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本: 『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランネル

心の芯が冷えるようなことがおこると手に取る本がある。その代表がこの本『夜と霧』だ。

学生時代にも読んだけれど、新訳・新編集を買いもとめ、社会人になってから再び読み直した。本のなかでも抜き書きしてとくに読み返す一節がある。

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。もういいかげん、生きることの意味を問うのをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

ヴィクトールは、ユダヤ人の心理学者で、アウシュビッツの強制収容所生活を体験されて、この本を書いている。極限に絶望的な環境にありながら、ヴィクトール先生の本には生きる希望がある。凜とした命が流れている。

若い頃はそれこそ、生きる意味を頻繁に考えていたけれど、この本に出会ってかなり救われた。

生きる意味は探すものではなく、目の前に毅然と存在している。生きていさえいれば、そこにはすでに意味が存在する。苦しいことも、楽しいことも、嬉しことも、悲しいことも、皆、生きる意味なのだ。そこに正しく向き合い、行動すればいい。

なぜ自分ばかりがこんな目に遭ってしまうのだろうと思ってしまうような日には、この一説を読み返す。そうすると、おごっている自分に気がつく。決して苦しいのは自分だけではないし、乗り越えられる者に与えられた生きる意味なのだ。まずは食べて、寝過ごしていればいいのだ。そのうち、ほら、ただで転んでたまるかと闘う気力も湧いてくるってもんだ。

最終的には、みんな同じくらいらしいよ。良いことも、悪いことも。死ぬときに辻褄が合うって、うちのおばあちゃんが言ってた! だから今がたとえどん底でも、良い事が絶対ある。むしろこれから良い事があり続ける可能性があるンだぞ!

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P.S.それにしても新宿のどん底には学生時代よく御世話になったなぁ。林さんライスまだあるのかな。相変わらず、方向性が定まらないブログになっているな…。科学書いてないし。本当はもっとたくさんこの本から抜き出してメモっている。そこに少し自分の感想が添えられているのだが、その感想が笑える。

「夜と霧から、はじめて自由意思の存在を感じることができた。人間性を失わせる極限のような環境にあっても、自分の意思で人間であることを選ぶということに自由意思の存在を感じた」

こう書いている。この頃は自由意志というテーマに首ったけだった。それなりに勉強したのだが、今でもあるのか、ないのか、科学的にはよく分からない。また、自由意志を探し求める自由意志時間に入りそうだ。


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