憧れるのはやめないっ
一瞬静寂が鳴り響き、観客は息を呑む。
時が止まったその後に、司会者は叫んだ。
「優勝は…!」
「令和ロマン!!」
僕は興奮を抑えられずにいた。
まだ食べ終わっていない、コンビニで買ってきたショートケーキと、綺麗に割れなかった割り箸、レモンサワーの空き缶が机の上にだらしなく広がっている。
年の瀬に1人で見るお笑いグランプリももう慣れた。
今年はたまたまクリスマスだっただけだと言い聞かせながら、2LDKの持て余した部屋の中で僕はつぶやいた。
「トップバッター優勝か…。すげぇな…。」
結成6年目でのお笑い賞レース最高峰とも言える大会で優勝したというシンデレラストーリーは連日テレビやSNSで特集が組まれるほど話題になっていた。
インタビューの受け答えも肝が据わっていて、全ボケが誰かにハマっている。
その端正な表情から繰り出されるセリフの連続はまるで銃声のようで、そして僕の胸を打ち続ける。
惚れた。
でも、敵わないと思った。
人には、なりたくてもなれないものがある。
それは多分、憧れだ。
すごく、すごく残酷だと思うけど、自分が憧れと感じてしまったら、それにはもうなれない。
自分とかけ離れているものだから憧れる。
自分と似ているものに対しては、同族嫌悪、若しくはパイオニアとしてのプライドがそうさせない。
憧れなければなりたいと思わない。
だから憧れた時点で実質白旗宣言といえる。
例えば僕は、どんな誘いも断らない人に憧れを抱いていたことがある。
どんなに自分があまり知識のないものであっても、興味を抱いてその誘いに乗る。
それはとてもすごいことだと思う。
正直な話…
いや、至極真っ当だ。
人には誰しも優先順位というものがある。
体力的にも、経済的にも、そして興味の幅という点でも。
それを天秤にかけて誘いに乗るかどうかを考える。
どれを重視するかはケースバイケースだ。
しかし、何かしらの労力をかけるという点では、"誘いに乗る"という選択はリスクがあるのだ。
僕はこのリスクを恐れている。
だから、全部の誘いに乗ることができないのだ。
そういう意味で、僕は「乗る」人に憧れを抱いていた。
それは負けである。
銃を打ち続けるその人は、多分僕とそんなに変わんないんだろう。
あまりかけ離れているとは思わない。
僕は彼になりたいんだろうか。
なれないのに?
憧れというのは一体なんなんだろう。
憧れが自分を動かす原動力になるのは確かだ。
自分を変えるきっかけの一つだ。
そういえば、その日ケーキの最後の一口を食べようとした時、友人から電話がかかってきた。
「なあ、見たかM-1」
「お前、まさか本当にこれで終わるつもりないだろうな」
それは負けなのである。
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