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1.3.7 キリスト教の成立 世界史の教科書を最初から最後まで

キリスト教は、現在世界のじつに20億人が信仰している宗教だ。

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そのキリスト教が生まれたのは、ローマ帝国時代。


発祥の地はパレスチナだ。



キリスト教がどんな宗教か一言で言うと、イエス(前7頃/前4頃~後30頃)が「人類全体」の「救世主」だとする宗教。

ただ、イエス自身はユダヤ人だし、イエスの信仰していた神も、ユダヤ人の信仰していた神と全く同じ。

じゃあそこからどうして新しい「キリスト教」に発展していったんだろう?



事情は今から2000年ほど前にさかのぼる。

イエスが生まれたころ、ユダヤ人の住むパレスチナは、ローマ帝国による厳しい支配を受けていた。



一方、当時のユダヤ人の社会では、ラビ(祭司)を中心に立法を厳しく守ることに重きを置くパリサイ派が力を持っていた。

貧しい民衆には、ラビやパリサイ派たちはローマ支配を受け入れ、貧しい人々を救おうとしない人たちであると映った。


しかし、ユダヤ教の「神」(ヤハウェ)に対して呼びかけても、神は何も答えてくれない。

民衆たちは思う。

「神なんてほんとにいるのか?」と。

司祭たちは答える。

「律法をちゃんと守っていれば、最後の審判のときにユダヤ人だけが救われるのだ」

しかし貧しい人々にとっては、儀式や律法遵守など単なる形式主義としか映らなかった。

そんな中、次のように説く人物が現れた。

「貧しかろうが豊かだろうが、神はみんなを救います。ローマ人だろうが、パリサイ派だろうが、関係なく愛しなさい。神が平等にみんなを愛するように、みんなも神様を愛しなさい。そうすればやがて神の国に入れる。最後の審判のときに救われる」(神の絶対愛隣人愛

これがイエスである。

ユダヤ教では、ユダヤ人の救い主のことをメシアと呼ぶけれど、このとき、多くのユダヤ人民衆が「イエスこそが「メシア」に違いない」と信じたのだ。


しかしこの動きに対してユダヤ教のラビやパリサイ派は、ローマ人の総督ピラト(在任26~36年)にイエスを反逆者として訴えた。
こうして裁判の結果、イエスは十字架にかけられ処刑されてしまう。
紀元後30年頃(今から2000年ほど前)のことだ。


しかし、その後もイエスの教えは弟子たちの心の中に生き続ける。


「イエスはその後、復活した」
「やはりイエスはメシア(ギリシア語ではキリスト)なのではないか」
「イエスは死を覚悟で、人が生まれたときから持っている罪を、代わりにつぐなってくれたのではないか」

このように解釈されるようになったキリストの教えは、しだいにユダヤ人の枠を超え、ローマ人の世界にも拡大。
これに貢献したのが、イエスの直弟子(12使徒)の一人であるペテロや、もともとローマ市民権を持ちイエスの教えを迫害する側に立っいた”異邦人”パウロといった「使徒」(エヴァンゲリオン)と呼ばれる人たちだ。


特にパウロによって、イエスはユダヤ人にとってのメシアのみならず、ローマ人も含む人類全体にとってのメシア(キリスト)だったのではないかという解釈が主流になっていくよ。

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使徒による伝道の成果もあってその後3世紀頃までに、ローマ帝国の領内では、奴隷や女性、下層市民など、つらい状況に生きる人々の心をとらえていった。


それにともない、イエスによって明らかにされた「神の言葉」(福音(ゴスペル))や、使徒たちによるイエスの目撃談や手紙などが、まとめられていった。これが『新約聖書』だ。

だから『新約聖書』は一冊のストーリーではなく、いくつものストーリーの収録された”アルバム”のような構成となっている。イエスの活動を伝える「福音書」だけでも4パターンもあるんだよ(4福音書)。

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Bible Learning より)



イエスの伝えた「神」の言葉は、『旧約聖書』に登場するこの世の創造主である「神」(ヤハウェ)の言葉ということになっている。だから『新約聖書』は、『旧約聖書』のいわば”続編”という位置づけでもある。


イエスが話していた言葉はアラム語だったけど、『新約聖書』の言葉はギリシア語の共通語(コイネー)で書かれた。のちにローマでラテン語に翻訳されることとなるよ。


なお、イエスが十字架にかけられたイェルサレムのゴルゴタの丘には現在は教会が建てられ、建物内にお墓がある。



このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊