雑記:「正長三年」の石塔

写真ファイルを整理していて気づいた写真の話。

随分前に、埼玉の所沢市、西武の西所沢駅近くにある永源寺と言う寺に行ったことがあった。

同寺は大石信重と言う室町時代の上杉氏の家臣で、武蔵守護代だった人物が開基となった寺で、境内には信重の墓もある。

大石氏は木曾義仲の後裔を称し、長尾氏や寺尾氏などとともに、関東管領上杉氏の被官として台頭し、当時の政局にも深く関わった一族である。

大石信重は九十歳を超える長寿だったらしく、没したのは1430年とのことである。

信重の墓塔は、現在は下の写真のような覆屋に入っており、中の石塔は近くに行けば見ることが出来るが、扉が固定されているため全景の写真は撮影出来ない。

ちなみに、石塔は基礎の部分のみ宝篋印塔で、元々は宝篋印塔だったのであろうが、他は後代の石塔を寄せ集めた乱積みである。

画像1

画像2

この基礎部分には、正長三年と言う信重の没年が刻まれている。

が、信重の没年である西暦の1430年は永享二年であって、実は正長二年は九月に永享と改元されているので、正長三年は存在しない年号である。

にもかかわらずこの年号が刻まれているのは、当時鎌倉公方の足利持氏が京都の将軍足利義教と対立しており、鎌倉府では京都の改元を無視して正長年号を使い続けていたことと関係があるように思われる。

大石氏は鎌倉公方影響下にいた人物だったため、このような銘文が刻まれているのであろうか。

そう言う点では、極めて面白い石塔である。


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