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世界史のまとめ × SDGs 第22回 「総力戦」時代と人類社会の激変(1920年~1929年)


「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら。
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

―1000万人にのぼる死者を出したともいわれる大戦(注:第一次世界大戦)。
 人類が経験したことのないレベルの災厄を経て、世界各地でさまざまな変化が生まれるようになっている。

フランスの植民地だったアフリカのセネガル兵も大戦に駆り出された(第43部隊

 今回は、1920年~1929年までの世界を、8つのトピック(①難民の権利、②女性の社会進出と権利、③人身売買の撤廃、④優生思想、⑤電気と石油、⑥労働者の権利、⑦大量生産と大量消費、⑧植民地の民族運動)に注目して概観してみよう。

【1】「難民」問題が生まれた

 例えば「難民」って知ってる?

聞いたことがあります。シリア難民のニュースを見たことが。

―難民っていうのは、「その国で安全に暮らすことができなくなってしまった人たちのこと」だ。
 それ以前にもそういう人たちはもちろんいたのだけれど、大戦後には洗浄となったヨーロッパのベルギーでたくさんの「ベルギー難民」が生まれた。
 こりゃ困ったということになったわけだ。

◇  ◇  ◇

「ベルギー難民」の存在はあまり知られていない。そんなベルギーはシリア難民の受け入れ国のひとつだ。

ベルギー難民に対してどんな手が差し伸べられたんですか?

―ベルギーは永世中立国といって、どの国とも外交関係を結ばないという宣言をしていたのだけれども、ドイツがベルギーを侵略するとイギリスはなんと26万人ものベルギー難民の受け入れを表明。

なんでそんなことができたんですか?

―ドイツがベルギー人に対して残虐行為を働いているという内容のレポート(注:ブライス・レポート)を重く見た形だ。
 実はこの報告書、イギリスが戦争に参加する口実のひとつとするための「でっち上げ」だったということがわかっている。

 当時のイギリスの新聞には「母親のスカートにしがみついている子供の梁手をドイツ兵が切り落とした」などなど、「えっ」と思うようなセンセーショナルな記事が並べ立てられていた。
 「ベルギーを救うため」に戦争を煽り立てるムードも大きかったんだ。

 結局、難民たちはロンドンの宮殿(注:アレクサンドラ・パレス)やアールズ・コートに一時的に収容されることとなったけど、前代未聞のことゆえ混乱もあった。

難民の問題は現在もまだ解決されていないですよね。

―そう。
 第二次世界大戦の後に、難民の処遇を決める条約(注:難民条約)が定められたけど、近年では「受入国がみつからず、国内で危険なままとどまっている避難民」(注:国内避難民)が問題化しているね。

 戦争のレベルが、もはやひとつの民族の運命をも左右する状況に発展してしまっているわけだ。


◇ ◇ ◇

【2】女性の社会進出がすすんだ

SDGs 目標8.5
2030年までに、若者や障害者を含む全ての男性及び女性の、完全かつ生産的な雇用及び働きがいのある人間らしい仕事、並びに同一労働同一賃金を達成する。

―大戦後には欧米や日本を中心に、女性の社会進出が進んだ。

どうしてですか? 

―戦争の規模が大きくなりすぎて、戦争が「戦場だけ」ではなく「国民のふつうの暮らし」まで総動員されるようになった結果、男性の兵士だけではなく「女性」の力も駆り出されるようになったことが要因だ。

戦争が物量勝負になったってことですね。

―いかに長丁場を耐え抜くことができるかっていうところがポイントになったんだね。

 ただ、女性が進出した職種は限られていた。
 電話の交換手とか、企業の事務仕事とかね。
 

今はもっと女性の社会進出は進んでいますよね?

―どうかな?
 経済学者のジョン=ポール・カルヴァーニョによると、フォーチュン500社のうちのCEOになっている女性の割合はほんの5パーセント以下。また、理工系の分野においては全社員のうち女性は25パーセント以下しかいないという。

◇ ◇ ◇

【3】人身売買に対する規制がはじまった

●SDGs 目標8.7
強制労働を根絶し、現代の奴隷制、人身売買を終らせるための緊急かつ効果的な措置の実施、最悪な形態の児童労働の禁止及び撲滅を確保する。2025年までに児童兵士の募集と使用を含むあらゆる形態の児童労働を撲滅する。
●SDGs 目標5.2 人身売買や性的、その他の種類の搾取など、全ての女性及び女児に対する、公共・私的空間におけるあらゆる形態の暴力を排除する。

―第一次世界大戦の戦勝国によって、平和を維持するための組織がつくられた。

国際連盟ですね。

―そう。国際連盟(リーグ・オブ・ネイションズ)。

せっかく作ったはいいけど、アメリカ合衆国は参加せず、戦争を防ぐ実効性が低かったと聞いたことがあります。

―ソ連もはじめは参加していなかったし、結局もう一度世界大戦が起きてしまったわけだしね。

 でも、何の成果もなかったわけじゃない。

 例えば、「人をお金で取引する」人身売買に対する国際的な規制は、国際連盟の実績のひとつだ。

どんな規制ですか?

―「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」っていう条約で、女性や児童を性的な目的で取引することを、国際的に規制しようというものだ。

この時代には人身売買って普通だったんですか?

―劣悪な条件で海外に働きに出る契約を結んだインド人や中国人がいた(注:苦力(クーリー))。
 植民地の人々を全然関係ないところに連行して働かせることも普通におこなわれていたんだ。

 たとえばインド人は、南太平洋のフィジーのサトウキビ畑へ。

 オランダの植民地だったインドネシアからは、南アメリカ(注:スリナム)へ、というようにね。

効果はあったんですか?

―年齢に関して「例外」をもうける国があって、足並みはそろわなかった。
 例えば、各地に植民地をもっていたイギリスは、「植民地や保護国は、この条約の適用から外す」と主張。
 日本もおなじように年齢に関する条項を留保している(数年後には撤廃)。

◇ ◇ ◇ 

【4】国が人口をコントロールする傾向が強まった

●SDGs 目標3.7 2030年までに、家族計画、情報・教育及び性と生殖に関する健康の国家戦略・計画への組み入れを含む、性と生殖に関する保健サービスを全ての人々が利用できるようにする。
●SDGs 目標3.4 2030年までに、非感染性疾患による若年死亡率を、予防や治療を通じて3分の1減少させ、精神保健及び福祉を促進する。

―「総力戦」の時代になり、国が国民をコントロールしようという傾向が強まると、しだいに国が「人の生き方」にも介入しようとするようになっていった。
 「物量」がモノをいうわけだから人口は多いほうがいい。
 「産めよ増やせよ」だ。

でも女性の社会進出が進む流れに逆行していませんか?

―その通り。
 すでに前の時代の終わりごろ、日本でも「女性はどうあるべきか」をめぐる論争が起きていた(注:母性論争)けど、この時期のアメリカでは、「いつ産むか、どのように産むかは女性自身が決めるべきだ」という考えも盛り上がるようになっている(注:マーガレット・サンガーの産児制限論)。

 おりしもアメリカでは「産まれる前に中絶して」、「産むべき子」と「産まないべき子」を選別しようという人たちも増えるようになっていた。


産むべき子と、そうでない子なんて、いるんですか―?

―そんなの選べっこないよね。
 でも、「社会にとって不必要な子」「優れている理想形に比べて「劣った」特徴を持つ子」は、産むべきではない。産む前になんとかしてしまえ、という考えが、あたかも科学っぽい説明によって補強されるようになっていたんだ(注:アメリカ優生学)。

それってどうなんでしょう。

―もちろん、今ではそんなことやっちゃいけないことになっているけど、多くの人の見えないところでは、特定の病気の人に対する隔離とか、障害に対する意識の差とか、今でも解決されていない問題の一つだよね。

 特にアメリカ合衆国ではこの時代に「移民はこれ以上アメリカに入って来るな!」という論調が強まっていた。排外主義だ。

 アメリカにとっての理想形は、先祖のルーツがイギリスにある白人で英語が話せるプロテスタントというキリスト教の宗派に属する人。
 それ以外の、ロシアから逃げてきたユダヤ教徒、アイルランドから逃げてきたカトリックのアイルランド人、中国人や日本人に対する差別があからさまになっていった(注:1924年移民法。移民の制限対象は東欧系も含む)。


 「アメリカに入ったんだから、「アメリカ的」になるべきだ」という主張が、人種主義と結びついて、先ほどの「優れた特徴を持つ人種が生き残るべきだ」という考えへと発展していったわけだ。

◇ ◇ ◇

【5】電気の普及率があがり、石油消費量が増えた

●SDGs 目標7.1 2030年までに、安価かつ信頼できる現代的エネルギーサービスへの普遍的アクセスを確保する。

第二次世界大戦では、西アジア一帯を支配していたオスマン帝国がついに戦争に負けましたね。

―ドイツ側に立って参戦したことが運の尽きだった。
 
 オスマン帝国の皇帝は、軍隊にも見放されてしまうことになる。

 軍隊のトップ(注:ケマル・パシャ)は別の政府を立ち上げ、オスマン帝国の皇帝をクビにし、さらにイスラーム教徒の「リーダー的存在」であったカリフという制度も廃止してしまったんだ。

どうしてそんなことをしたんですか?

―これからは「ヨーロッパ型の国づくり」をしていかないと、この国はダメになってしまうという指導者の信念があったんだ。
 この人には「トルコのお父さん」(注:アタテュルク)という称号が与えられている。

じゃあ、なんとかなったんですね。

―そうでもない。
 領土の一部はイギリスとフランスが「代わりにしばらく支配する」っていう名目で、バラバラに分けられてしまったんだ。

 これに危機感を感じたイランでも軍人によって王様が倒されて、新しい王国(注:パフレヴィー朝)が近代化をすすめた。イギリスと提携して、国内で石油を掘る会社を共同で設立している。

どうしてそんなにイギリスやフランスは西アジアに進出したがったんでしょうか?

―インド洋への交通路の確保だけでなく、重要性の高まっていた石油が要因のひとつだね。

 おなじく石油がたくさん埋蔵されているアラビア半島では、王様(注:サウード家)が国を統一(注:のちに「サウジアラビア」と呼ばれる)して、厳しいイスラーム教のルールを適用しながら、石油を掘る権利をヨーロッパやアメリカに与えて利益を得ようとしている。

 石油のとれるところが「争奪戦」になりやすい理由は、その分布が特定の地域に偏っていることにある。

 ロシア、サウジアラビア、アメリカ、中国、それにイラン、メキシコ、カナダ、ベネズエラでよくとれる。そのうち、5割が西アジアのペルシア湾というところの周辺でとれるから、ここをめぐって熾烈な闘いが勃発したわけだ。

「石油」がカギを握る時代になっていくんですね。

―自動車や飛行機の時代だもんね。
 ざっくりいうと、石油を固い箱の中で爆発させることによって、大きなエネルギーを得ることができるようになったんだ(注:内燃機関)。

 ロシア人も巨大な油田を確保するために、イランの北のほうまで領土を広げているよ。今のアルメニアやアゼルバイジャンのあたりだ。

 アゼルバイジャンのバクーには巨大な油田がある

 エネルギーの主力はまだまだ石炭だけど、石油の使用もはじまり、排出される二酸化炭素がいっそう多くなっていくこととなったわけだ。

CO2の排出量の変遷(推定)

◇ ◇ ◇


【6】労働者の権利を守る動きがすすんだ

●SDGs 目標8.8 移住労働者、特に女性の移住労働者や不安定な雇用状態にある労働者など、全ての労働者の権利を保護し、安全・安心な労働環境を促進する。

ロシアでは皇帝が倒され、労働者を指導者とする国が誕生した。

―でもどの領土は、倒したロシアが持っていた領土をほぼ引き継いだので、ユーラシア大陸の民族たちにとっては「支配者が交替しただけ」ということだ。

「労働者の国」の領土は、ロシアだけではなかったんですね。

―そうだよ。
 ユーラシア大陸の内陸にある各地域も、国境で区切られて個々に「労働者の国」に作りかえられていった。

例えば…カザフスタン、ウズベキスタン…

―それと、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス…っていう国として独立しているね、現在は。
 この線引きは「適当」なもので、実際にはいろんな民族が暮らしている。

 当時も、一見独立しているようにみえるけど、ロシアの指導者のいうことを聞かなければいけなかった。

 もっと東の方のシベリアにもいろんな民族がいたわけだけど、ここもロシアの「労働者の国」の一員となった。


たとえばどんなところですか?

―たとえばモンゴル高原のさらに北にはヤクート人っていうトナカイを遊牧させる生活を送っている民族がいる。南のほうでは馬や牛の牧畜もやっている。

 そういうところに、前の時代にシベリア鉄道が完成してからというもの、ロシア人の移住も増え、ロシアの宗教(注:正教会)や文字(注:キリル文字)も受け入れていった。
 でも、現在でも独自の文化を残しているよ。

国の方針が変わっただけで、結局いろんな民族を支配しているわけですね。

―そういうことだね。
 この、ロシアを中心とするグループのことを「ソ連」というんだ。
 「ソ連」っていうのは国名っていうよりは、「ロシア」をリーダーとする「グループ」名と考えたほうがわかりやすい。

 こうしたロシアの動きに共感する労働者は世界各国に広がった。
 「これではまずい」「自分の国でも革命が起きるかもしれない」ということで、欧米や日本の政府首脳はアタマを抱えた。

 すでに、ロシアでの動きに対抗するように国際連盟にはILO(国際労働機関)が設立されている。

どんな機関ですか?

―すでに設立時には、「工業の労働時間、失業、母性保護、女性の夜業、工業に従事する最低年齢と若年者の夜業」に関する国を超えた6つの条約が採択された。
 ILOの憲章前文には、以下のような項目が掲げられている。

1. 1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制
2. 労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給
3. 雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護
4. 児童・若年者・婦人の保護
5. 老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護
6. 同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認
7. 結社の自由の原則の承認
8. 職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置による改善

ロシアを中心とした社会主義に対抗する意味合いがあったんですね。

―そう。でも、現在でも途上国を中心に「未解決」の項目は多いよね。

 ただ、資本主義を掲げる国どうしが、国際的な条約によって労働者の権利を守ろうとし始めたことには大きな意味があったといえる。

◇ ◇ ◇

【7】たくさんつくって、たくさん捨てる社会がはじまった

SDGs 目標12.1 開発途上国の開発状況や能力を勘案しつつ、持続可能な消費と生産に関する10年計画枠組み(10YFP)を実施し、先進国主導の下、全ての国々が対策を講じる。

「世界大戦」が終結したのは、アメリカ合衆国の「おかげ」という面が大きそうですね。

―そうだね。

 終盤でイギリス側に立って参加した面が大きかった。
 大戦中には、イギリス側に大量の物資や資金を貸し与えたため、戦後には「外国にしている額外国からりている額」となって、寝ていても利子付きのお金が流れこむスーパーリッチな国にのし上がっていったんだ。


まさしく、第一次世界大戦の「おかげ」ですね。

―ミッキーマウス、ハリウッド、コカコーラ、大リーグ、ジャズ、大量生産の自動車、家電カタログ…。
 この空前の繁栄に支えられ、「たくさん作って、たくさん買う」アメリカ式の生活は世界中の「あこがれの的」になっていったんだ。

―ニューヨークのマンハッタン島には超高層ビル(注:摩天楼)が立ち並び、世界の金融・情報・政治・経済に影響を及ぼす都市へと発展していった(注:世界都市)。
 北アメリカ大陸の東海岸には、いくつもの都市を周りにしたがえる巨大都市(注:メトロポリス)が、さらにいくつも連結した巨大都市群が出現するようになっていった(注:メガロポリス)。

 でも、「どうしてヨーロッパの戦争なんかに参加したんだ」という意見も根強く、「今後はいっさいヨーロッパの政治に関与したくない」という閉鎖的な意見も強まった。大統領が計画した「世界平和のための組織」への参加も、議会の反対で見送られている。

 それが行き過ぎると、ヨーロッパからの移民は出て行け!とか、アメリカ本来の純粋な文化を守れ!という過激な主張にもなっていく。
 そんな「内向きだが楽観的」なムードが、この時代の特色だ。

白人が一番だという教義をもつグループ(注:クークラックスクラン)は現在でも活動している。


アメリカって植民地はあまり持っていませんよね。どうしてそんなにリッチなんですか?

―中央アメリカや南アメリカの国々を、経済的に従えることができていたからだよ。

 アメリカに対する反発も起きているけど、経済のしくみは相変わらずアメリカやヨーロッパ諸国に、自分の国でとれた農産物や鉱産資源を輸出するものだ。

 でもそれじゃあ、土地をたくさんもっている人や一部の有力者しか、豊かになっていかない。
 土地や資源をめぐって、軍人が力ずくで指導者になろうという動きもよく起きる。

大量につくって大量に使うというスタイルって、いろいろと問題がありそうですが。

―そうだよね。
 第一に、「いつまでも買ってくれる人がいるとは限らない」よね。
 どこかで「もう十分」ってことになれば、「在庫がいっぱい」になって「売れ残り」が発生してしまう。
 好景気を信じる人々は「刹那的な楽しみ」に受かれ、マネーゲームに手を出す人も増え、やがて歴史的な世界恐慌へとつながっていくことになる。

 第二に、「物欲は果てしない」から、経済の利益ばかり追求すると、必ずやそれが社会や環境にしわ寄せとなって現れることになる。

 例えば、すでに日本の熊本県にある化学工場では、肥料用の硫安の製造がはじまっていて、この時期からヘドロが海に流れ出して漁業に対する被害が始まるようになっている。

肥料って工場でつくるんですか。

―急増する人口に対応するため、食料増産のために化学肥料がつくられたんだ。
 植物の栽培にも、人間の科学技術の手が加わるようになっていったわけだ。


◇ ◇ ◇

【8】けっきょく植民地は独立できなかった

で、「世界大戦」の結果、アジアやアフリカの民族たちには自分たちの国をつくる権利が認められたんですか?

―ヨーロッパ(フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア(スロベニア+クロアチア+セルビア))を除いては、認められたなかったんだ。

 ドイツの植民地だったところは、イギリスとフランス、それに南アフリカなどが「代わりに」支配することとなった。

支配者が変わっただけですか。

―そう。
 というわけで結局独立できているところは、リベリアとエチオピアだけ。あとは植民地ばかりだ。
 各地で独立に向けた運動も起きるけど、うまくはいっていない。

各地でいろんなものを栽培させられていますよね。

―そうだね。
 イギリスの植民地だった現在のケニアやタンザニアでは、お茶やコーヒーのプランテーションが行われている。

 今でもコーヒーの「キリマンジャロ」っていう銘柄は有名だよね。


コーヒーは赤道周辺の山地で栽培されることが多いんでしたよね。

―そうそう。東アフリカにはケニア山やキリマンジャロ山など、5000mを超える山があって、ここでは万年雪もみられるほどだ。

 イギリス人が移住したのは海岸地帯よりも、こういう山のエリア(注:ホワイトハイランドと呼ばれた)が多かった。


中国はどうなっていますか?

―中国では前の時代にせっかく皇帝を倒すことができた(注:辛亥革命)のに、軍隊の力が強すぎて各地で軍人が半分独立した政府をつくって分裂していた。

 それぞれの軍人を、別々のヨーロッパ諸国や日本が資金を提供して応援したものだから、分裂状態はますます深まっていた。

 かつて皇帝を倒す運動を計画した指導者(注:孫文)は、中国人の中から外国人に立ち向かおうとする運動(注:五四運動)が生まれつつある姿をみて、「もう一度、国民の力を信じ、中国を共和国としてまとめよう」と決意したんだ。


じゃあ、国の方針としては「自由な国」をつくるってことであると―

―そう。
 ただ、中国の皇帝が倒れたのを見て「これはチャンスだ」と思ったのが、当時、革命で同じく皇帝を倒したロシア人たちだ。
 ロシアの革命に共感し、同じように「労働者が輝ける国」をつくろうというグループが中国にもできて、「経営者」や「大地主」たちを中心とするグループと対立することになる。

どうなったんですか?

―紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、結局は「経営者」(注:浙江財閥)や「大地主」の支持を得たリーダー(注:蒋介石)が支配権を握るよ。



 アメリカやイギリスの力を背景にして中国から日本の勢力を締め出しつつ、国内の「労働者の国」をつくろうとするグループの退治が進められていった(注:北伐)。


なんだか、「独立」しようとしているだけなのに、「資本主義」とか「社会主義」とか、大国の思惑がからんでいるみたいですね。

―そう。まさにそこがポイントだ。

 地域によっては、植民地化された状態ながら、支配している国(注:宗主国)の政策によって工業や農業が発展していった地域もある(注:台湾や朝鮮)けど、多くの国ではなかなかそうもいかない。

 たとえば、ベトナムではのちに「国の父」(注:ホー・チ・ミン)として活躍することになる人物が運動を始めている。


 ただ、インドネシアみたいにたくさんの島でできた国では、歴史も言葉も違うから「一丸となって」独立運動を起こすことが難しい。模索が続けられているよ。


インドでは独立運動が盛り上がっていますね。なぜですか?

―イギリスが、「戦争に協力してくれれば、自分たちでインドのことを決めてもいい」って約束していたんだけど、戦後にイギリスがそれを拒否した。
 それに怒ったわけだ。

 そんな中、弁護士出身のエリートだけど、着飾らずに誰にでもわかりやすい言葉でインドの人たちに話しかけることのできた指導者が、独立運動を本格的にすすめていくよ。
 「暴力に対して、暴力を使ったら、負けだ」と、発想を転換した運動によって支持者を伸ばしていったけど、イギリス側もなかなかインドを手放そうとはしなかった。

【おわりに】SDGs×世界史のまとめ 1920~1929年

 1920年~1929年までの世界を、8つのトピック(①難民の権利、②女性の社会進出と権利、③人身売買の撤廃、④優生思想、⑤電気と石油、⑥労働者の権利、⑦大量生産と大量消費、⑧植民地の民族運動)に注目して概観してみましたが、いかがだったでしょうか。

これまでの世界にとっては「異質」であり、現在のわれわれの暮らす世界により「近い」問題に対して、当時の人々が取り組んでいたことがわかると思います。その成果と限界を照らしつつ、続く破局」の時代(1929年~1945年)に突入していくことにしましょう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊