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8.2.1 ルネサンスの本質 世界史の教科書を最初から最後まで

ヨーロッパでは、5〜15世紀(今から500〜1500年ほど前)のおよそ1000年にわたる期間は伝統的に「中世」と呼ばれてきた。

・統一的な権力をもつ国王の影が薄く、領主が各地の荘園を個別に支配するバラバラの体制だった。
キリスト教の影響力が強く人々は身分に応じて農業中心の生活を営んでいた
1000年頃からはしだいに商業が盛んになり、ヨーロッパ内の地域を結ぶ貿易や、工業・貿易の先進地帯であるアジア方面との間の遠距離貿易も盛んになっていった。

この「世」という時代の次にやって来るのは、「世」として位置付けられる時代(16世紀〜18世紀中頃、「近代」の中に含め「初期近代」とする場合もある)。
もちろん区分はのちのちの研究者によるものに過ぎないけれど、「中世」の時代には考えられなかったような特色が、あちこちに見られるようになる時代だ。


「神様中心」から「人間中心へ」

その代表例が、“キリスト教の教会 一辺倒”の文化から、“人間中心” の文化への転換。

人間は、神様の奴隷なんかじゃない。
何の主体性もない存在として生きるんじゃなくて、人間性をもっと解放し、自由に生きたっていいじゃないか。
「人間って素晴らしい!」という個性重視の価値観だ。

これはどういうことか?
『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる荒木飛呂彦さんのいう「人間讃歌」という言葉からイメージしてみよう。

「人間讃歌」とはつまり、「人間は素晴らしい」という前向きな肯定です。何かの困難に遭ったとき、それを解決し、道を切り拓いていくのは人間の自らの力によるのであって、そこで急に神様が来て助けてくれたり、魔法の剣が突然落ちてきて、拾って戦ったら勝ってしまった、というような都合のいい偶然は、『ジョジョ』ではけっして起こりません。

荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書

教会の価値観に反発し、現世を肯定したり、遊びやおふざけを許容する文化は、中世にもあった。

しかし、14世紀のイタリアでは、キリスト教的な価値観を相対化する思想として、古代ギリシャ・ローマの古典文化がもちだされるようになっていく。

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古代のギリシャ・ローマの文化の「再生」という意味から、このトレンドのことをのちにルネサンスと呼ばれるようになるよ。

ただ、先ほどもいったように、「中世」の時代にも、教会中心の価値観を内側から壊したり挑んだりする動きはすでにあった。
それだけでなく、ヨーロッパのキリスト教文化圏の外側における、イスラーム教徒たちの熱心な研究活動が与えた影響も無視できない。
彼らはギリシャやローマの文化の「古典」を熱心に研究し、アラビア語に翻訳していた。それを早くも12世紀(900年ほど前)には、現在のイベリア半島のトレドやシチリア島のパレルモで、ヨーロッパの学問の共通言語であるラテン語に翻訳する人が現れていたんだ。


また、ギリシャ語を公用語としていた東ローマ(ビザンツ)帝国でも、古代ギリシャ文化がさかんに研究されていた。
こうした活動から、すでにプラトンやアリストテレスに関する著作はかなり早いうちから知られていたんだよ。


それに、キリスト教の『聖書』についても、中世ヨーロッパでひろく使われていたラテン語訳聖書に翻訳される前の「ギリシャ語聖書」に対する関心も高まった。
「原典では、もともとはどういう表現だったんだろう?」という関心だね。

1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させると、ビザンツ帝国からは多数のギリシャ・ローマの古典学者が、西ヨーロッパに亡命を迫られた。

彼らを保護したのは、大商人一族が市政をコントロールしていたイタリアの都市国家の支配層。
彼らを保護することでみずからの権威を高めていった代表格が、フィレンツェのメディチ家だ。

当時衰退期に入っていたイタリア諸都市では争いが絶えず、フィレンツェではマキャヴェリ(1469〜1527年)のような政治思想家も登場。

「これからの乱世を生き抜いていくためには、キリスト教の価値観を政治に持ち込むのはやめ、ローマ時代の政治の分析をする中で、客観的で現実主義的な君主が必要だ」と『君主論』で論じた。
これからの政治は”人間中心的“に考えるべきだという、ルネサンスに典型的な発想法だね。


人間中心の考え方(=ヒューマニズム)

このような流れの中で、教会のきびしい束縛からはなれ、人間らしい生き方とは何なのか探究しようとする人々が生み出されていく。
人間中心的な立場をとる知識人をヒューマニスト(人文主義者)といい、その思想をヒューマニズム(人文主義;人間(中心)主義)というよ。


ヨーロッパ人はそのころ、かれらのかつて知らなかった大陸や島々を発見しつつあった。また、自然科学を通じて、自然の法則を発見しつつあった。それらの初発見と関係をもち、最も大きい意味をもつのは、おそらく「人間性」の再発見であろう。今日においては、「人間性」を原理として生きることは、ごく当然のことと考えられるかもしれない。だが、当時まではそうではない。人間性の上にさらに原理があり、それを握っているのが宗教であった。「人間であること」、「人間らしく生きること」を宗教の問題と切り離して考えることはできないとされていたのである。そのような状況がそのころ変わりはじめた。「人間であること」、「人間性」が、それ自体で存立する原理であると考える人たちが現われはじめた。これをヒューマニストと呼んでよい。

渡辺信夫『カルヴァン 人と思想10』清水書院、昭和43年、29頁。



自由な発想というのは、さまざまな情報が持ち込まれる商業のさかんなエリアで芽生えやすい。
ヒューマニズムに支えられた”今を生きる“ことを重視するルネサンス文化は、まずイタリアでさかんとなり、さらに現・オランダのネーデルラントで発達する。
ネーデルラントは「中世」の時期を通して、毛織物工業がさかんだった商工業先進地帯だったね。

ルネサンスの文化の中心は都市で、学者やアーティストは、都市の権力者や君主のお財布を頼りに活動した。
アーティストの活動を援助する人のことは、今でも「パトロン」というよね。

イタリアでパトロンとなったのは、先ほども紹介したフィレンツェの金融財閥メディチ家、それにミラノの支配者(ミラノ公)やローマ教皇だ。

のちにルネサンスの運動がイングランド(イギリス)、フランス、スペインに広がると、国王はさまざまな理由からこれらを保護した。


そういうわけで、ルネサンス文化自体は、民衆たちが権力者たちの古臭い体制を変えていこうという運動に直接結びつくものとはならず、あくまでこれまでの”キリスト教一辺倒“の文化を変えていこうという権力者たちの”道具“として利用されることも多かったんだ。



2023.5.14 加筆

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊