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14.5.3 独ソ戦 世界史の教科書を最初から最後まで

まずは、前回のふりかえりから。


ドイツはバルカン半島に侵攻した

1941年4月、ドイツはバルカン半島に侵攻し、ユーゴスラヴィアとギリシアを占領した。

これに対し、バルカン半島に利害を持つソ連の指導者スターリンは激怒。

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1939年にドイツとソ連の間に結ばれた独ソ不可侵条約の秘密議定書では、バルカン半島の勢力についての規定はなかった。



ソ連は、日本との戦闘をやめる


「ドイツはソ連との戦争を準備していますよ」

さまざまな情報が、スターリンの耳にも届くように。

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「そんな情報は、きっとイギリスの仕組んだ罠に違いない」と、スターリンの判断は決して迅速ではなかったが、1941年に入ると軍備を増強させ、さらに1941年4月には日本に接近。

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それまでモンゴル・満洲国の周辺をめぐり戦闘状態にあった日本との間に日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)を結んだ。

内容は、互いに主権をおびやかすようなことはしないこと(相互不可侵)。さらに、日本またはソ連が、ほかの国による軍事行動を受けたときには、その国の味方をしないこと(中立)。

この効力は1946年4月までの5年間

ソ連としては、西にあるドイツと戦うのに、日本との戦闘を続けておくのは得策ではないとの判断だ。

これに先立つ1940年6月、ドイツはフランスを占領。その戦果に後押しされ、1940年9月27日の第二次近衛内閣は、ドイツ・イタリアとの間に三国軍事同盟を結んでいた(【進む→】14.5.4 太平洋戦争)。

これに際して、当時の政府・官僚・軍部にはさまざまな意見があった。日ソ 連携による、独伊・米英・中華民国対抗  (日本とソ連が連携する形で、戦争を回避しよう)とか、日独伊ソ連 連携による、米英・中華民国 対抗ファシズムのドイツが、共産主義のソ連と不可侵条約を結んでいる。イギリスとアメリカとの関係が悪化している以上、日本はソ連も提携する道をとるべきだ」、英米との連携派「あくまで独伊との接触は避けて英米との交渉をするべきだ」「独伊ソとの提携をしつつ、アメリカとの中立もはかれるんじゃないか」、とか。当時は、陸軍が内閣の存続を左右することが制度的に可能であったため、構造的に陸軍の意見が押し通されやすい状況。最終的には独伊との軍事同盟が実現することになる。

その後の展開がわかっている現在のわれわれにとっては「当たり前」の結果だけれど、当時の流動的な情勢においては「様々な選択と可能性」が、それにまつわるさまざまな言説とともに、日々、せわしなく移り変わっていた。



ドイツはソ連に侵攻した


こうして1941年6月、ドイツはイタリア、ルーマニア、フィンランドとともにソ連を奇襲。ドイツとソ連との戦争(独ソ戦)がはじまった。

ドイツはソ連の首都モスクワに1941年末にせまるけれど、ソ連軍はこれを押し返すことに成功した。


枢軸国であるドイツとの戦争がはじまったことで、ソ連はイギリスと同盟を結ぶことに。

また、アメリカも加えた「連合国」の一員として、ドイツ・イタリア・日本などの「枢軸国」と戦う姿勢を強めるため、1943年にはソ連は革命を世界中に広めるための組織「コミンテルン」を解散した。


1935年には「ファシズムは敵だ」と言っていたスターリンは、

1939年には一転「ファシズム(ドイツ)と連携しよう」に転換し、

1942年には「ファシズムは敵だ」に変化したことになる。



暴力が吹き荒れる



独ソ戦の戦場では、たがいの「敵」を「絶滅」させるべきという「世界観」をベースに、そこでは、ドイツ国防軍ソ連の赤軍ともに、戦争末期まで際限のない殺戮を繰り広げた。

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ドイツ国防軍の兵士



ドイツは、短期間のうちにソ連を倒す計画に失敗。

戦争は持久戦となり、必要な工業製品・食料が東西ヨーロッパの占領地から奪い取られた。

働き手には、ドイツに連行した数百万人の外国人のみならず、支配地域で「人種的に低レベルだ」とされたユダヤ人やスラヴ系の人々も使われた。

「働くことができない人間」は、イコール「生きる価値のない人間」。
「用無し」とされた人間(異性愛者ではない人、なんらかの病気・障害を持つとされた人、子供や高齢者、少数民族(ロマ(ジプシー)など))

は各地の「強制収容所」で殺害され、「働ける」人間には、人間性を失うまで働かせられるか、命を落とすか、どちらかの選択肢しか残されなかった。


こうしたドイツの過酷な支配は、しだいに各地で、民衆たちによる抵抗運動(レジスタンス)や武装抵抗運動(パルチザン。レジスタンスのための非正規軍)の組織につながっていく。



ドイツのもソ連も(両者ともに死者は1000万人以上!)、独ソ戦において未曾有の犠牲を払った。
ヒトラーが悪いのか、スターリンが悪いのか、両国の軍のトップが悪いのか、一兵卒は悪くないのか、銃後の国民は悪くないのか、どうなのか。
人類史に残る悪夢をめぐる事実や気持ちの整理と解釈は、戦争が終わって数十年経ってもなお、続いている。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊