シンプル世界史 2.あわせる
このnoteでは、世界史の流れを15の「輪切り」にカットして、シンプルに眺めていきます。
第1章 うまれる
【1】うまれる --- 前回のnote(こちら)
【2】あわせる --- 今回のnote
【2】人間はさまざまな環境に適応し、食料を確保した
セブン、セイユー、セイコーマート、ファミマ、イオン、ローソン...
いたるところに食料品店のある現在、われわれは朝から晩まで「食料確保」に追われるということはない。
たしかに大人たちは食料を買うための「お金確保」に追われるわけだが、お店に並ぶ「食料」を作っているのは、どこかに住んでいる別の「誰か」である。
「食料」づくりをしている人の割合も、社会全体で見ると少数派だ。
食料を生産している人の数が少数派
―そんな社会が現れたのは実はここ200年足らずのこと。
もともと「食料確保」というのは、誰にとってもプライオリティの高い行為だったのだ。
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じゃあ、どうやって食料を確保するか?
いちばん手っ取り早いのは「あるものを取る」ことだ。
動く物、すなわち動物を取ることを「狩り」といい、動かないものや生えているものを取ることを「採集」という(*1)。
最新の知見の一つによれば、われわれ人間は約20万年前に地球上に出現したとみられている(*2)。
約11万年前から約15000年前にかけて、最後の「寒い時代(氷期)」が地球を襲った時代を生き抜いたことになる。
そうして、今からだいたい1万2000年頃から地球は温暖化に向かった。
気候が暖かくなったことから、狩りや採集によって十分に食料の確保できるるエリアが増えていったのだ。
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しかし、気候というものはなかなか安定しないものである。
いきなり乾燥したり寒くなって、動物や植物がいなくなってしまうこともある。
そこでやがて人間が編み出したのが、動物が逃げないように管理下に置き、植物がよく育つように栽培するテクノロジーだ。
いわば自然の一部を「人間の世界」として囲い込むわけである。
(1)動物が逃げないように柵(さく)でかこい、増えすぎないようにコントロールしながら利用することを「牧畜」という。
(2)土地にはたらきかけて使える植物を生やし、「雑草」と「雑草ではない」植物を区別し、使える植物のみをゲットすることを「農業」と呼ぶ。
動物の肉からは主にタンパク質を摂ることができ、農作物からは炭水化物やタンパク質を摂ることができる。
インドではナン+牛乳、日本ではご飯+魚、ヨーロッパでは小麦+肉のように、食卓は「牧畜」と「農業」のコラボで彩られることが多い。
しかし、そもそも水場がなければ、農業も牧畜も成り立たない。
北アフリカからユーラシア大陸の中央部分にかけて広がっている乾燥エリア(以下の地図のオレンジ色の部分)がその好例だ。
ここでは雨量が少なく農業ができない代わりに、家畜が食べることのできる牧草が広がっている。
そこで、人々の中から「草を求めて移動する」という第三の選択肢をとる者が出現するのである。
なお、アメリカ大陸でも「牧畜」や「遊牧」が可能なエリアはあるにはある。しかし大きな山や谷に阻まれ、そのエリアは狭い範囲に限られた。
ただ、土地に合わせた食料確保の方法はほかにもあるのだから、「牧畜」ができないからといって、それはそれで問題はない。
同じことは「農業」にもいえる。
かつては「農業は「エジプト」「メソポタミア」「インダス」「黄河」の4つの「大きな川のあるエリア」ではじまり、そこでは立派な文明(四大文明)が生まれた」といわれていたのをご存知の方も多いだろう。
しかし、大きな川のある場所で農業をやったから「文明ができる」というのなら、どうして大きな川のない南アメリカのアンデス地方に文明が生まれたのか説明がつかない。
それに何をもって「立派な文明」というのかも不確かだ。
「文字があって馬牛豚羊山羊がいて車輪と鉄が発明されれば立派な文明だ」という人たちほど、ほかの地域(例えばアンデス地方)の文明についての理解が不十分なのだ(*3)。
ほかにも、海辺や島々では「魚をとる」ことに特化した暮らしを営む人々もいる。
さらに寒い森では「動物狩り」や「魚釣り」、熱帯のジャングルでは「動物狩り」「昆虫採集」「植物採集」「魚釣り」といった環境へのあわせ方をする人たちもいた。
おなじ人間であるにも関わらず、これほどまでさまざまなライフスタイルを生み出すことができているのは、控えめに言って驚くべきことだ。
狩りによって生活を営む場合、みんなでとったものはみんなで分けるのが原則だ。あまりにたくさんとることができる場合を除き(*4)、とる対象には限りがあるから、グループのメンバー間の立場は平等になりやすい。
(1)食料を狩りや採集で確保する場合
(2)生活が長続きするように食料を確保するため、人口は増えにくい
(3)ある特定の人物に資源が偏りにくい
(4)メンバー同士の関係が「どんぐりの背比べ」となりやすい
一方、農業や牧畜によって生活を営む場合は、以下の通りである。
(1)水場を確保できるため、農業・牧畜ができる
(2)タンパク質とデンプンを組み合わせた食事が発達する
(3)「土地は誰のものか」が問題となる
また、「移動しながら家畜を飼う」場合は次の通りだ。
(1)水場が確保できないので農業ができない
(2)そこで家畜と共生して、栄養分・水分をとることに
(3)家畜はエサを求めて動くので、移動生活となる
(4)「家畜とエサ場が誰のものか」それに「炭水化物と水場をどう確保するか」が問題となる
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ほかにも各地で、動物や植物を「食べ物」として利用する試みがすすめられていった。
だいたい1万年前(なかにはもっと前だと言う学者もいる)からだんだんと、このようなライフスタイルの枝分かれが起きていったのだと考えられている。
特に、ユーラシア大陸の西部、現在のトルコからシリアあたりの高原地帯で、ムギ・マメ類の栽培やヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタの家畜の飼育がはじまった例に注目が集まりやすい。
小麦、大麦、豆類、ラム肉、ビーフ、ポークともに、現在でも料理に欠かせない食材が見事に勢揃いしているからだ。
しかし、「農業・牧畜は西アジアではじまって、それが全世界に広がった」というのは誤りだ。
「農業・牧畜のルーツ」となるエリアは世界10数か所にものぼる。
例えば、トウモロコシやジャガイモはアメリカ大陸原産だし、米は東アジアが原産だ。アフリカはアフリカで、独特の雑穀や豆類の原産地として、アフリカ流の農業技術を編み出した。
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さてさて、というわけで次回は、こうして各地の環境に合わせてライフスタイルを確立するとともに、個性的な「キャラ」を発揮していった人間たちが、どんなふうに独自の「仲間意識」を作り上げていったのか、見ていくことにしたい。
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*1 「狩」という感じの成り立ちは漢字学者の白川静によれば、犬+守(周囲をぐるりと取り巻く)であり、犬や勢子が周囲を囲んで獲物を追い立てる情景を設定した図形であるという。
*2 https://www.nsf.gov/news/news_summ.jsp?cntn_id=102968(アメリカ国立科学財団)
*3 ただ単に急峻なアンデス地方では、リャマやアルパカの活躍もあって「車輪が必要なかった」。だから、車輪が生まれなかった。われわれが「文明」と呼んでいるものは、ある意味ユーラシア大陸「の」文明であり、それとは別の尺度でしか測ることのできないような「文明」に対する想像力が必要なのである。
*4 たとえばこちらを参照。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊