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3.1.1 遊牧民の社会と国家 世界史の教科書を最初から最後まで

遊牧民の世界は厳しい。


なにせ農業ができない乾燥した環境である。

羊・牛・馬などの家畜を定住しながら飼育できるほど、草がぼーぼー生えているわけでもない。

食べ尽くしてしまえば移動するしかないのだ。

なんとか水と草を確保しなければ、家畜は死んでしまう。

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家畜がある限り、人間は家畜のミルクで水分を確保できるし、肉を食べれば腹も満たされる。


服も羊の毛でフェルトを織ればいいし、毛皮をとれば暖を取れる。


家は、家畜の骨や木でできた骨組みを、フェルトで覆うことで組み立てた移動式テントだ。
床には分厚いフェルトを敷けばいい。


移動の必要があればすぐに移動できる。

まさに家畜は”歩くホームセンター”なのだ。

現代人の中には「ノマド」(遊牧民)的な生活にあこがれる人もいるけれど、彼らの暮らしは生きるか死ぬか。

一歩判断を誤れば、厳しい自然の洗礼が待っている。

命をつなぐのは家畜。
家畜(livestock)こそが財産(stock)なのだ。


しかし“弱み”は“強み”でもある。

機動性を生かして、豊かな農耕民から富を奪うことができれば、厳しい遊牧生活に都会の彩りを加えることもできる。


こうして、前9〜前8世紀頃(今から2800年ほど前)、青銅製の馬具を装着して馬にまたがり、青銅製の武器で武装する遊牧民が現れた。
彼らのことを騎馬遊牧民(ユーラシアン・ノマド)という。

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かれらは性別に関係なく、幼い頃からにまたがり、弓を射る訓練に励む。
だから、住民は“全員戦闘員”。


「勇気」を持った人が、立派で名誉ある人間の条件だ。


家畜とともに移動する遊牧民にとって、土地よりも血縁による結びつきのほうが大切だ。


共通の先祖を持つグループは「氏族」や「部族」と呼ばれる。

環境の変化や外敵の侵入などの緊急事態が起きると、人望を集めた実力あるリーダーのもとに複数の氏族・部族がまとまることもよくある話。
危機が去って、リーダーが亡くなれば、クモの子を散らすように、もとのバラバラの氏族・部族の”自由な暮らし“に戻ってしまうのも、またよく話である。

こうして騎馬遊牧民たちは、統合と分裂を繰り返しながら、定住農耕民の国家とは違った考え方にもとづく国家組織を発展させていくのだ。これを遊牧国家という。
遊牧国家は定住農耕民の国家と違い、ダイバーシティ(多様性)を認めることが基本だ。


厳しい遊牧生活を補うため、できる限り農耕民や商業民たちを支配体制の中に含めようとするんだね。


彼らが、遊牧エリアに接する、オアシス商業エリア農耕エリアにたびたび侵入しようとするのは、そういう理由からなんだ。

能力があれば、自分たちのグループ出身者でなくてもどんどんヘッドハンティングする。まるで外資系企業みたいだね。

彼らは圧倒的な「騎馬戦」の武力を背景に、民族も言語も宗教も生活スタイルも関係なく、さまざまな人々をつなぎ合わせる力を持っていたんだ。彼らがユーラシア大陸を東西移動するときに利用したルートのことを「草原の道」(ステップ=ロード)というよ。
匈奴」という遊牧民の国を例にしてみると、これは「匈奴という国民の国」というわけではなく、支配者の「匈奴」+「さまざまな遊牧民集団」+「農耕民」+「オアシス商業民」を抱える、多様性を持った国だった。


だからこそ、騎馬遊牧民はその後2000年の長きにわたりユーラシア大陸の歴史を動かしていくことになる「主人公」となっていくわけだ。


世界史を学ぶわれわれは基本的に定住民であるから、どうしても世界史を定住民の視点で考えてしまう。でも、騎馬遊牧民が何を考え、どう活動してきたのか考えることができなければ、世界史をトータルに理解することは到底できやしない。

「遊牧民的思考回路」を使って世界史を見ることができれば、世界史に対する見方は劇的に変わる。 “異文化理解”だと思って勉強していこう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊