![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101328833/rectangle_large_type_2_a2be27db75ec32f83f07ab10927b340a.png?width=800)
新科目「歴史総合」入門(1)
歴史総合は、資料を読み、問いを立てて歴史的に考えることを重視した科目ですが、同時にコンテンツの建て付けには、これまでにない特色があります。このシリーズは、新科目「歴史総合」がどのような特徴をもつ科目なのか、「目線合わせ」を目的として作成したものです。
■歴史総合ってどんな科目?
2021年、高校に新しい科目が加わりました。
「歴史総合」です。
日本史と世界史をあわせた科目。
日本史と世界史を同時に学ぶ科目。
世界史的な視野で日本史を学ぶ科目。
よくそんなふうに説明されますよね。
また、そもそも『学習指導要領』では、科目の目標がつぎのように説明されています。
(1) 近現代の歴史の変化に関わる諸事象について,世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え,現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解するとともに,諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。
ほかにも、資料を読み解き、比較やつながりなどに注目しながら「概念」を用いて考察、議論をしたり、課題を見つけ解決したりする、といったことが挙げられていますね。
難しいはさておき、私は歴史総合という科目を、つぎのように言い換えることができると思っています。
日本史と世界史をあわせることで、
この世界の「しくみ」の変化をたどり、
「私たち」の謎を解きあかす科目。
ここで重要なのは、資料を通して歴史に触れながら、「問い」を立てることです。
どうしてそんなことが起きたんだろう?
なぜ当時の人たちはそんなことをしたんだろう?
そうやって、それぞれの時代の人々が置かれていた課題をとりあげながら、「問い」を積み重ねていった先に見えてくるのは、「私たち」の社会が、どのようにして今ある形になったのかというストーリーです。
■3つのしくみの変遷から歴史をみる
とはいえ、「世界史と日本史をあわせる」といっても、卑弥呼や古代エジプトの時代にさかのぼるわけではありません。
18世紀後半以降の時代を舞台とし、日本史と世界史をまたぐ3つのしくみの出現と変遷を追っていくのです。
とはいえ、それ以前の世界が、どのような状態であったのか、まったく知らないと困りますから、冒頭では「18世紀の世界」を扱う部分があります(じつはこの部分が、歴史総合のストーリーにとって、大切な ”伏線” となるのです)。
その上で、18世紀後半に現れる3つのしくみは、
①18世紀後半〜
② 20世紀はじめ〜
③ 20世紀なかば〜
の区切りをだいたいの目安として、時代を追って順番に作動していきます。
【図】 3つのしくみ
![](https://assets.st-note.com/img/1679929268403-jprZCymH7A.png?width=800)
1つ目のしくみは「近代化」、2つ目は「国際秩序の転換と大衆化」、そして3つ目が「グローバル化」です。
2つ目のしくみが作動しはじめても、1つ目のしくみも形を変えながら残されます。3つ目のしくみが現れるときも、1つ目と2つ目のしくみは動き続けています。
そしてそのような経緯を経たからこそ、「現代の私たち」やこの世界が、いまのような形になっているのです(注)。
いったい何をいってるのかよくわかりませんよね(笑)
ともかく、とりあえず次回から順番に、3つのしくみの変遷をたどり、「私たち」の謎を解き明かす旅へと出発しましょう。
(注)かつて歴史学の世界では、マルクスの唱えた社会主義の影響がつよく、人類の社会は経済的な条件の変化によって、段階的に変化していくという法則によって、世界各地の歴史的な出来事が説明されました。
しかし、人間の社会には、絶対的な法則などありません。
厳密に法則を適用しようとするあまり、事実のほうを法則にあわせる間違いが横行し、信頼を失いました。
昭和史の証言を丹念にあつめた在野の歴史家・保阪正康さんは、半藤一利さんとのある対談のなかで、次のようにいっています。
「上から全体を捉える人は、上手い書き方をするなとは思うけれど、実証性がない。自分で調べていないから、よそから持ってきた話をつなぎ合わせるだけなんですね。」
わたしのような高校教員にとっては、耳が痛い話です。
大きなスケールで語られた歴史には、魅力があります。
歴史総合の提供する「語り」にも、かつての「大きな物語」への憧憬というか、個別具体的な知識の羅列への反作用としての期待がみえかくれしているような気もします。しかし、人間の社会の背後にひそむ「しくみ」に注目するあまり、ややもすれば理論のほうが逆立ちしてしまってはいけません。できるかぎり史料にあたったり、巨人=研究者の肩に載り、実証的にくみたてる用意をしておくことを自戒しなければないとおもいます。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊