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【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ③ 前3500年~前2000年


気候に合わせてライフスタイルをチェンジ!②

世界史を26ピースに「輪切り」して、一緒に人類の歴史のストーリー展開を眺めています。
今回は3つ目のピースです。(イラスト from 「いらすとや」)

目次
0. 前3500年~前2000年の世界

1. 前3500年~前2000年のアメリカ 
2. 前3500年~前2000年のオセアニア
3. 前3500年~前2000年のアジア
4. 前3500年~前2000年のアフリカ
5. 前3500年~前2000年のヨーロッパ

気候に合わせてライフスタイルをチェンジ!②

(完全版は世界史のまとめ」ウェブサイトへ)

―この時代には、植物の栽培や動物の飼育があちこちで発展していくよ。
 特にユーラシア大陸の乾燥エリアでは、厳しい気候だからこそ、大きな川から水を引っ張り大規模な農業・家畜の飼育をおこなうことに成功。
 人口が爆発的に増えて余裕ができた分、いろんな技術や世界観が発展していくよ。

 収穫量が増えると、それを独り占めしようとする人も出てくる。でも、たくさんの人を「納得」させるにはどうすればいいと思う?


武器を持っておどすとか…

―なるほど、実力行使か。
 たしかに、「力」(パワー)でねじ伏せせれば大抵の人はあきらめるだろうね。
 
 食べ物に余裕が出てくると、食べ物を作らずに別の物を作る専門家が現れるようになる。例えば金属を作る人だ。金属は骨や石よりも硬いから、当時最強の武器だった。

 特に青銅器は固い(鉄はさらに固い)。

 これを大量にゲットして兵士たちに持たせ、自分の豪邸や穀物の倉庫を守らせれば良さそうだ。


でも、やっぱり不満に思う人もいますよね?
―その通り。
 力だけでねじ伏せようとしても、長続きはしないものだ。
 「この人をリーダーにしたい!」「リーダーになるならこの人だ!」というメンバーの気持ちも重要だ。


ただ単純に「強い人」ってだけじゃダメっていうのは、今とあまり変わらないかもしれませんね。
―「なぜその人がリーダーじゃなきゃいけないか」という納得のいくストーリーが求められるよね。

 当時の人たちは、今のわたしたちよりも「人間は自然の一部」という気持ちが強かったと考えられる。「雨が降らなきゃ死んでしまう」からね。とてもシンプルだ。
 でも「いつ雨が降るか」をコントロールすることはできない。
 自然っていうのは「複雑」なんだ。台風がいつどのコースを通ってくるのか、21世紀になっても直前までわからないのと同じことだね。

 でも人間は「よくわからないもの」が嫌いな動物だ。
 「よくわからない」ものって「怖い」よね

 「どうして生まれたのか?」「死んだらどうなるのか?」。そんな複雑なことまで考えることができるほどの脳みそのサイズになってしまったことが、そもそもの原因だ(笑)


そういう「よくわからないもの」を説明してくれる存在を求めているってことですかね?
―そうなんだ。それっていつの時代でも変わらないかもね。
 当時の人間たちにとって、「いつ降るかもわからない雨」「いつ現れるかもわからん太陽」「すべてを壊してしまう地震や台風」「いつ死んでしまうかもわからないこの命」

 そのすべてを説明してくれるストーリーをわかりやすく提供してくれる人は、リーダーに値する人といえたわけだ。

 彼らはこの世界のさまざまなことを「神様」によって説明した。
 「神様」とは、人間を超える存在のことだ。

 雨の神様、太陽の神様、地震の神様、台風の神様。不吉な神様もいれば、自分たち部族の神様もいただろう。
 複雑な神様とコミュニケーションするためには、複雑な儀式が必要だ。複雑な儀式をおこなうことができる人を、神官(しんかん)とか聖職者というよ。

 彼らのもとにはお祭りのときには町じゅうからお供え物が集まってくるし、たくさんの人を動かすこともできる。

 だから、この時代の町の中心には決まって「神様」とコミュニケーションする場所が建てられたわけだ。


なるほど。ユーラシア大陸のど真ん中の草原地帯はどうですか?
―馬やヤギなどの家畜を連れて移動生活をする人たちのパラダイスだ。もちろん生活は厳しいけれど、よりよい生活を願ってライフスタイルを発展させていくよ。彼らには彼らの世界観にもとづいた「神様」が作り出されていく。

 アメリカ大陸では農業や家畜の飼育がおこなわれている場所は一部の地域だけだけど、導入に成功した地域では人口がどんどん増えていくね。

 オセアニアでも船を使って南へ南への移住が続いている。オセアニアの島は狭いから、人口が増えればと別の島に移住しないといけないわけだ。

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◆前3500年~前2000年のアメリカ

―アメリカ大陸のほとんどの場所で、人々は農業や家畜の飼育ではなく、狩り・釣り・採集によって暮らしている。

農業をやっていた場所はないんですか?
―北アメリカの南側ではトウモロコシの栽培が始まっていたよね。
 でもこのころのトウモロコシってまだ実の部分が5~7cmくらいしかないんだ。サラダに入っているミニトウモロコシくらいのサイズだ。これではまだまだたくさんの人口は養えないから、海岸近くでは魚を釣ったり貝を採ったりして暮らしていたようだ。

 南アメリカ大陸でも山のほうではトウモロコシ(テオシントという原種)やジャガイモ(アカウレという原種)の農業が始まっている。

どうして山なんですか?
―南アメリカ大陸の西岸(上を北にして左側の海岸)には砂漠が広がっているからだ。標高が高いエリアは寒そうだけど、赤道の近くなら気候は比較的温かい。
 リャマやアルパカといった家畜の飼育も始まっているよ(両方とも原種はグアナコという動物)。

 で、しだいに海岸近くにも農業が導入されるようになって、神殿も建てられるようになっていく(農業が導入されるより前に神殿があった証拠も見つかっている)。

 人々は山から流れてくる川の周りや、魚がたくさんとれる海岸近くに村をつくり、人口が増えると神殿を中心に町をつくっていったようだ。


古代の文明って、エジプトとかインダス文明だけだと思っていました。
―日本では「四大文明」といって、①エジプト、②メソポタミア、③インダス、④中国の文明だけが取り上げられることが多かったんだ。語呂もいいし「大きな川があるところ」っていう共通点もわかりやすいしね。


 でも実際には、人が自然をコントロールする方法はたくさんある。アメリカ大陸の場合にはエジプトのような大きな川があるわけではないけど、大きな建物が建てられ、カレンダーや文字もつくられていく。

 必ずしも「大きな川があるところ」に古代の文明が生まれたわけではないんだ。


なにごとも決めつけてはいけないってことですね。

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◆前3500年~前2000年のオセアニア

オセアニアには文明は生まれますか?
―農業や動物の飼育が始まっていろんな道具がつくられるようになっているね。「ラピタ土器」ってGoogleで調べてみよう。スタイリッシュなデザインの土器だよね。
 オセアニアの島々は狭いし、なかなかたくさんの食べ物をつくることはできないから、人口はあまり増えない。

フランス領ポリネシアの島 Photo by Dave Shaw on Unsplash

だからすごいパワーをもっているリーダーが現れるっていうよりは、親戚ぐるみの付き合いが社会の基本だ。「誰がリーダーになるか?」という決定に、親戚同士の関係やバランスが関係するような支配の仕組みのことを首長制(しゅちょうせい)というよ。

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◆前3500年~前2000年の中央ユーラシア

―この時期にはすでに馬や牛に「車輪」の付いた乗り物を引かせるテクノロジーが編み出されていた。


すごいスピードが出そうですね。
―そうだ。それに荷物を効率よく運べるようになるよね。彼らのライフスタイルは、水場や草原を求める移動生活だから。
 このころの草原地帯には大きなお墓もつくられるようになっていて、みんなの支持を集めたリーダーが大人数をまとめていたらしい。

 彼らの話していた言葉は今となっては謎だけど、どうやら今のインドのヒンディー語やヨーロッパの英語やドイツ語のご先祖となる言葉らしい(インドやヨーロッパの言葉のご先祖)。


それくらい広い範囲で活動していたってことですね。
―そうなんだ。
 中国の文明にも、彼ら遊牧民の影響が及んでいた証拠がある。
 でも、気候がしだいに寒くなると草原が枯れて生活が苦しくなった。

 もともと遊牧民は、定住民(移動せずに農業や家畜の飼育をしている人)と協力関係を結ぶことが多かった。
 遊牧民は移動しなきゃいけないから、金属でできた道具とか農産物は自分たちではつくることが難しい。そこで丹精込めて育てた家畜をレンタルしたり、お肉や皮を売ったりしていたんだ。

 でも、生活環境が苦しくなると、交換でまかなうには限界が来る

 そうなると次の時代にかけて草原の遊牧民たちは、食べ物を求めてユーラシア大陸の川や沿岸近くにまで大移動を進めることになっていくわけだ。

  
 この遊牧民の大移動が世界史の流れに大きな影響を与えることになるんだよ。

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◆前3500年~前2000年のアジア

―この時代のアジアのようすを日本から順にみていこう。

◇日本
―当時の日本列島の人々は狩り・釣り・採集が基本のライフスタイルを送っていた。食べ物を「つくる」暮らしではなく「とる」暮らしが主流だ。四季を通じて食べ物のレシピは豊かで、定住生活もおこなうことができた。


◇中国
―この頃には黄河(こうが)の周りで、同じ仲間意識を持った集団が団結していたとみられる。
 リーダーの墓は大きく、大きな町の中には豊かな人と貧しい人との区別もはっきりしてきているよ。
 ガの幼虫を育て、そのサナギのマユから糸をとったシルク(絹)づくりもこの時期に始まっている。火力がアップしたおかげで、土器の強度も上がっているよ。
 馬、戦車、青銅器も、“お隣さん”の北方の草原地帯から、遊牧民を通して紹介されている。


 しかし、だんだん気候が乾燥化していくにつれ食べ物に困る人々が続出。武器により傷ついた骨も発見されるようになっている。


多くの人を従えるリーダーが出現するようになるんですね。
―そうなんだ。
 この時期に力を付けた支配者のひとつが、のちの中国の王国につながっていくのではないかと考えられているよ。
 

◇前3500年~前2000年のアジア 東南アジア
―東南アジアの人たちは狩り・釣り・採集を基本とする生活をおこなっていましたが、“お隣さん”の中国の影響を受けるようになっていく。


◇前3500年~前2000年のアジア  南アジア
―この時期のインドではインダス文明という文明が栄えていた。

強力な支配者が君臨していたんですか?
―そういうわけでもないんだ。
 昔は「インダス文明は大きな川の工事のため、王が強いパワーで人々を従えていた」と説明されることが多かったんだけど、そもそも王宮や巨大なピラミッドのようなものはないから変だ。
 最近ではインダス文明は、「農業や商業で栄えた都市の集まり」だったんじゃないかと考えられているよ。

 商人はインドのあちこちから小麦や商品を川に運び込み、それを船に乗せて西のほうに輸出した。“お隣さん”の西アジアでは、「インダス文字」という絵文字の刻まれた石の破片がみつかっている。

 この文字は、インド国内のいろんな人たちや外国人と取引するときのコミュニケーション手段につかわれたんじゃないかと考えられている。「牛」の絵が描かれていることから、現在のインド人の多くが牛を大切にしているところに通じるものがあるよね。

今でも牛車が走るインドムンバイ近郊)Photo by Anmol Kerketta on Unsplash

 しかしこのインダス文明、ほかの地域と同じく南アジア(≒インド)の気候が乾燥化していくと、人々は町を捨て雨の降る地域へと移動を始めてしまった。
 彼らの子孫は現在のインドの南のほうにいる人たちじゃないかといわれている(注:ドラヴィダ人)。



前3500年~前2000年のアジア  西アジア
―この時期、地球上でもっとも多くの人口をかかえていた町は、西アジアの乾燥エリアを流れる川の近くにあった。

 遠く山のほうから水を集めて乾燥エリアを流れる2つの川は、まさに“命の水”。
 現在のイラク(地図)という国のあたりには、その水を利用した農業と家畜の飼育で栄え、神様の「ふしぎな力」(…と当時の人たちが信じた力)を利用しつつ、軍隊のパワーによって町を支配する王様が現れたんだ。

 町ごとに守護神がいて支配者も別々に君臨していたけれど、ときに水場や取引をめぐって戦争も起きた。その結果、いくつもの町を支配するような神殿や王様も現れるようになるよ。


この文明の特徴は何ですか?
―どんな人たちかよくわかっていないことも多いけど、川の泥を固めて、その上に草の茎(くき)で文字を刻んだ破片が残されているから、ある程度のことは判明している(この文字は神殿へのお供え物の管理につかわれ、書ける人はわずかだった)。

 まず、王様は立派なあごひげを生やしていたらしい。町の人たちはいろいろな職業を担当していて、奴隷(人間としての権利が認められない人(モノ扱いされた人))もいた。

 町の周りは頑丈な壁でかこまれていて、見張り番もいた。外の世界からは遊牧民とか別の町の人もやって来て、取引がおこなわれていた。“お隣さん”の南アジア(インド)とも貿易をしていたことがわかっているよ。

 モノを数える単位は60進法で、今の10進法とは違った数え方だ。ちなみに1週間は7日というのは今と同じだ。


この文明は長続きできたんですか?
―周りの民族によって何度も乗っ取られ、そのたびに支配者が代わっていったんだ。やっぱり贅沢(ぜいたく)な生活はあこがれの的だからね。

 結局、外部からやってきたアッカド人という民族が破竹の勢いでいくつもの町を征服し、「全世界の王」(四方世界の王)と名乗るんだ。
 しかし、人類初の“世界征服”の記録を残した王国の支配は長続きせず、反乱が起きてバラバラになってしまう。

 支配が長続きしなかった原因は、環境破壊だともいわれているよ。
 長い間ジャブジャブと水を注いで同じ場所で農業をやっていると、土地の表面に塩分がたまってしまうんだ。塩だらけの土地で植物は育たない。だから西アジアの「2本の川の文明」(メソポタミア文明)は、次第に衰えていくよ。

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◆前3500年~前2000年のアフリカ

―この時代のアフリカでも、気候の乾燥化が進んでいる。人々は、もともと住んでいたエリアから水場を求めて移動をすすめている。

 彼らが向かった先のひとつがナイル川の周りだ。
 現在のスーダン(地図)という国のあるところやエジプトでは、農業や家畜の飼育で栄えた町が巨大化し、王様の支配も始まっている。

 「エジプトはナイルのたまもの」という言葉があってね、エジプトで文明が栄えたのはナイル川のおかげでした、という意味だ。ナイル川は1年に1度、決まった時期に氾濫(はんらん)を起こすから、その水を利用した農業が可能だ。
 気候の乾燥化が進む中、いくつもの町を支配することに成功した王様が、自分のことを「太陽の神様」だとして人々を納得させ、軍事力でナイル川の上流から下流にかけての広い範囲を支配した。
 太陽の高さをもとにした正確なカレンダーがつくられ、絵文字も作られた。王はみずからの力を見せつけるため、ピラミッドを建設した(地図)。大きいものが3つ、今のエジプトに残っているよ。

エジプトの三大ピラミッド Photo by Pradeep Gopal on Unsplash


 でも支配は長続きせず、この王国は崩壊。その後、ナイル川の下流と上流との間に戦いが起きた。


 この頃から「人間は“あの世の神”を喜ばせれば、“あの世”で生き返ることができる」という新しい神様ストーリーが生まれる。きっと戦争でたくさん人が死んだことと関係があるのだろう。
 死んだ人の体を永久保存するために、ミイラがつくられるようになるものこの頃だ。“あの世の神”の前での裁判に備えて、
 「この人は生きている間に“こんな良いことをした”“良い人だった”」という推薦文(注:死者の書)も作成された。
 この頃の王様の拠点はナイル川の上流の方にあった(注:テーベ)ようだけど、ピラミッドが建てられていた頃よりも広い範囲に影響を与えていたようだ。

 しかし、軍人として、現在のシリアのほうの遊牧民が採用されるようになったことが、崩壊の始まりだった。彼ら遊牧民は、しだいにエジプトの国王の政治にも首を突っ込むようになり、最終的にナイル川の下流を支配してしまう。

 エジプトの文明は大きなピラミッドの印象もあってとっても強い王国のイメージがあるかもしれないけど、ずーっと同じ家柄の王様によって支配されていたわけではないわけだ。

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◆前3500年~前2000年のヨーロッパ

イギリスに巨大な石の遺跡が建てられていますね。
―「ストーン・ヘンジ」という遺跡だね(地図)。
 数トンもの重さも岩が丸い形に建てられている。
 これは、この時代の人々の価値観が“農業”に合わせたスタイルに変わっていた証拠だ。

人々は「時間」の知識を共有していたのだ Photo by Brooke Bell on Unsplash

 狩りをしていた時代に比べ、農業が導入されると人々は1年の自然のリズムを強く意識するようになる。農業にとって一番重要なのは「太陽」。1年を通じて太陽の高さは変わるから、太陽の周期に合わせて農業の計画を立てる必要がある。

 だからカレンダーが必要とされたんだ。

 カレンダーを作るには太陽の高さの変化を正確に調べる必要がある。そのために建設された大掛かりな天文台がストーン・ヘンジだ。当時の人にとっては天文台というよりは、「太陽」という神秘的な存在に感謝する儀式がおこなわれていたのだろうね。巨大なモニュメントをつくってみんなを納得させることのできた、力の強いリーダーがいた証拠でもあるよ。

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