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10.1.1 世界最初の産業革命 世界史の教科書を最初から最後まで

人類の社会を「工業」中心のものに変える産業革命が最初に起きたのは、18世紀後半のイギリス(グレート=ブリテン王国)だ。



イギリスでは近世にはいって商工業がいっそう発達。
これまでにはなかったような産業ができたり、みんなで役割分担してものづくりに関わったりする中で、国内のマーケットがどんどん拡大していった。

また、スペイン継承戦争(1701〜1714年)で「大西洋の奴隷貿易」に参加する権利を得たことも、イギリスの商人や投資家に莫大な利益をもたらすこととなる。


「もうかった利益」をそのままにしておくのは「もったいない」と、「どのプロジェクトに投資すれば、さらに利益を増やすことができるだろうか」と考える人も増えていった。

ビジネスの元手(もとで)となる資金・土地・働き手・生産設備などを「資本」という。資本を投入し、労働者に賃金を払って価値を生み出そうとする人を「資本家」という。商業でもうけるなら「業資本家」、農業でもうけるなら「業」資本家、工業(ものづくり)でもうけるなら「業資本家」という


17世紀にヨーロッパ諸国が「重商主義」の政策をとると、イギリスも「商業や工業を盛んにして、いっぱい輸出してもうけよう」と、国が積極的に経済のことを考えるようになる。そして、17世紀後半にネーデルラント連邦共和国、18世紀にフランス王国をおさえて広大な海外市場を確保していった。



他方、この時期にはマーケット向け生産をめざす農業も発達していった。
従来よりも効率よくたくさんの収穫の見込める新農法(四輪作法)が開発され、産業革命期に急増する都市人口を支えることとなるよ。

大地主もビジネスには積極的。議会でちゃんと立法した上で、中小農民の土地や村の共同地を強制的にとりあげて一つの大規模な農地に変えていった(第2次囲い込み)。そして、進んだ技術をもった農業資本家にこれを貸し出して経営させたのだ。

その中で羊を放牧して羊毛・毛織物を生産したり、麻や絹織物を生産したりするなど、小規模な工業(プロト工業)も盛んになっていく。
一方、囲い込みによって土地を失った農民は農業労働者や都市の工業労働者など資本家の下で賃金をもらって働く道を選択していった。


「産業革命」前から始まっていたこうした激変のことを、「農業革命」というよ。


さらにイギリスは、石炭と鉄などの資源にめぐまれ、また17世紀以降、自然科学と技術の進歩もめざましかった。

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コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観(世界遺産)

ブレナヴォン産業用地(世界遺産)

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ダーヴェント峡谷の工場群


同様の経済成長を達成していた世界の他の地域はほかにもあった(北インド、長江下流、関東平野)けれど、これらの地域が直面していた「環境の制約」を乗り越えることができたのは、たまたまイギリスだけだった
イギリスは、たまたま豊富な石炭へのアクセスと、新大陸という広大な土地へのアクセスという “好条件” を持っていたことを前提条件にして、新しい生産技術(テクノロジー)を応用して工業生産を拡大させていくことになる。


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こうしたさまざまな要素がからみあって、イギリスで、18世紀後半に世界最初の産業革命がスタートすることになったのだ。

とはいえ、1780年〜1801年になっても、イギリスの国民生産の年成長率は1.3%程度しかなかったとされている。
社会の変動は19世紀半ばにかけての長いスパンで起こっていったんだ。


そしてこの変革を可能としたエネルギーの新技術は、やがて世界中に拡大。

やがて、人類の社会そのものを根本的に変化させてしまうような激変をもたらすことにもなるよ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊