16.3.3 同時多発テロと対テロ戦争 世界史の教科書を最初から最後まで
クリントン大統領からブッシュ大統領へ
アメリカ合衆国の〈クリントン〉民主党政権は、2001年に政権を共和党の〈G.W.ブッシュ〉大統領(任2001~09、2代前の大統領の息子)に譲った。〈ブッシュ〉は2001年3月に温室効果ガスの削減目標を定めた京都議定書からの離脱、7月にはCTBT(包括的核実験禁止条約)からの離脱を宣言。政権は単独行動主義(ユニラテラリズム)と国際的な批判を受けていた。
その矢先、2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービル(ワールドトレードセンター)と首都ワシントンD.C.近くにある国防総省(ペンタゴン)のビル(ヴァージニア州)に、ジェット旅客機が乗客を乗せたまま激突し、多数の死傷者を出した。
これをアメリカ同時多発テロ事件(9.11)と呼ぶ。
〈ブッシュ〉大統領は、9月20日に次のように演説した。
「Our war on terror begins with Al Qaeda, but it does not end there. It will not end until every terrorist group of global reach has been found, stopped and defeated.」
大統領は今回のテロリズムを、〈ビン=ラーディン〉を指導者とするアル=カーイダという暴力的なイスラーム組織の犯行と判断し、アフガニスタン政府に〈ビン=ラーディン〉を引き渡すよう要求。
2001年10月7日にはアメリカやイギリスを中心とする多国籍軍が、アフガニスタンとの戦争を開始する。(アメリカ合衆国・イギリス等によるアフガニスタン侵攻)。
ターリバーン政権は、同年3月にバーミヤン渓谷の磨崖仏や洞窟内の壁画(「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」、2003。危機遺産)を破壊する過激な行為を映像で撮影し世界に配信したことで、「イスラーム過激派」とか「イスラーム原理主義」の象徴として注目を集めていたパシュトゥーン人を中心とする政権だ。
11月13日には首都カーブルは制圧され、ターリバーン政権は崩壊。
その後、アフガニスタンにはパシュトゥーン人の〈カルザイ〉大統領による新政権ができるが、不安定な情勢のおおもとは、各地に分布する複雑な民族を「アフガニスタン」という一つの国にまとめようとすることの難しさにある。
しかし、アメリカ合衆国政府はとにかく「テロとの戦い」への勝利にこだわった。
2001年には米国愛国者法が制定され、テロ行為に関係があると疑われる人物に対する政府による情報収集が承認されている。
〈ブッシュ〉大統領は、さらに2003年3月にイラクに対して開戦(イラク戦争)。
イラクの〈フセイン〉大統領が「大量破壊兵器」を持ち、暴力的なイスラーム組織を支援しているのではないか。もしそうなら、アメリカが攻撃されるおそれがあるため「自衛権」を発動できる――ブッシュ政権はそのように考えたのだ。
これに対しては、フランスの反対もあり、国連安保理がアメリカの軍事行動に反対したものの、4月にはフセイン政権は崩壊した。
その後のイラクの占領政策は失敗し、「大量破壊兵器」は見つからないまま終わった。
なお、アフガニスタンやイラクで拘束した人物は、キューバのグアンタナモ海軍基地内にある収容キャンプ(2002年設立)に送られ、収容者に対する拷問が行われているという情報が2004年に明るみに出て物議をかもした。
オバマ大統領
大統領選挙で敗北した〈ブッシュ〉大統領に代わり、2009年に新たに大統領に就任したのが〈オバマ〉(任2009~2017)だ。
〈オバマ〉はケニア人の父と白人のアメリカ人との間にハワイで生まるという経歴を持ち、注目を集めた。就任後には金融危機(2008年に発生)への対策として自動車産業や金融機関を救済し、富裕層を公的資金で救済にすることには反発(オキュパイ=ウォール=ストリート運動(ウォール街を占拠せよ運動))も起きている。
一方、2009年にチェコのプラハで「核兵器のない世界」を目指す演説を行い、その活動に対してノーベル平和賞が贈られたが、2011年までアフガニスタンとの戦争は継続するなど世界規模の「対テロ戦争」の遂行は継続されていた。
オバマ政権下において、中東情勢はいっそう不安定化。
2010年末にチュニジア・リビア・エジプトで民主化運動が起こり、あいついで独裁政権が倒れると、代わってイスラームを掲げる宗教政党が台頭。
シリアでは反政府デモを〈アサド〉政権が厳しく弾圧し、内戦へと発展。
政府の統治の及ばないシリアの「辺境」では、イラク戦争後の混乱で生まれた統治の空白エリアにまたがる形で、「イスラーム国」という組織が台頭し、情報通信技術を駆使した広報活動をおこなって世界の注目を集めた。
「アラブの春」で〈カダフィ〉政権が倒れた後、混乱が続いていた北アフリカ(エジプトの西隣)のリビアでも、2012年にアメリカ領事館が襲撃。
その後、リビアには複数の政権が立ち並び、内戦が勃発した。北アフリカのサハラ砂漠一帯には、崩壊したリビア政権から元兵士や武器が流れ、不安定化が進んだ。
紛争解決・軍縮の試み
21世紀の世界では、国以外のさまざまな主体(国境を越えて活動する集団、ネットワーク、企業など)の存在感が高まっており、「戦争」や「内戦」の定義自体も揺らいでいる。
国際連合の役割は依然として重要だが、停戦監視・兵力引き渡し・選挙監視・人道支援をおこなう平和維持活動(PKO)をめぐっては、派遣された軍の指揮権や中立性をどう確保するかなど多くの問題が残されている。
人間として見放すことはできないような人道危機が起きた時、当事者以外の国がどこまで介入できるのか、介入できるとしたら、それは従来型の平和維持活動で可能なのかといった議論は、依然として続けられている(人間の安全保障、保護する責任など)。
一方、通常兵器に対する国際的な規制は続けられている。
1993年には化学兵器禁止条約が締結され、1997年には対人地雷全面禁止条約が調印、2008年にはクラスター爆弾禁止条約が署名された。これらの条約の成立にも、国をまたいで活動する非政府組織(NGO)の役割は大きい。
また、コカコーラ社のインド・パキスタンにおける自動販売機のように、「平和の文化」の創出に積極的に携わる多国籍企業も現れてきている。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊