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16.4.3 環境保護と生活スタイルの変容 世界史の教科書を最初から最後まで

19世紀後半から、ヨーロッパの西洋医学の発達や科学技術により、世界各地で生活水準が向上し、20世紀後半に至るって世界人口は急増した。

20世紀初めには約1600000000人(16億人)だった世界人口は、
2019年には約7700000000人(77億人)にまで急増。


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こうした人口拡大は開発途上国で顕著となり、飢餓などの食料問題や資源問題、それにともなう環境問題を生み出した。


先進工業国はながらく化石燃料に頼った成長の道を歩んできた。石油化学工業などの重工業化は、都市の過密や大気汚染・河川や海洋の汚染・有害廃棄物の投棄といった問題を生み出した。

人間の活動が生態系に与える影響について議論されるきっかけとなったのは、アメリカの生物学者レイチェル・カーソンの著作『沈黙の春』(1962年)によるところが大きい。

 「かつてアメリカのまん中に、すべての生き物が環境と調和して生きているような町があった。町は碁盤目に広がる豊かな田畑の中央にあり、周囲には穀物畑、山腹には果樹園炎があって、春には白い花々が緑の原の上でゆらゆら浮かぶように咲き乱れた。…… 農場ではめんどりが卵を産んだが、ひなはかえらない。農夫はブタがちっとも育たないと不平を言った。小さく産まれるうえに、たった2、3週間で死んでしまうのだ。りんごの花は咲きそろったのに、ハチの羽音はしなかった。花粉が運ばれないので、りんごはならないだろう」。子供の突然死も起こる。なんだか体の具合が悪いと訴える人がふえてくる。」


さらに環境問題が国境を超える問題であることが認識されるようになったのは1970年代に入ってから。


1972年にはスウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議がひらかれ、国連環境計画(UNEP、ユネップ)が発足した。


国連人間環境会議の宣言(1972年6月16日)より抜粋
(1)人は環境の創造物であると同時に、環境の形成者である。環境は人間の生存を支えるとともに、知的、道徳的、社会的、精神的な成長の機会を与えている。地球上での人類の苦難に満ちた長い進化の過程で、人は、科学技術の加速度的な進歩により、自らの環境を無数の方法と前例のない規模で変革する力を得る段階に達した。自然のままの環境と人によって作られた環境は、共に人間の福祉、基本的人権ひいては、生存権そのものの享受のため基本的に重要である。
(2)人間環境を保護し、改善させることは、世界中の人々の福祉と経済発展に影響を及ぼす主要な課題である。これは、全世界の人々が緊急に望むところであり、すべての政府の義務である。

(4)開発途上国では、環境問題の大部分が低開発から生じている。何百万の人々が十分な食物、衣服、住居、教育、健康、衛生を欠く状態で、人間としての生活を維持する最低水準をはるかに下回る生活を続けている。このため開発途上国は、開発の優先順位と環境の保全、改善の必要性を念頭において、その努力を開発に向けなければならない。同じ目的のため先進工業国は、自らと開発途上国との間の格差を縮めるよう努めなければならない。先進工業国では、環境問題は一般に工業化及び技術開発に関連している。

人間環境宣言の太字部分からわかるように、途上国における生活水準が向上し人口が増加することが、環境破壊につながるのではないかという危惧も、この宣言には表れている。

自然保護を優先すべきだという先進国に対し、インドのインディラ・ガンディー首相は、「貧困が最大の汚染源である」と反論。
国が、他国の環境に対してどの程度影響を与えることが認められるのかについても、一致した見解は得られなかった。

なお、宣言には次のような原則も含まれている。

再生可能な資源
(3)再生可能な重要な資源を生み出す地球の能力は維持され、可能な限り、回復又は向上されなければならない。

〔野生生物の保護〕
(4)祖先から受け継いできた野生生物とその生息地は、今日種々の有害な要因により重大な危機にさらされており、人はこれを保護し、賢明に管理する特別な責任を負う。野生生物を含む自然の保護は、経済開発の計画立案において重視しなければならない。

非再生可能な資源
(5)地球上の再生できない資源は将来の枯渇の危険に備え、かつ、その使用から生ずる成果がすべての人間に分かち与えられるような方法で、利用されなければならない。

有害物質の排出規制
(6)生態系に重大又は回復できない損害を与えないため、有害物質その他の物質の排出及び熱の放出を、それらを無害にする環境の能力を超えるような量や濃度で行うことは、停止されなければならない。環境汚染に反対するすべての国の人々の正当な闘争は支持されなければならない

石油危機によって経済問題が大変になると、環境問題への関心は一時薄れる。しかし、この会議をきっかけに、環境関連の国際会議が次々と開かれるようになっていったことには大きな意義がある。


なお、1985年にオゾンホールが発見され、二酸化炭素濃度の歴史的な上昇が観測されるようになると地球温暖化の危険も指摘されていった。


1992年にはブラジルのリオデジャネイロで「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)が開催され、各国が二酸化炭素の排出量を減少させるということを国際政治的課題として合意。1997年には京都議定書で具体的な削減目標値と削減メカニズムが設定された。

こうした環境保護問題の進展は、人間が生きていくには自然との共生が必要であるとするエコロジーの思想や文化を定着させていき、先進工業国においても、特にヨーロッパにおいて消費者運動に代表される「新しい市民運動」がうみだされていった。また、経済的な「進歩」一辺倒の姿勢への懐疑も高まり、男女平等をめざすフェミニズムも定着していった。その中で、2010年代に入ると日本でも労働と私生活を両立可能とする社会づくりが模索されている。

また、21世紀には世界的な規模での高齢化(グローバル・エイジング)が起きると予測されている。

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先に高齢化の進んだ先進工業国や新興国には、国際労働力移動のハードルが下がるつれ、開発途上国からの働き手を受け入れる動きも広がった。しかし、異質な文化への対応が摩擦を生む例も世界各地で見られるようになっている。また、2019年末以降のコロナウイルスのパンデミックが、国際労働力移動に対する規制を強めるのではないかという見方もある。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊