8.1.3 商業革命と価格革命 世界史の教科書を最初から最後まで
これまでインド洋周辺の国々との直接的な交流をもたなかったヨーロッパが、16世紀になってインド洋の物流ルートに進出したことは、ヨーロッパに大きな影響を与えた。
なんといってもこの頃、世界のGDPのほとんどを占めていたのは、ヨーロッパではなくアジアの国々だ。
ヨーロッパには、アジアの国々と交換できるだけの商品を生産する技術力なんてない。
それでも、ヨーロッパ諸国に幸運な点があるとすれば、それは大西洋に進出し、南北アメリカ大陸を我がものにすることができたこと。
大量の貴金属が、現地の人々を酷使(こくし)することで生産され、持ち出されていった。
その代表例は、1545年に現・ボリビアのポトシ銀山で発見された大量の銀鉱。
現地の人々は苦しさをまぎらわせるために、コカの葉を噛み、神に祈ったのだという。
ポトシのほかにも、メキシコの銀山で生産された銀は大西洋を渡りヨーロッパに大量に流れ込み、ヨーロッパ各地の物価を2〜3倍に上昇させることに。
毎年同じ額の土地代を領民から徴収していた領主にとって、物価上昇は想定外の事態だ。
農業に依存する領主の力が弱まるきっかけとなるよ。
銀はまた、太平洋を渡ってアジアにももたらされ、やはり政治・経済・社会に大きな影響を与えた。
従来、盛んだったユーラシア大陸東西を結ぶ貿易に代わり、アメリカとヨーロッパを大西洋で結び、アジアとアメリカを太平洋で結ぶ貿易が活発化。
ヨーロッパ諸国の参加する物流の中心として重要だった地中海の重要性が低下し、アジアやアメリカに向かう船が大西洋沿岸に集まるようになったよ。
しかも取引する品物のラインナップも、これまではアメリカ大陸にしか存在しなかったトマト、
ジャガイモ、
トウガラシ
のようなラインナップに変化。
こうした商業の中心地やラインナップの劇的変化のことを、歴史学者は「商業革命」と呼ぶ。
まだまだユーラシア大陸沿岸諸国のほうが、物流ルートやGDPの上でヨーロッパよりも上手だったけれど、ヨーロッパの商人たちにとっては千載一遇のチャンス。
もうけのために資金、土地、人手を使い、もうけたお金でさらに土地、材料、人手を使うという”雪だるま式“の事業展開にかかわる人も増えていった。
このような経済を資本主義経済というよ。
資本主義経済が盛んとなったのは、商業の中心地である大西洋沿岸の西ヨーロッパ諸国(西欧諸国)だ。
つまり、「商業革命」によってビジネスの中心地が大西洋にうつり、アジアの産物ではなくて南北アメリカ大陸の産物を「商品」にすることができた大西洋岸の西ヨーロッパ諸国こそが、今後経済的に発展していくことになるというストーリーが描けるわけだ。
その覇権は、初期の頃はポルトガル・スペイン、のちに、ネーデルラント(オランダ)、フランス、イングランドというように移り変わっていくよ。
アジアとの直接物流ルートや、大西洋・太平洋を舞台とした物流ルートが活発になるにつれ、エルベ川よりも東の東ヨーロッパ地域(東欧地域)は、西欧諸国に穀物を輸出することで利益を得る役回りに変化。
領主が領地を直接経営し、土地に縛り付けた農民たちに輸出用穀物や織物などをつくらせる農場領主制(グーツヘルシャフト)が広まっていった。
西ヨーロッパでは農民が領主から解放されたのに対し、東ヨーロッパの農民たちかえって「不自由」な労働に縛られるようになっていくんだ。
東ヨーロッパは大西洋に面していないから、商品を生産するために支配層はそうするほかなかったわけだ。
このときにはじまった東ヨーロッパと西ヨーロッパの”役割分担“が、その後2つの地域の間に差をもたらすことになっていくよ。
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