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歴史のことばNo.4 「大戦期ドイツを象徴する「代用」という言葉は、物だけに使用されたのではなかった。」

第一次世界大戦中のドイツは、イギリスによる海上封鎖の影響もあり、過酷な飢餓に苦しんだ。

ナチス=ドイツが、戦時下のドイツ国民の生活水準に細心の注意をはらったのは、第一次世界大戦の敗戦が、食糧難を背景とする革命によってもたらされたという認識からだった。
つまり、ドイツは、国内の反乱分子(すなわちユダヤ人)が、敵国政府や国際資本とむすびつくことによって負けたのだというわけだ(「背後の一突き」)。

「ナチスは飢えへの恐怖を有権者に訴えることで選挙戦を勝ち抜き、飢えを防ぐための生産者・消費者政策を1933年から開始した。第2次世界大戦中のドイツの食糧政策は、1944年までは機能していた。大戦の飢饉なくしてナチズムはありえなかったのである。

(本書、17頁)


第一次世界大戦は、「総力戦」とよばれる。
戦場は銃後や植民地にも広まり、最新兵器が投入され、戦争は長期化した。

しかし、海上封鎖や凶作の影響で小麦やジャガイモの供給が滞り、代用品として、家畜の飼料であったカブラ(ルタバガ)が食べられるようになった。
1915年から18年までに、ドイツ全域では70万人以上が餓死したという公式統計が残されている。

代用とされたのは食べ物ばかりではない。男性が本国から消え、移民の供給がとだえると、女性も「代用」労働力として駆り出されることになった。

ナチス=ドイツは、個人の尊厳ではなく、ドイツ人種の「血」の存続にこだわった。
多方面で活躍されている歴史学者の藤原辰史氏は、これを、ナチス時代における自然保護運動の高まりや、有機農業への関心など、「食」や「農」をキーワードによみとく仕事をされてきた。

「生命」や「環境」を大事にしよう。このスローガンは、なんの変哲もないものに聞こえるが、しばしば国家による「健康」で「有用」な生命の選別をともなう思想に陥りがちだ。
第一次世界大戦時にみられた、国のためなら、人間をも「代用」とみなす発想もまた、その類であったのだ。


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