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歴史の扉 No.14 ファンタの世界史

前回登場したコカ・コーラを引き継ぎ、今回はコカ・コーラ社の炭酸飲料「ファンタ」に注目してみよう。



総力戦の生んだ「代用」

「代用」は、総力戦時代の社会をかんがえる上で、鍵となる言葉だ。

第一次世界大戦は戦争の何たるかを大きく変えた戦争だった。戦時下あるいは次の戦争に備え、生活に必要なさまざまなモノの代用品が生み出された。いかに食料を安定的に確保できるかが、戦争に勝つために不可欠となったのである。

第一次世界大戦が終わると、アメリカはドイツに多額の資本を投下し、復興を支援した。
ドイツをいちはやく復興させることで、フランスとイギリスに賠償金を支払う。そうすることでフランスやイギリスは、特にアメリカから借受けた債務を返済することができる。

ディズニー、ハリウッド、家電製品、自家用車。1920年代のアメリカは大衆消費社会の花開いた時代である。アメリカ的なライフスタイルがドイツに流れ込み、憧れの的となった。コカ・コーラもそのひとつだった。

1929年、ドイツにコカ・コーラ社の現地法人が設立された。瓶詰めにするための原液をアメリカのコカ・コーラ社が提供することで、同じ品質の商品を大量に生産するシステムは、いかにも大衆消費社会を象徴する手法である。




ナチ時代のドイツとコカ・コーラ

販売シェアをのばすきっかけとなったのは、1936年のベルリン・オリンピックだ。アメリカ企業の飲み物が、ナチ時代のドイツで「国民的飲料」として受け入れられたのは、当時の現地法人のトップにあったマックス・キースの尽力によるところが大きい。


しかし欧州情勢の緊張にともない、アメリカからコカ・コーラの原液が輸入できなくなってしまう。また、コカ・コーラが反ドイツ的な飲料、”ユダヤ”的な飲料との批判も高まった。

そこで果物の搾りかすや乳清を用いて作られた「代用」品こそが、のちの「ファンタ」の始まりだ。代用どころかドイツ軍の戦闘糧食にも粉末が支給されていた。だが、それをもって「ナチスがファンタを発明した」とするのは短絡だ。輸入途絶の危機を脱するためにコカ・コーラ社現地法人が編み出した苦肉の策がファンタだったのだ。


ファンタの商標権は大戦後にアメリカのコカ・コーラ社が獲得し、世界中で販売されるようになった。オレンジのパッケージはイタリアで開発されたものだ。この戦後のパッケージは、復興期の郷愁を誘うもののようで、2015年には復刻もされている。

体制の違いを超えて受け入れられた甘いファンタ。その背後にも「大衆化と国際秩序の変化」を読み解くヒントが隠されている。


参考

・Eleanor Jones and Florian Ritzmann, "The Coca-Cola Company Under the Nazis" , in Coca-Cola Goes to War, https://xroads.virginia.edu/~CLASS/coke/coke2.html

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