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雑記

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2022年5月の記事一覧

雑記:熊本城と細川家廟所

足利一門の大名で室町幕府の管領を務める家柄(三管領家)の一つであった細川氏は、その宗家の…

綾
2年前
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雑記:揚北の新発田氏

新潟県新発田市は、鎌倉時代に地頭として土着した佐々木氏(近江源氏で源頼朝に仕えた佐々木盛…

綾
2年前

雑記:城北の小松内府

茨城県東茨城郡城里町の小松寺は、「小松内府」こと平重盛ゆかりの寺院であり、寺名も重盛の通…

綾
2年前

雑記:二代将軍と堀越公方の寺

静岡県三島市にある宝鏡院は、室町幕府二代将軍である足利義詮が開いたとされる寺院で、「宝鏡…

綾
2年前
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雑記:藤堂高虎と津

三重県の県庁所在地である津市の中心部にある津城は、江戸時代初期に藤堂高虎が築いた城郭であ…

綾
2年前

雑記:駿府

以前に静岡市内の今川氏関係の石塔について紹介したが、今回は静岡駅周辺の徳川家ゆかりの史跡…

綾
2年前
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雑記:本多忠勝の像

徳川四天王の一人に数えられ、徳川家康の覇業を支えた猛将として知られる本多忠勝は、関ヶ原の戦いの後に伊勢の桑名に封ぜられた。 桑名城の跡(九華公園)には、本多忠勝の銅像が建っている。 現存する本多忠勝所用と言う鹿の角をあしらった兜を着けた姿をモチーフにしており(この構図で描かれた忠勝の肖像画も存在する)、数ある武将の銅像の中でも屈指の迫力である。 忠勝の墓(下の写真)は桑名城にほど近い浄土寺にあるが、おそらく後代に造立されたものであろう。 忠勝の墓は、家康が関東に入部し

雑記:毛利輝元の居城と墓

中国地方に覇を唱えた毛利元就の孫で、その後継者となった毛利輝元は、後に豊臣秀吉に臣従し、…

綾
2年前

雑記:さざえ堂

さざえ堂(栄螺堂)は、正式には「三匝堂」と言い、百観音(坂東・西国・秩父の三十三観音)の…

綾
2年前

雑記:京都の石灯籠・刀剣

菅原道真をまつる神社で、全国に所在する天満宮(天神社)の中心をなす上京区の北野天満宮は観…

綾
2年前
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