雑記:近江八幡

近江八幡は戦国時代末期に豊臣秀吉の甥・秀次によって整備された城下町で、現在秀次が築いた八幡城の跡地には、秀次の死後にその生母(秀吉の姉)が秀次を供養するために造立した瑞龍寺(村雲御所)が建っている(元々の瑞龍寺は京都市内の今出川堀川にあったが、明治期に現地に移された)。

八幡城の山麓には、かつて琵琶湖から船で賑わった八幡堀があり、水郷の町・近江八幡のシンボル的なスポットである。

近世の近江八幡は近江商人の町として栄え、水運としての堀が使用されなくなった現在でも、堀の周辺には往時を偲ばせる白壁の家屋が建ち並ぶ観光スポットで、時代劇のロケ地としても知られている。

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上記七枚目の写真の橋から北方に進むと、近江八幡の地名の由来にもなった日牟禮八幡宮があり、橋のすぐ南にある日牟禮八幡宮の鳥居の先には、明治期の建築である白雲館(元の八幡東学校の校舎)が建つ。

ちなみに、近江八幡市内には明治期に英語教師や建築家として活躍したウィリアム・ヴォーリズの手による洋式建築が多く残されている。

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