雑記:さざえ堂

さざえ堂(栄螺堂)は、正式には「三匝堂」と言い、百観音(坂東・西国・秩父の三十三観音)の霊場を一ヶ所でめぐることが出来る施設として江戸時代後期に東北や関東で建造された仏堂であり、「さざえ堂」はその構造からついた名である。

内部は螺旋構造となっており、入口から出口まで、同じ場所を通らずに参拝が出来る。

明治以前のさざえ堂で現存するものは全国で六ヶ所あるが、このうち福島県会津若松市の旧正宗寺三匝堂(白虎隊自刃の地として知られる飯盛山の中腹にある)・群馬県太田市の曹源寺本堂・埼玉県本庄市の成身院百体観音堂の三つは「三大さざえ堂」とされる。

太田市東今泉町の曹源寺は、新田義重に創建されたと言う伝承があり、現在の本堂となっているさざえ堂は、江戸時代後期の寛政年間に建てられたもので重要文化財に指定されている。

堂は二層三階であるが、二層目が大きいため妙にバランスが悪い。

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本堂に向かって右側には中世の石造物群があり、アクリルケースに収められているのが、鎌倉時代末期から南北朝時代の造立と推定される名号角塔婆(下の写真二枚目)で、これは在地豪族の園田氏によって造立されたものである。

手前にある五輪塔群(下の写真三枚目)は、いづれも戦国時代のもので(中央の石塔のみは江戸時代の六地蔵石幢の一部)、戦国時代にこの地を領有した横瀬氏(由良氏)の墓と言う。

ほぼ同型・同時期の五輪塔が、曹源寺の南方にある金山の金龍寺にもあり、そちらは由良氏歴代当主の墓所とされる。

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本庄市(旧児玉町)の小平にある成身院の百体観音堂は、成身院の境外西方の小高い丘の上に建ち、天明年間の浅間山噴火の犠牲者を供養するために寛政年間に造立されたが明治になって消失し、現在の観音堂は1911年に再建されたものである。

こちらは近代の作ながら、バランスの取れた美しいさざえ堂である。

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なお、旧児玉町は『群書類従』の編者として知られる塙保己一生誕の地で、児玉町の塙保己一記念館前には保己一の銅像がある。

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