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中国のルーツは漢か唐か? "今"と"過去"をつなぐ世界史(7)

"今"と"過去"をつなぐ世界史(7) 前200年〜紀元前後の世界

中国人の「国服」とは?

高校生に「中国人の服といえば?」といって真っ先に挙がるのは「チャイナドレス」だろう。世代があがれば、人民服も出てくる。

でも、中国政府が中国国民の服として推進しようとしているのは、そのいずれでもなく、「唐服」と呼ばれる服装だ。TikTokで「唐服」と検索してみると、さまざまな動画が発信されていることがわかる。その多くが女性によるものだ。

唐服のルーツは、2001年に上海でひらかれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)にある。記念撮影の場では各国首脳にも着用させていて、「APEC唐装」とも呼ばれるそうだ。

「APEC唐装」といういびつな呼称からもわかるように、これはAPECにあわせて急拵えされた”伝統”にすぎない。

 もともと中国の伝統衣装といえば、先ほどあげたチャイナドレス(旗袍(チーパオ))のほかに漢服があった。
 もちろん、孫文が国民党の礼服としてデザインしたともいわれ、その後中華人民共和国での正装にひきつがれた人民服(中山服)もある。だが、こちらは歴史の浅さゆえ、伝統的な「国民の服」と称するには、少々弱いところがあるのであろう。

毛沢東と蒋介石


中山服を着用する習近平

 そもそも中国には多様な民族がいる。「少数民族」として認定されているものだけでも55もある。

 他方、2000年代初め以来、中国では草の根レベルで、民族服を着ようという意識が高まった。最大民族である漢人の服である漢服は、2003年11月に河南省鄭州市の男性が着用したことを報じる新聞がもとで広まった。2007年には全人代と中国人民政治政商会議でも「漢服を国服にすべき」という提案がなされた。


 だが、「漢服」の定義を定めるのは難しい。漢服は「「単一の形態のものではなく,古代から明末清初までの中国の長い歴史の中で、漢族がかつて着用していた装束の総称である。また、同じ時代のものであっても,地域や社会階層によって 漢服の形態は異なっていた」(湯天悦・阿部康久「中国上海市における漢服の復興・活動状況と活動空間 」、『地理科学』77(1)、23-43p、2022年)。
 「漢服」や「唐服」と銘打っている衣装のなかには、実際には違いが判然としないものもあるが、王朝や身分のスタイルにこだわったり、コスメのスタイルによって王朝ごとの特徴を出そうと工夫する人も多い。

山内智恵美「「民族服」と「国服」、期待と奮起—21世紀中国人の服装意識変化の研究」、『大東文化大学紀要』61 ,
2023年、https://opac.daito.ac.jp/repo/repository/daito/54250/AN00137137-20230228-016.pdf


 中国では今年「中華民族精神を損ねたり中華民族感情を傷つけたりするような物品、言論を制作、伝播、宣揚、散布する行為」に処罰をくだせる治安管理処罰の改正案が、物議をかもした。明示されてはいないが、日本の文化、特にサブカルチャーにちなむ衣装を嫌気したものであるといわれる。

 では「中華民族精神」をトップダウンで生み出せるかといえば、それも難しい。
 かつて文化大革命(1966〜1976年)時代には、毛沢東夫人である江青が、天津で女性向けの「国服」を導入しようとし、失敗している。

「江青裙」と呼ばれたワンピース。左右対称の V 字型の襟が付いており、漢服の Y 字型の襟とは異なるデザインとなっている。https://www.baike.com/wikiid/5296812280578926335?view_id=41f4n0k1dva000

 

 冒頭に挙げたAPEC唐代の評判もかんばしくない。国服というのに、なぜ西洋由来のジャケットがベースとなっているのかという批判がある。
 巷では若者を中心に、もっぱら漢服が人気となっている。11月22日は「漢服を着て街に出ようデー」とされ、オーディション番組では現代風にアレンジされた漢服を着たグループが踊り、ファッションショーも催されている。

 だが、「漢服」といってしまうと、そこから漏れ出してしまうのは、漢人以外の少数民族だ。
 だから中国政府としては、どちらかといえば、白登山の戦い(前200年)で遊牧民・匈奴に敗れて服属した漢よりも、遊牧民の東突厥を服属させて最大版図を誇った唐の衣装のほうが、多民族統治のシンボルとして都合が良いのだろう。

 唐代にはチベット系の吐蕃(とばん)や雲南の南詔(なんしょう)、トルコ系の東突厥など、周辺民族を平定したことから警戒心がゆるみ、異民族イラン系の文化の影響を積極的に受容することになった。そもそも唐自身も、鮮卑という遊牧民に出自をもつ王朝だ。

 2023年7月、日本でG7広島サミットが催されていたちょうどその頃、かつての唐の都・長安のあった西安市、中国・中央アジアサミットが催された。歓迎レセプションは大唐芙蓉園で催され、胡服に身を包んだ女性たちが胡旋舞を披露した。大雁塔の南東に位置する、唐代の長安をモデルにしたテーマパークだ。豪華絢爛、帝国的なダイバーシティとは、まさにこのことである。

 中国の国服に相応しいのは、漢服か、唐服か。チーパオを除いてはあまり触れなかったが、最後の王朝である清時代の服装の影響にも、色濃いものがある。
 多数の少数民族を抱える中国が、そもそも対内的に統一的な「国服」なるものを設けることは困難だ。しかし、外向きのイメージとしては、唐にルーツを求めておきたいというのが、中国政府にとっては本音なのだろう。


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