雑記:大寺薬師の諸仏

島根県出雲市の大寺薬師は、飛鳥時代の推古天皇の時代に創建されたと伝承される古刹であり、広大な寺領を誇った大寺院であったが、後に衰微し、江戸時代初期の山崩れで伽藍も失われた。

その際に難を免れた仏像は、万福寺境内に集められ、現在は大型の収蔵庫(下の写真二枚目)に収められている。

大寺薬師の諸仏は地域で管理されており、事前に管理者に連絡すれば拝観が可能である。

収蔵庫は、JR出雲市駅から一畑電鉄に乗り換え、大寺駅で下車して十分ほど歩いた場所にある。

収蔵庫内には大寺薬師に伝わった平安時代初期の仏像が九体納められ、他に破損仏数体や小型の十二神将像が伝来する。

平安仏九体は重要文化財に指定されており、いづれも中央の仏師を招いて造立したと考えられており、非常に優れた作風である。

向かって正面に本尊の薬師三尊像、その両脇に観音像二体があり、手前の両側には百九十㎝ほどの大型の四天王像が並ぶ。

薬師如来の両脇は日光・月光菩薩像(下の写真二枚目が月光、三枚目が日光)である。

四天王像はいづれも迫力に満ちた傑作で、京都や奈良にある四天王像と比べても遜色のない優れた彫刻であり、度々県外の博物館の企画展などに出陳されている。

向かって右列手前が広目天像(下の写真一枚目)、奥が増長天像(二枚目、三枚目)であり、増長天は四体の中でも最も激しい憤怒相である。

向かって左列手前は多聞天像(下の写真一枚目)、奥が持国天像(下の写真二枚目、三枚目)であり、個人的には持国天が諸仏中でも最も優れているように思う。

なお、この四天王の尊名は寺伝によるものであるが、いづれも像の名を特定するのに必要な手首と持ち物は難に遭った際に破損しており、現在の手首・足首は後補である。

そのため尊名はあくまで伝承であり、当初は現在とは異なる尊名ではなかったかと推測されている。

現在の広目天の巻物を持つ左手には、当初は多宝塔が載せられていて、元来は多聞天であったのではないかと言う説もある。

現在の多聞天も、通常は上に掲げられていることの多い多宝塔を低く持つなど、不自然な構図となっている。

あるいは、この四体の仏像は本来は四天王ではなく、薬師如来の眷属である十二神将のうちの四体だけが残ったものではないかとも言われている。

実際はどうあれ、非常に優れた仏像であることには違いないだろう。

他にも、本尊の後ろには数体の破損仏が安置され、向かって右側のものは地天女や毘藍婆・尼藍婆のうちの一体と思しき仏像もあるため、兜跋毘沙門天像であったのだろう。

大寺薬師は地域の人々によって大切に守られてきた仏像で、私が訪れた際にも管理人の方には大変親切に対応していただいた。

掲載した写真についても、ご厚意によって撮影させていただいたものである。

#出雲市 #大寺薬師 #万福寺 #薬師如来 #日光菩薩 #月光菩薩 #四天王 #増長天 #多聞天 #持国天 #広目天 #平安時代 #仏像 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?