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アレクサンドロス大王とブッシュ大統領をつなぐもの "今"と"過去"をつなぐ世界史(6) 前400〜前200年

「マケドニア」国名論争


今から2300年以上も前にあった人物を種に国と国が争うなんて、ばからしいと思うかもしれない。しかし実際に、そんなことがあるのだ。

かつてマケドニア王国の王が、ギリシアを支配し、東方のペルシアやエジプトを支配した。そのマケドニアを冠した国が、1991年に誕生した。ユーゴスラビアから独立してできたマケドニア共和国である。



マケドニア共和国は、みずからを古代マケドニア王国と結びつけ、ヴェルギナの星という古代の遺物にあしらわれていたシンボルを国旗に採用する。

これが、大きな火種となった。

マケドニアの南にあるギリシャが、マケドニアがかつてのマケドニア王国のシンボルを使うのは、再びギリシアに拡大しようとしているのではないかと警戒したのだ。

しかもマケドニア共和国の領内にはギリシャ系住民もいる。ヴェルギナの星はじつはすでにギリシャ側もドラクマ硬貨のデザインに採用されていた。ギリシャ側も「マケドニアはギリシャだ」とナショナリズムをあおったのだ。



両国の対立は、マケドニアのNATO加盟問題をめぐりエスカレート。結果的に2019年になって国連が協議を仲介し、マケドニアが「北マケドニア」に国名を変更することによって妥協が測られた。


ギリシャの警戒する「古代マケドニア王国」を、かつて一挙に拡大させた立役者こそが、アレクサンドロス大王である。


「アレクサンドロス」イメージの取り合い


アレクサンドロスはどういう人物だったのか。一言でいえば「すごい人」だった。その証拠に彼の死後、アレクサンドロスの威を借りる支配者はごまんといる。ローマを追い詰めたカルタゴの猛将ハンニバルもその一人だ。ハンニバルは自らを「第二のアレクサンドロス」と称した。ハンニバルだけではない。彼が攻撃したローマでも、民衆の間でアレクサンドロスは英雄として慕われた。ローマ帝国自体、アレクサンドロスが一代でつくりだした帝国イメージをなぞっている。

ローマ帝国のライバルは、イラン高原からメソポタミアを支配したササン朝ペルシアだ。この国ではアレクサンドロスは、ゾロアスター教の悪神であるアンラ・マンユ(アーリマン)と同一視され、暴君として非難の対象となった。

しかしササン朝ペルシアが滅ぼされると、アレクサンドロスのイメージは一転して英雄となる。たとえばイスラーム教の聖典『コーラン』にも「二本角の人」という英雄として登場している。

この「二本角の人」は、またの名を、イスカンダル双角王(イスカンダル・ズルカルナイン)という。松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』の戦艦名として知られる、あの「イスカンダル」は、アレクサンドロスの名がアラビア語に入り、なまったものである。


角を生やしているアレクサンドロス大王をあしらった硬貨(前3世紀)



 
アレクサンドロスの物語はユーラシア大陸に広く伝わっていった。3世紀にはエジプトでアレクサンドロスの伝説が美化され、エジプトの王子たるアレクサンドロスが諸国を放浪した後に裏切りによって暗殺されるというストーリーができあがる。これをアレクサンドロス・ロマンスという。超人的なアレクサンドロスには、おでこに二本の角が生えていた(!)との設定が与えられ、各地で民族や宗教の違いをこえて受け入れられることになる。かくして『コーラン』にアレクサンドロスが登場する運びとなったのだ。

ペルシアでは11世紀の詩人フィルダウシーが『シャー・ナーメ』(王の書)のなかで、アレクサンドロスをササン朝最後の王ダレイオス3世の弟として登場させた。アレクサンドロスは実際にダレイオス3世の血統を継ごうとしていたし、アケメネス朝の統治機構を破壊せず、その慣習や儀礼もそのまま受け継いだ。ゆえにこうした伝承は彼にとっては願ったり叶ったりかもしれないが、まさか自分の名がヒンドゥー教の軍神スカンダとなるなど、つゆおもわなかったに違いない。


スカンダ像(カンボジア、7-8世紀)


イラク戦争と東方遠征


アレクサンドロス・ロマンスは、中世ヨーロッパでも人気の話の一つとなり、ルイ14世をはじめとするヨーロッパの君主によっても崇敬の対象とされた。

古代の一君主が、時空を超えてかくも評価され続け、その後継をめぐる引っ張り合いが繰り広げられる。アレクサンドロスという君主のイメージは、2000年という時間をゆうに飛び越えてしまう。

その秘密は、歴史学者の澤田典子が指摘するように、大王が生前からおこなっていた、王と神々を結びつける数々のパフォーマンスや、あまりにも早い彼の死去が増幅した自由な想像力も関係しているだろう。

オリバー・ストーン監督の『アレキサンダー』には、イラク戦争に突き進んだアメリカのブッシュ大統領批判がかさねられていたという。アレクサンドロス伝説の構築は、まさに現在進行形なのだ。

オリバー・ストーン監督は2013年の講演のなかで、アメリカ”帝国”の不寛容支配と、アレクサンドロス大王の寛容性を対比させている。



参考文献


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