」はまだ作成されておらず未見、なお通常の料金で見られるのは一本だけで、二本とも見る場合は追加料金がかかる)、著名俳優など起用してなかなか力が入っている作品で、特に「鬼小十郎帰るには及ばず」の方はそれなりに話もよく出来ている。

ちなみに、ドラマには大河ドラマ「独眼竜政宗」の縁で、伊達政宗を演じた渡辺謙と、片倉景綱を演じた西郷輝彦がナビゲーターとして出演している。

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白石城下の当信寺も片倉氏ゆかりの寺院で、山門は白石城の門を移築したものである。

本堂裏には、片倉重長の継室の泰陽院(阿梅、真田信繁の娘)と、その弟で真田信繁の次子・真田大八守信の墓がある。

守信は姉の縁で伊達家に仕え、信繁の系統は幕末に至るまで仙台藩士として存続した。

向かって左側が泰陽院の墓塔で、他の当主の夫人同様石仏(如意輪観音)であるが、如意輪観音が歯の痛みに耐えているように見えることから歯痛に効くと言う俗信が生じ、そのため長年に渡って石仏は削り取られてしまい破損が著しい。

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