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"歴史" 系 note まとめ

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2023年7月の記事一覧

小野寺・田野『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)はすごいぞ

おおマジか! 知らんかった! こんな私でも理解できるくらいに,基礎的な背景知識を確認しつつ,次の各項目について読みやすい文章で解説されています。 専門家が一般市民レベルまで下りてきてレクチャーしてくれる本が定価(820円+税)で買えてしまうのは本当にありがたいことです。 私の知り合いで川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)を読んで川北先生の講義を受けたくなり,阪大文学部に進学した人がいます。 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだ高校生が小野寺先生・田

栄西の交友関係

鎌倉新仏教の開祖のひとりに栄西(えいさい、ようさい/1141-1215)がいる。 備中国の出身で、比叡山にのぼり密教と天台宗を学んで山林で修行した。 二度にわたる入宋ののち、日本に臨済禅を伝え、北条政子や源頼家などの帰依を受けたことが知られている。 さて、この栄西、広い交友関係が知られている。 まずは重源である。栄西は先に述べた通り二度入宋しているが、そのうち一度はこの重源とともに帰国している。その縁で栄西は重源のあとをついで東大寺大勧進職に就任している。 *「勧進」

イギリス旅)カンタベリー)エドワード黒太子の墓

「エドワード黒太子」の「黒太子」というネーミングは、全国の世界史を勉強している高校生の心を強く揺さぶったはずです。私もそのひとりでした。かっこいい。英カンタベリー大聖堂にあるエドワード黒太子の墓を訪ねました。 エドワード黒太子とは イングランドのプランタジネット朝の初代国王、エドワード3世の息子です。フランスの継承権を主張して始まった英仏百年戦争(1339~1453年)の初期に活躍しました。クレシーの戦い・ポワティエの戦いではロングボウ(長弓)隊を率いてフランス軍に完勝。

歴史の扉 No.16 日本茶の世界史

かつてイギリスでも緑茶が飲まれていた 日本茶のヨーロッパへの輸出は古くはオランダ東インド会社にさかのぼる。取り扱ったのは嬉野茶で、平戸から積み出された。 ヨーロッパというと今では紅茶緑茶というイメージが強いが、当時「茶」といえば緑茶が主流だったのだ(影踏丸さんの記事を参照されたい)。 オランダが平戸から積み出した嬉野茶も緑茶だ。1557年にマカオに居住権を手に入れたポルトガルも、ここで中国商人から中国産の緑茶を買いつけていた。オランダはポルトガル経由で中国産の緑茶をヨー

歴史の扉 No.15 ココナッツの世界史

ひろがるココナッツ文化圏 ココナッツはポリネシア人の移動とともに太平洋に広まった。台湾付近から現在のインドネシアを通り、果てはハワイやイースター島にまで拡散したポリネシア人は、前近代にもっとも広範囲に拡散した民族集団のひとつだ。 これに対し、インド洋方面に伝わったココナッツは、太平洋に伝播したものとは異なる遺伝子型を持つようだ。そこから6世紀に東アフリカにココナッツを伝えたのはアラブ人だ。 なんといってもココナッツに含まれる水(ココナッツウォーター)は、熱帯では "命の水"

歴史の扉 Vol.13 バニラの世界史 

アメリカのバニラ文化 バニラはラン科の植物から抽出された香料のこと。南米のアンデス山麓からカリブ海にかけて栽培され、古くはメキシコ湾岸のオルメカ文明で用いられていた。 特にメキシコのトトナコ族によるバニラの生産が知られ、アステカの王は彼らを服属すると、これを独占しようとした。バニラは、宗教儀礼でもちいられるチョコレートの中に混ぜて供せられた特別な香料だったのだ。チョコレートは大航海時代以前は新大陸でしか知られていなかった。では、「バニラチョコレートアイス」は、いかにして世

アレクサンドロス大王とブッシュ大統領をつなぐもの "今"と"過去"をつなぐ世界史(6) 前400〜前200年

「マケドニア」国名論争 今から2300年以上も前にあった人物を種に国と国が争うなんて、ばからしいと思うかもしれない。しかし実際に、そんなことがあるのだ。 かつてマケドニア王国の王が、ギリシアを支配し、東方のペルシアやエジプトを支配した。そのマケドニアを冠した国が、1991年に誕生した。ユーゴスラビアから独立してできたマケドニア共和国である。 マケドニア共和国は、みずからを古代マケドニア王国と結びつけ、ヴェルギナの星という古代の遺物にあしらわれていたシンボルを国旗に採用する

歴史の扉Vol.12 カレーの世界史

カレーライスは日本の「国民食」と呼ばれる。もちろん、「カレー」は日本由来のものではなく、「本場のカレー」というべきものがあろうことも知った上でのことだ。日本のカレーライスを「インド料理」だと思って食べる人など、そうそういないだろう。 ただ、カレーが「インド料理」なのかというと、これまた難しい。 「カレーという料理はインドにはない」という話は割合知られるようになったが、そのルーツは複雑だ。 ムガル帝国がインドに肉料理をもちこんだ そもそも菜食主義が一般的なインド各地の料理