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インカ王の贈り物 8.1.2 アメリカ大陸の征服

インカ帝国は「帝国」か?

1533年にスペイン人の征服者ピサロによって滅ぼされたインカ族の国家は、「インカ帝国」と呼ばれ、その歴史も、ヨーロッパ人のイメージする「帝国」に当てはめるようにして理解されるようになりました。

しかし、「インカ帝国」が実際にどのような支配をしていたのか、当時再録された証言をもとにすると、いくぶん違った実態が明らかになっていきます。

ワンカ族は、かつて「インカ帝国」に征服されたときのことを、スペイン人の記録者に次のように証言しました。

「本証人が父と祖父から聞いたところでは、インカがこの地〔ワンカ社会〕を攻めにやって来たとき、王はまず丘に拠点を築いた。兵士の数はウヌ〔インカの十進法的区分による一万人組〕であった。

統治の軍事指導者であった曽祖父は、住人の兵士を伴ってインカのもとに臣従の意を示すために赴いた。他の住民は隠れて様子を窺っていた。

するとトゥパク・ユパンキ王は、曽祖父に高雅な上着と毛布、アキリャと呼ばれる酒盃を贈与した。

潜んでいた住民は、首長が無傷で帰ってきたのでおおいに喜び、皆でインカ王のもとに参じ、臣従を誓った。

インカはキートへ随行することを彼等に要請した。

聞けば、インカは抵抗した者たちに対しては殺したり、あるいはその土地を簒奪したという。」


(出典:網野徹哉「アメリカ古代帝国の生成―インカをめぐる諸問題」『岩波講座世界歴史(3)』岩波書店、1998年、152頁。網野徹哉『興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯』講談社、2009=2018年にも、同じ箇所の訳出がある)


ペルーにおける同様の証言も読んでみましょう。


「ペルー全土を征服したのは、トゥパク・インカ・ユパンキだったと父から聞いたことがあります。父は王の従僕でしたが、王は父が住んでいた地を征服して勝利した際、父を召し上げました。その土地では、インカに抵抗したがゆえに全住民が殺戮されたのですが、父は幼かったのでその命を救われたのです。」(網野2008、上掲)


贈り物によるインカ王の支配

「インカ帝国」の発展した舞台は、アンデス山脈から海岸付近にかけて、南北にかけて伸びる広大なエリアです。この地は、比較的狭い範囲のなかに、高山気候や乾燥気候、熱帯気候など、さまざまな気候が分布しており、バラエティ豊かな産物を自給自足することもでき、標高の高いところから低いところまでをコントロール下に置く国家も「インカ帝国」以前にすでに現れていました(以下を参照)。



一般に、「国家の成立のためには、徴税・備蓄しやすい穀物が適している。
腐ってしまうイモ類は、徴税・備蓄に向かず、国家の成立には結びつかない」と言われます(例えば、ジェームズ・スコット『反穀物の人類史』)。



しかし、山本紀夫さんの主張するように、「インカ帝国」はジャガイモ栽培を基盤にして発展した国家だったことは、注目すべき点です。
特にジャガイモで作った酒や、各地から手に入れた産物を贈り物としてふるまうことで、各地に暮らす人々をコントロール下に置き、労働力や兵士として徴用することができたのです。

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インカ帝国でもちいられたトウモロコシ酒(チチャ)を入れる土器 Image by Sean Pathasema/Birmingham Museum of ArtFile:Cup (Qero).jpg (CC BY 3.0) 

南米で15世紀から16世紀にかけて栄えたインカ帝国では、地方の征服に際し、織物や土器、あるいは嗜好(しこう)品であるコカの葉を軍が携行し、恭順の意を示した集団に与えたという。
一方で征服された側が差し出したのは物品ではなく、一定期間の労働奉仕であった。王や太陽神の土地を耕し、布を織ることで応えたのである。
アンデス地域では、古来、見返りなしの労力提供はありえず、庶民の間でも、食物や酒の贈与は欠かせなかった。征服事業はこの延長線上にあった。
(出典:関雄二「王と庶民は相身互い」(旅・いろいろ地球人、国立民族学博物館))


リャマやアルパカ以外に大型の家畜の分布しないアンデス地方では、人手は貴重なエネルギーの一つ。

インカ王がさまざまな産物を倉庫に蓄えていたことは、征服者ピサロの従弟も次のように記しています。

「ひじょうに薄手の衣服やその他もっと粗製の衣服をおさめた倉庫がたくさんあった。椅子を収めた倉庫、食料、コカを入れた倉庫もあった。羽毛についていうと、最上質の金のように見える玉虫色の羽毛細工をおさめた倉庫があった……。竜舌蘭(りゅうぜつらん)で底を作ったはきものの倉庫もあった……。この王国で作られたあらゆる種類の衣服の倉庫について、私が見たものを語りつくすことはできない。」(増田義郎訳、網野徹哉『興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯』講談社、2009=2018年)


このように、「インカ皇帝が、強大な権力を用いてアンデス地方を支配していた」とみるのは、スペイン人の記録者の広めた負のイメージという側面が強いのです。


参考




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